【ヨエル書】リバイバルと改革【2章解説】

目次

中心思想

「私たちのうちに真の信仰を回復することが、私たちのあらゆる必要の中で最大の、そして最も緊急の必要である。これを求めることを私たちの第一の働きとすべきである。主の祝福を得るために真剣な努力をしなければならない。神は喜んで私たちに祝福を与えようとしておられるが、私たちにはそれを受ける用意ができていないからである」(「セレクテッド・メッセージズ」第1巻121ページ)。

アウトライン

  • 真実の行為(ヨエ2:12)
  • 真剣に努力する(ヨエ2:13)
  • 正しい見方(ヨエ2:13、14)
  • 使命に熱心な指導者(ヨエ2:15~17)
  • 喜びの収穫(ヨエ2:17、詩126:5、6)

主は全的献身を求められる

1734年、ヨナタン・エドワーズはイギリスの植民地であった北アメリカ大陸のマサチューセッツにおいて信仰を失った市民に対して、信仰による義認についての一連の説教を始めました。初めは少数でしたが、次第に多くの人々が回心していきました。このリバイバルはほかの多くの町にも広がっていきました。大覚醒として知られるこの運動は、アメリカの歴史における最も活力に満ちた経験の一つでした。

アドベンチスト教会においても今、最後の大いなる覚醒のときがきています。私たちは新たな霊的生命を受け、イエスとの親しい交わりに入り、罪に勝利し、御霊によって満たされ、喜んで主の祝福を人々に分け与える必要があります。

真実の行為(ヨエ2:12)

質問1

「心をつくし.わたしに帰れ」とはどういう意味ですか(ヨエ2:12)。ロマ24、Ⅱテモ2:25参照

ヨエル書2:12にもあるように、それは断食と嘆きと悲しみとをもって主に立ち返ることです。しかし、いかに激しく断食し、嘆き、悲しんでも、もし聖霊の罪を悟らせる声に従わないなら、心から主に立ち返ることにはなりません。外面的な宗教、儀式、修行、人間的な失敗に対する自分本位な悲しみなどは、真実の行為、つまり聖霊の導きに対する真心からの応答の代用にはなりません。

とは言っても、心から主に立ち返る力は私たち自身のうちにはありません。私たちが主の招きに従うとき、主は私たちに過去の罪を心から悲しみ、それから離れる力を与えてくださるのです。「キリストへの第1歩は神の御霊の招きによってなされる。人はこの招きに応じるとき、悔い改めを目ざしてキリストに進むのである」(「セレクテッド.メッセージズ」第1巻390ページ)。

質問2

罪に対する心からの悲しみは断食嘆き、悲しみによって表されますが、イエスはこのことについて何と教えておられますか。マタ5:4、6:16~18、ルカ6:21

古代イスラエルにおいては、断食は個人的な信仰を誇示するための偽善的な手段となる傾向がありました。イエスはこのような行為を非難されました。

真の断食は他者への実際的な奉仕

真心から主に献身するとき、私たちは悲しみと嘆きに沈み、世から顔をそむけていることはできません。悲しみをいやす最良の方法は行動することであることを、主は知っておられます。心から罪を悲しみ、キリストとの新たな関係に入るとき、私たちは周囲の人々に同情と愛をあらわすようになります。

「わたしが選ぶところの断食は……飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これに着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか」(イザ58:6、7)。

真剣に努力する(ヨエ2:13)

質問3

「あなたがたは衣服ではなく、心を裂け」という勧告は、ヨエルの時代の神の民にとってどういうことを意味しましたか(ヨェ2:13)。それは私たちにとってどういうことを意味しますか。詩34:18、51:17

ヨエルの時代の人々は、罪に対する心からの悲しみがないにもかかわらず、信仰のしるしとして容易に自分の衣服を裂くこともできたでしょう。それから数百年後、大祭司カヤパもこの慣習に従って衣を裂いています(マタ26:65参照)。

私たちは心から主の勧告に従う気持ちがないのに、ただ見せかけの悲しみと悔い改めをあらわしがちです。言葉では何とでも言えるでしょう。しかし、主が求められるのは単なる外面的な信仰の見せびらかしではなく、まじめな心からの応答です。

リバイバルにおける私たちの役割

「主の祝福を得るために真剣な努力をしなければならない。神は喜んで私たちに祝福を与えようとしておられるが、私たちにはそれを受ける用意ができていないからである。この世の親がその子らに良い贈り物をする以上に、私たちの天の父は求める者たちに喜んでご自分の聖霊を与えてくださる。しかし、告白、謙遜、悔い改め、熱心な祈りによって、神の約束された祝福への条件を満たすことは私たちの務めである」(「セレクテッド・メッセージズ」第1巻121ページ、傍点付加)。

「条件」、「熱心な努力」、「私たちの努め」といった言葉はあまり好まれない言葉であるかもしれません。しかし、それらは欠かすことのできないものです。私たちの切なる必要を満たすことのできる真の信仰の回復を願うなら、その条件を満たさなければなりません。

質問4

心からの告白は何をもたらしますか。蔵28:13、1ヨハ1:9

「真の告白はつねに、はっきり自分の犯した罪そのものを言い表わすのであります。神にだけ告白すべきものもありましょう。……あるいは公のものであれば、公に告白しなければならないこともありましょう。いずれにせよ、告白はすべてはっきりとその要点にふれていて、犯した罪そのものを認めねばなりません」(『キリストへの道』47、48ページ)。

正しい見方(ヨエ2:13、14)

質問5

ヨエル書2:12~14において、預言者は真の悔い改めと謙遜を求めています。この点について、イエスとパウロは何と教えていますか。マタ23:12、ピリ2:5~8

神は私たちを困らせ、辱めようとされるのではありません。むしろその反対に、私たちが神によって新たな者となることによって、喜びを経験するように望まれるのです。神が私たちに求められる謙遜とは、私たちが自分自身を正しく認識し、愛をもって周囲の人々に助けの手をさしのべることです。

