中心思想
神は私たちに対する愛のゆえに、罪と反逆の結果について私たちに警告を与えられます。神の警告に従う者たちは残りの民に加わります。
アウトライン
- サマリヤとユダに対する神の嘆き(ミカ1:1~5)
- サマリヤの陥落(ミカ1:6~8)
- 侵略者の道(ミカ1:6~16、2:1、2)
- 地を受け継ぐ(ミカ2:3~6)
- 神の真の品性(ミカ2:7~13)
ミカ書は三つの部分に分けられる
それぞれの部分は「聞け」という言葉をもって始まっています。第1の警告(1:2)はすべての民に対して言われています。ミカはすべての民に対して、来たるべきサマリヤとエルサレムの滅亡の意味について熟考し、神の計画を拒む者たちに起こることを見るように告げています。
第2の警告(3:1)において、ミカはイスラエルのつかさ、にせ預言者、祭司たちの特定の罪を非難しています。彼らは来るべきさばきにおいてその責任を問われるのでした。
第3の警告(6:1)はあらゆる被造物に対して、神が慈愛と正義をもってご自分の民を扱われることをあかしするように求めています。
今回は神の第1の警告について学びます。私たちは自分の経験を古代イスラエルの経験と比較し、神の恵みによって、神の定めておられる標準に従った生き方をしているかどうか反省してみる必要があります。
サマリヤとユダに対する神の嘆き(ミカ1:1―5)
「無限の神は、今もなお誤ることのない正確さをもって諸国の記録をとっておられる。神のあわれみが差しのべられて、悔い改めの招きが与えられている間、この帳簿は開かれている。しかし、数字が神のお定めになった一定の数に達するときに、神の怒りのわざが始まる。帳簿は閉じられる。神の忍耐は終わる。もはや、あわれみの声は彼らのために訴えなくなるのである」(『国と指導者』上巻331ページ)。
質問1
神の第1の警告がイスラエルとユダばかりでなく、すべての民に対する警告であることがどこからわかりますか。ミカ1:2~4
ミカはイスラエル(北の諸部族)とユダの民に直接、語りかけています。しかし、ミカ1:2~4は聖書のほかのところに描かれた再臨の描写と非常によく似ています。神は諸国民に対して、不忠実な者たちに下る神の報いについての警告に耳を傾けるように要求しておられます。ミカの預言は終わりの時にもあてはまるものです。
質問2
黙示録によれば、どんな自然現象がイエスの再臨のときに起こりますか。黙示16:18~21(「各時代の大争闘』下巻414、415ページ参照)。
質問3
神がやむをえずイスラエルとユダを罰せられるのはなぜですか。ミカ1:5
「今回は、主は苦しむ民の祈りにこたえられない(イザ64章参照)。主が来られたのはイスラエルの罪と不義のゆえである。事実、預言者はこれらの言葉をもって自分の働きを描写している。『ヤコブにそのとがを示し、イスラエルにその罪を示す』(ミカ3:8)。これらの言葉を聞く者たちは、「しかし、なぜそうなるのか』と問うであろう。どんな悪事がこのような恐るべき主のさばきをもたらすのであろうか。ミカ3:5にヒントが与えられている。悪事は北と南の首都に集中している」(リンバーグ「ホセア書~ミカ書注解」166ページ)。
サマリヤの陥落(ミカ1:6―8)
質問4
サマリヤの陥落がどれほど写実的に描写されていますか。ミカ1:6、7
新国際訳聖書は7節を次のように訳しています。「そのすべての偶像は粉々に砕かれ、そのすべての宮の進物は火で焼かれる。わたしはそのすべての彫像を壊す。それらは遊女の賃金で集められたのだから、また遊女の賃金として用いられる」。
彼らをキリストに導く
「人々の前にカルバリーの十字架を掲げなさい。律法に対する違反がキリストの死の原因であったことを示しなさい。罪をどうでもいいことのように隠したり、取り扱ったりしてはならない。罪は神の御子に対する犯罪行為として示されなければならない。それから人々の心をキリストに向け、永遠のいのちがキリストを自分の個人的な救い主として受け入れることによってのみ与えられることを教えなさい。……彼らが愛に満ちたキリストを見るように導きなさい。そうすれば、彼らは自分の愛情をキリストから引き離すような一切のことから離れるであろう。これが、救い主が人々を扱われる原則である。これが教会に取り入れられねばならない原則である」(「教会へのあかし』第6巻54ページ)。
質問5
ミカはサマリヤの悲劇に対してどんな態度をとりましたか。ミカ:18
ミカは5~7節において神の行為について述べています。しかし、8節においては自分の行為について述べています。このような変化は小預言書によく見られるものです。刑罰に対する彼自身の態度を明らかにすることによって、ミカはイスラエルの注意を、もし反逆し続けるなら招くであろう結果に向けさせようとしています。裸という言葉は半裸の状態を意味すると思われます。ミカの姿は、自分の民の罪と滅びに対する心からの悲しみを表しています。
侵略者の道(ミカ1:6―16、2:1,2)
質問6
自分たちの罪のゆえにユダの町々にのぞむとミカが預言している滅びについて考えてください。ミカ1:6~16
「エルサレムの防衛網となっている小さな町々を通って南に進む侵略者(15節)の道について、預言者は述べている。これらの言葉は、紀元前700年代後期におけるセナケリブの軍事作戦において成就する。それは、彼の軍隊がエルサレムの門に到着したときのことであった(列王下18:13~16)。町々の点呼は預言者と共に嘆くようにという訴えをもって終わる。聞く者たちが自分の子らの国から離されるのを見ることになるからである」(ジェームズ・リンバーグ「ホセア書~ミカ書注解」167ページ)。
