【ゼファニヤ書(ゼパニヤ)】地上の荒廃【1章解説】

目次

中心思想

セブンスデー・アドベンチストは、神のさばきが近いというゼパニヤの警告をゆだねられています。この世界が滅ぼされるとき、私たちはキリストの恵みによってのみ神の残りの民と共にかたく立つことができます。

アウトライン

  • 来るべき滅び(ゼパ1:1~3)
  • 公平な警告(ゼパ1:1~13)
  • ユダに対するさばき(ゼパ1:4~13)
  • それは何を意味するか(ゼパ1:8~11)
  • 悩みに対する答え(ゼパ1:4~18)

再臨前審判につづく主の日

かたくななイスラエルと周辺の諸国に下ろうとしていた災害についてのゼパニヤの描写は、キリストがご自分の残りの民を救うために来られるときのさばきの日を描写しています。局地的な主の日は最終的な終わりの時の主の日を予示していました。さばきのメッセージと来るべき「主の日」について人々に警告すべき時は今です。

「もし天でなされている働きを、見ることができるなら、私たちは心から熱心で目をさましているべきときにいかに無関心であるかを見て驚くであろう。……予型で示されている大いなるあがないの日、さばきのわざが死者に対してなされていて、それはやがて生きている者に対して始まり、私たち全員の行状が神の前に調べられる。……このような望みと信仰を持つ私たちにとって、神の日を先にのばすことは危険なことである」(エレン・G・ホワイト『原稿』第10号、1886年)。

来るべき滅び(ゼパ1:1~3)

ゼパニヤはユダと周辺諸国が主を拒んだゆえに下ろうとしていた報復を如実に描写しています。彼らに臨もうとしていた災いは、キリスト再臨において地上に臨むであろうより大いなる災いを予示していました。

質問1

ゼパニヤ書1:2、3に用いられているどんな表現のうちに、地上の一切のものを一掃される神の計画が示されていますか。

質問2

罪は自然界にどんな影響を及ぼしていますか。創世3:17、18、ロマ8:19~22

罪に対する宣告は直接、自然界に対して与えられたものではありませんが、罪の結果と荒廃はすべての被造物に及びます。

質問3

次の聖句はキリストの再臨において何が起こると言っていますか。エレ4:23~26、マラ4:1、Ⅱペテ3:7、10、11、黙示16:17~21

「わたしは人も獣も一掃し」(ゼパ1:3)。「キリストがこられる時、悪人は、全地の表面から一掃される。すなわち、主イエスの口の息によって殺され、来臨の輝きによって滅ぼされる。キリストはご自分の民を神の都へ連れて行かれ、地には住民がいなくなる。

『見よ、主はこの地をむなしくし、これを荒れすたれさせ、これをくつがえして、その民を散らされる』。『地は全くむなしくされ、全くかすめられる。主がこの言葉を告げられたからである』。『これは彼らが律法にそむき、定めを犯し、とこしえの契約を破ったからだ。それゆえ、のろいは地をのみつくし、そこに住む者はその罪に苦しみ、また地の民は焼かれ」る(イザヤ書24:1、3、5、6)」(「各時代の大争闘AI下巻440、441ページ)。

公平な警告(ゼパ1:1―13)

初めの3節におけるゼパニヤの警告は、ユダの市民に用意をするように勧めています。エレン・ホワイトもある勧告の中で、主の日に備えることの大切さについて教えています。

「ある兄弟が私にこうたずねた。『ホワイト姉妹、主は10年のうちに来られると思いますか』。『主が2年、4年、あるいは10年のうちに来られるとして、それはあなたにとってどんな意味をもつのですか』。

『主が10年のうちに来られることがわかっていれば、今とは違った生き方をする必要があると思いまして』。

『どんな生き方をしたいと思いますか」。

『そうですね、自分の財産を売り払い、聖書研究を始め、人々に主の再臨に備えるように警告し、私自身も主に会う用意ができるように主にお願いしたいと思います』。

『では、もし主があと20年のあいだ来られないことがわかっていたなら、あなたは別の生き方をしたいと思いますか」。

『はい、そうすると思います』。

『あなたは主のみこころを知っておられます。とすれば、主が10年のうちに来られるかのように生きるべきではありませんか』。

私は聖書を開き、彼に読んで聞かせた。……彼は自分の生き方を変える必要を痛感し、実際にその生き方を変えた。……・主が10年のうちに来られるとわかっていれば違った生き方をするだろうという彼の考えは何と利己的な考えであろう。エノクは300年、神とともに歩んだのである。とすれば、私たちも毎日、神とともに歩むべきである。目をさまして待っていなければ危険である。つねに神の栄光をあらわすことに専念すべきである」(エレン・G・ホワイト『原稿」第10号、1886年)。

質問4

キリストの再臨に備えることについて、次の聖句は何と教えていますか。マタ24:44、マル13:35、1テサ5:1~9、Ⅱペテ3:3、4、10~14、17、18、黙示16:15

ユダに対するさばき(ゼパ1:4―6)

質問5

神がユダから離れ、彼らが苦しむのをゆるされたのは、彼らのどんな罪のゆえでしたか(ゼパ1.:4~6)。今日のクリスチャンのうちにも昔のユダの罪と同じような罪がないでしょうか。