自分にではなく神に信頼する

「もし私たちが熱心に自分の心をさぐり、罪を捨て去り、悪の傾向を正すなら、私たちの魂が虚栄心にとらわれることはない。私たちは自分自身に信頼することをやめ、自分の能力が神からくるという意識をたえず持つようになる。……ああ、教会には何といううぬぼれ、偽善、偽り、虚飾、軽率、娯楽、権力に対する欲望が満ちていることであろう。これらすべての罪は心をくもらせ、永遠の事物を見えなくしている」(『セレクテッド・メッセージズ」第1巻122、125ページ)。

質問6

祈りがリバイバルの経験において果たす役割について、次の聖句はどんなことを教えていますか。ヨエ1:14、15、2:1(ルカ11:13、1テサ5:17、ヘブ4:16比較)

効果ある祈り

「教会は行動に目ざめなければならない。教会に用意ができるまで、神の御霊は決して与えられない。真剣に心をさぐらなければならない。心を合わせ、絶えることなく祈り、信仰によって神の約束を求めなければならない。昔のように身に荒布をまとうのではなく、魂の奥底からへりくだる必要がある」(「セレクテッド.メッセージズ』第1巻126ページ)。

質問7

真の悔い改めはどんな結果をもたらしますか。使徒3:19、Ⅱコリ7:10

質問8

神が悔い改めた罪人に特別な祝福を与えられるのはなぜですか。ヨエ2:13、14

使命に熱心な指導者(ヨエ2:15―17)

私たちはこれまでの3日間、悔い改めに関するヨエルの勧告について学んできました。彼の勧告には二つの意味があります。(1)それは世の人々に罪を捨てて主を受け入れるように勧めています。(2)教会員に対して、霊的な眠りから目ざめて、全的に神のみこころに従い、神から与えられた働きを完成するように勧めています。このようなリバイバルの経験は必然的に改革をもたらします。

リバイバルと改革の働きは其本的には教会員の個人的な経験にあてはまりますが、ヨエル書2:15~17には、指導者も果たすべき重要な役割を負っていることが示されています。その役割とは、人々に主の要求に従うように教え、彼らのために執り成しの働きをするということです。

質問9

福音の見張り人はどこでラッパを吹き鳴らすべきですか。その目的は何ですか。ヨエ2:15

ヨエルの時代の祭司たちはエルサレムの全住民を聖なる儀式に召集しなければなりませんでした。同じように、今日の教会指導者はリバイバルと改革の働きを開始しなければなりません。

「神が人々に御霊を注がれるとき、彼らは働く。彼らは主のみことばを宣く伝え、ラッパのようにその声を上げる。真理は彼らの手にあって消滅したり、その力を失ったりすることはない。彼らは人人にその不義を示し、ヤコブの家にその罪をあらわす」(「牧師へのあかし』411ページ)。

質問10

神の民の献身と改革はどれほど広範囲に及びますか。ヨエ2:16

質問11

リバイバルと改革を説くうえで、牧師と指導者はどんな責任を負っていますか。ヨエ2:17

牧師の働きの神聖さ

「牧師の働きは、彼らが一般に認めている以上に厳粛で神聖なものである。彼らは清められた影響力を働かせなければならない。神は聖なる働きをする者たちに対して、神の使命に熱心であるように求められる。彼らの働きの目的は魂の救いにある」(「教会へのあかし」第3巻234ページ)。

喜びの収穫(ヨエ2:17、詩126:5、6)

教会指導者には、神と協力して、ヨエル書2:12~17に記されている悔い改めと改革を実現する責任が負わせられています。この働きは豊かな祝福をもたらします。

質問12

ヨエル書2:17をもう一度読んでください。それから詩篇126:5、6を読み、神が涙を流す者たちにどんな約束をしておられるかを学んでください。

牧師の報酬

「忠実な牧者たちはその報酬|として、大牧者イエスの言葉を聞く。「良い忠実な僕よ、よくやった』。イエスはそれから彼らの頭に栄光の冠をのせ、主と共に喜ぶように言われる。その喜びとは何であろうか。それは、キリストと共にあがなわれた聖徒たちを見ること、彼らの魂の苦しみ、自己否定、自己犠牲、また安楽、この世の利得、あらゆる地上の誘惑を捨てたこと、そして人々が神の勧告を拒んだときに非難、苦しみ、謙遜、労苦、魂の苦悩を選んだことを見ることである。それは、神の前での魂の苦しみ、廊と祭壇の間で泣いたこと、世と天使と人々の見せ物となったことを思い出すことである。これらはすべて終わりを告げ、彼らはその労苦の実を見、キリストにある彼らの努力によって魂が救われるのである」(「教会へのあかし』第2巻709ページ)。

「今は自分自身を喜ばせ、うぬぼれているときではない。神の牧者たちよ、今は優位を争っているときではない。牧者が廊と祭壇の間で泣き、「主よ、あなたの民をゆるし、あなたの嗣業をもろもろの国民のうちに、そしりと笑い草にさせないでください』と叫ぶべき厳粛なときが来ている(ヨエ2:17)。今は、自らの能力を誇る代わりに、牧者も人々も神とお互いの前に自分の罪を告白すべきときである」(エレン.G・ホワイト『レビュー.アンド・ヘラルド特別号』1899年12月24日)。

まとめ

ヨエル書2:15―17に与えられているリバイバルと改革に関する神の勧告を、あなた自身の言葉でまとめてください。

*本記事は、安息日学校ガイド1992年1期『今は備えの時である』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
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『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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