ミカ1:16は次のように訳すことができます。「あなたの喜ぶ子らのために、嘆きのうちにあなたの頭をそれ。あなた自身をはげ鷲のようにむき出しにせよ。彼らが捕えられて、あなたから去るからである」(新国際訳)。
ユダの町々がさばかれることになった罪の中に、重大な社会的不正がありました。ミカは貧しい人々に対する抑圧を含むこれらの不正を非難しています。それらは彼の時代の特徴でした。人々が彼の非難に抗議したとき、ミカは彼らの罪のひどさを明らかにしました。
質問7
神はご自分の民のどんな罪をとくに非難しておられますか。ミカ2:1、2
「その床の上で不義を計り、悪を行う者はわざわいである。彼らはその手に力あるゆえ、夜が明けるとこれを行う」(ミカ2:1)。人々は金もうけに取りつかれていたため、夜も寝ないで、悪い計画をたくらんでいました。彼らは、力は正義であるというこの世の原則に従っていました。彼らは黄金律(マタ7:12)の代わりに、「やられる前にやれ」という原則に従っていました。
地を受け継ぐ(ミカ2:3~6)
人々に対する義務
「ユダヤ人たちは、自分たちの受けるもののことばかり考えていました。彼らがあくせく求めたことは、権力や尊敬や奉仕など、当然自分たちが受けるべきものと彼らが考えたものを得ることでした。しかし、キリストは、わたしたちが心を用いるべきことは、どれだけ自分が受けるかということではなく、どれだけ自分は与えることができるかということでなければならないとお教えになっています。わたしたちが他の人々にすべきことの標準は、他の人々がわたしたちにすべきであるとわたしたちが考えることなのです」(「思いわずらってはいけません』176、177ページ)。
質問8
神は悪を行う者たちをどのように扱われますか。ミカ23~5
ユダの罪の結果、神の祝福と守りが取り去られることになります。こうして神は、彼らが人々にしてきたことを自分たちの身に招くことをお許しになりました。侵略者たちは彼らの土地を奪い、その財産を略奪しました。
ミカ2:5は次のように訳すことができます。「それゆえ、主の会衆のうちにはくじによって土地を分割する者がひとりもいなくなる」。「ミカは抑圧者に対して、彼が隣人の土地を不正に扱ったため、もはやイスラエルに嗣業を持つことがなくなると言っている」(「SDA聖書注解』第4巻1017ページ)。
地を受け継ぐ者はだれか
イエスは言われました。「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう」(マタ5:5)。イエスのように謙遜で、柔和で、無欲で、控え目な人たちが、新しい地の祝福と特権にあずかるのです(イザ65:22参照)。
質問9
ミカの働きを妨害していたにせ預言者たちはどんなことを言いましたか。ミカ2:6
罪を軽く見ることは危険
ある女性が自分の家の屋根裏部屋の周りに数匹のミツバチが飛んでいるのに気づきました。しかし、その数があまり多くなかったので、彼女は別に気にしませんでした。そのようにして、ひと夏が過ぎました。ところがその間に、屋根裏部屋全体が巨大な巣になっていたのです。そしてついには、二階寝室の天井が落ちてしまいました。同じように、罪を軽く見ていると、やがて蓄積された甘美な罪の重みで、落ちてきた天井の下敷きになる危険があります。
神の真の品性(ミカ2:7―13)
質問10
神はどんな質問によって、イスラエル人の神についての観念を正そうとしておられますか。ミカ2:7
新国際訳聖書はこの聖句を次のように訳しています。「ヤコブの家よ、そんなことは言えるのだろうか。主の霊が怒っているのだろうか。主はそのようなことをされるだろうか。わが言葉は正しく歩む者に益とならないのであろうか」。
「預言者はここで、主がご自分の民を脅迫しているという理由で主の短気を責めている者たちを叱責している。それは誤りである。なぜなら、神はつねに忍耐をもってイスラエルを取り扱われるからである。しかしながら、自ら罪を犯すとき、人はその悪行の実を刈り取らなければならない」(「SDA聖書注解』第4巻1018ページ)。
主の問いかけのうちにその真の品性があらわされている
「わが言葉は正しく歩む者に、益とならないのであろうか」(ミカ2:7)。詩篇作者はこのことを美しい言葉をもって強調しています。彼は無限のあわれみをもってゆるし、回復してくださる神について語っています(詩103:8~14参照)。
質問11
神はご自分の立場を明らかにするために、さらにどんな非難をしておられますか。ミカ2:8~11
質問12
どうしたら神を信じない人に神の愛と守りを確信させることができますか。どんな方法によってそのような人の態度を改めさせることができますか。
質問13
主は忠実な者たちにどんな約束をしておられますか。ミカ2:12、13
神の強い警告と非難の言葉はふつう、喜んで悔い改める者たちに対する回復の約束をもって結ばれています。新改訳聖書はここを次のように訳しています。「ヤコブよ。わたしはあなたをことごとく必ず集める。わたしはイスラエルの残りの者を必ず集める。わたしは彼らを、おりの中の羊のように、牧場の中の群れのように一つに集める。こうして人々のざわめきが起ころう。打ち破る者は、彼らの先頭に立って上って行き、そこを出て行く。彼らの王は彼らの前を進み、主が彼らの真先に進まれる」(ミカ2:12、13)。
まとめ
ミカは神の民に対して、罪に固執することがどんな結果を招くかを明らかにしています。彼は写実的な言葉によって、主が不信仰な者たちに報復を、忠実な残りの者たちに救いをもたらすために来られることを描写しています。
*本記事は、安息日学校ガイド1992年1期『今は備えの時である』からの抜粋です。