「屋上で天の万象を拝む者」とは、自分の家の平らな屋上で太陽、月、星を拝んでいた人たちをさしています。彼はそこに、「天体を拝み、いけにえをささげ、香をたくための祭壇を築いた(エレ19:13参照)」(「SDA聖書注解」第4巻1063ページ)。「偶像の祭司」(4節)とはイスラエルを堕落させたバアルに仕える祭司たちのことです。「ミルコム」(5節)とはアンモン人の神のことです(列王上11:5、33参照)。ゼパニヤ害1:6の後半は宗教に全く関心のない人々について述べています。無関心がゼパニヤの罪の目録の最後にあげられているからといって、それで安心できるものではありません。無関心な者たちはどうなるでしょうか。彼らは目録の最初の罪を犯す者たちと同じく確実なさばきを受けます。

質問6

ゼパニヤは「犠牲」としての「主の日」について語っています(ゼパ1:7、8)。だれが、どんな理由で犠牲としてささげられますか。

この奇妙な犠牲の祭りに招かれた客はバビロニヤ人です。主は彼らをご自分の刑罰の手段として用いられます。

それは何を意味するか(ゼパ1:8―11)

昨日より、ゼパニヤ書1:4~13を学び始めました。今日は、8~11節を学んでみましょう。

8節……「異邦の衣服を着る者」とは異教の慣習に従う者たちのことです。

9節……「その日にわたしはまた、すべて敷居をとび越え、暴虐と欺きとを自分の主君の家に満たす者を罰する」。敷居をとび越えるとは、「他人の家に押し入って財産を奪うことである。……これは、『暴力と欺きによって自分の家族から財産を強奪することは主君に対する最上の奉仕であると考えている恥ずべき従者」(エイバルト)を暗にさしている」(C・F・カイル、F・デイリッチ「旧約聖書注解』第10巻132ページ)。

11節……「多くの学者によると、この『しっくいの家』はエルサレムの地域の名である。文脈(10節参照)からもこの見方が妥当なように思われる」(「SDA聖書注解』第4巻1064ページ)。

ゼパニヤはエルサレムのさまざまな地域に言及している

「来たるべきさばきの日には、エルサレムに住んでいる略奪者たちは〔神の〕怒りを受けるであろう。注解者たちはゼパニヤがエルサレムのいろいろな地域に通じていることに驚き、このことを彼が王族の一員であり、エルサレムで育ったことの新たな証拠としてあげている。

〔10、11節に〕描かれた経路は、北方から町に侵入した侵略者たちがふつうとる経路の一つである。魚の門は北側の城壁の一部であり、ツロの商人が干物の魚をそこに運んできたところからそのように呼ばれていた。魚の門の西に少し行ったところの城壁の内側が「第二地区」であり、エルサレム防衛上の弱点とみなされ、しばしば補強されていた。ゼパニヤと同時代の女預言者ホルダはこの地域に住んでいた。列王紀下22:14参照。

『しっくいの家』あるいは『くぼんだ所』はおそらく、上町と宮の丘のあいだにあるチロペオンの谷の両側にある山によって形づくられた自然のくぼ地をさすのであろう。この場所は北から攻めてくる者たちの侵略を受けやすかづただけでない。その名は侵略時にそこで何が起こるかをよく表わしている」(バンドルソン「あなたの預言者を支援せよ』95、96ページ)。

悩みに対する答え(ゼパ1:4~8)

神はなぜユダを罰せられたか「もし人が罪に執着するなら、その人は罪と一体となる。そのとき罪を滅ぼす神の栄光は、当然その人も滅ぼしてしまうのである」(「各時代の希望』上巻110ページ)。

質問7

キリストの再臨において「犠牲」となることを免れるただ一つの方法は何ですか。エペ2:8~10

神はキリストを信じるすべての人に無償で救いの恵みをお与えになります。悔い改めない罪深い行為は私たちからこの恵みにあずかる機会を奪います。しかし、良いわざもまた私たちを救うことはありません。私たちはキリストに対する信仰によってのみ神の恵みを受けることができるのです。恵みによって救われた私たちは、「神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである」(エペ2:10)。

ゼパニヤの時代の人々にとって、悩みから解放される道は信仰と恵みによって主との関係に入ることでした。もし彼らが申命記6:4~6の勧告を覚えて、これに従っていたなら、彼らは決してバビロニヤ人の手によって滅ぼされることがなかったでしょう。今日の私たちの悩みに対する答えもこれと同じです。

質問8

ゼバニヤ書1:14~18は主の日についてどんなことを教えていますか。

質問9

ゼパニヤ書1:18にはどんな厳粛な勧告が含まれていますか。

この物質主義の時代にあって、多くの人は富に対する強い欲望を持っています。しかし、どんな金持ちであってもほかの人と同じく病気、事故、死を免れることはできません。金持ちも貧乏人もみなキリストの恵みによってのみ救いにあずかることができます。富は神に対して何の価値も持ちません。イエスは弟子たちにこのことを教えようとされました(マタ6:19、20参照)。主は富める人も貧しい人もひとしく救おうと熱望しておられます。

まとめ

ゼパニヤはイスラエルと周辺諸国に対して、来るべき主の日について警告しました。この主の日における滅びは、終わりの時における大いなる主の日の滅びを予示していました。信仰と恵みによってイエスとの関係を保持するとき、私たちは現在と将来における救いを保証されます。

*本記事は、安息日学校ガイド1992年1期『今は備えの時である』からの抜粋です。

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