【士師記】悔い改めと性急【10〜12章解説】#8

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中心思想

神の民が悔い改めて、神の契約に立ち返る時、神は彼らのために当初からの計画を実行してくださいます。神の目的のための熱意は霊感に満ちた積極的な力ですが、性急は破滅的なものです。

約束

ある父親が息子に遊びに連れて行ってあげると約束します。しかし、そのことを予定表に書きませんでした。約束の日が来ましたが、父親は忘れたままです。しかし、息子は覚えています。

花嫁は「死に至るまで愛し、敬い、大切にする」と約束します。しかし、心の中では、物事が期待どおりに行かなかったなら、離婚して別の人と再婚してもいいと思っています。

宴会の最中に、王が娘にほしい物は何でもあげると約束します。母親にそそのかされた娘は、伝道者の首を盆にのせて持ってくるように要求しました。「王は心を痛めたが、誓ったことであるし、また客の手前、それを与えるように命じ、人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた」(マタ14:9、10)

約束にも問題があります。守らなければ困りますし、守っても困ることがあります。性急な約束は、そもそもすべきではありませんし、不利な状況をもたらします。エフタもそのために窮地に陥りました。彼は約束しますが、そのために娘の生命が危険になるとは考えませんでした。

Ⅰ.悔い改め(士師記10章6節〜16節)

またやってしまいました。イスラエル人は主を捨て、シリア、シドン、モアブ、アンモン、ペリシテの異教の神々と同盟を結び、これを礼拝します(士師10:6)。そこで、主は彼らをペリシテ人とアンモン人の手に「売り渡され」ました(7節)。

主がペリシテ人とアンモン人に、イスラエルを圧追するのをお許しになったのはなぜだと思いますか。次の答えの中から最も適当なものを選んでください。

1.西からはペリシテ人、束からはアンモン人と、イスラエル人は両側から攻撃を受けることになりました。

2.イスラエル人は、ペリシテ人とアンモン人の神々を拝み、両者の手によって苦しめられますが、これもまた悪事に見合った主の刑罰の例です。

3.このようにして、主はペリシテ人とアンモン人の神々をイスラエル人にとって憎むべきものとされました。

4.別の答え

5.上の答えすべて

主は士師記10:10〜16で直接イスラエル人の背信を責めておられます。これを先の例と比較してください(士師2:1〜5、6:7〜10)。次の点に関してどんな共通点と相違点を見ることができますか。

(1)イスラエルの民に語っている人物
(2)過去の歴史と現在の反逆に関する告発
(3)希望の機会(また、その欠如)
(4)民の反応

主は士師記10:14で、民が主を捨てたので、主も当然彼らを捨てたのであると断言しておられます。「あなたたちの選んだ神々のもとに行って、助けを求めて叫ぶがよい。苦境に立たされたときには、その神々が救ってくれよう」。しかし、民はあきらめませんでした。彼らは心から自らの罪と神の刑罰の正当性を認めます(15節)。それ以上に、彼らは行動によって自らの誠意を証明します。すなわち、彼らは異国の神々を捨て、主に仕え始めました。彼らは積極的に主の勧告に従ったので、主の助けにあずかることができました(16節)。

Ⅱ.エフタ(士師記10章17節~11章11節)

イスラエル人が再び主に立ち返った時、アンモン人の圧迫者たちも再び姿を現してきました。イスラエル人は今、戦いを指揮する人を求めていました。それにふさわしいのはだれでしょうか。士師記はこの問題にはふれず、エフタに関する、あまり関係のない背景を説明します(士師11:1〜3)。しかし、アンモン人の脅威が再び現実のものとなると、エフタが救助者として迎えられます(4〜11節)

エフタは遊女による非嫡出子でした(士師11:1)。彼が社会的に不利な状況から指導者に選ばれたのはどのようにしてでしたか。

士師11:2、3

左利きのエフド(士師3:15)や、最も弱いマナセ族の中でも最も下位の者であったギデオン(士師6:15)と同じく、エフタも不利とみなされる状況下にありました。しかし、エフドの場合と同じく(士師3:16、21)、これはエフタにとって有利な状況になります。

エフタの父の嫡出子たちは、エフタの受けるべき遺産を手に入れるためにエフタを追放しました(士師11:2)。トブの地で身を立てながら、エフタはならず者の首領になります(3節)。こうして、アンモン人との戦いのために、経験のある指揮官が必要となった時、エフタは当然、候補にあげられます(4〜6節)。

ギレアド(ギレアデ)の長老たちはどのようにエフタを説得し、彼をイスラエル人の指揮官にしましたか。

士師11:6〜11

エフタはギレアドから追い出されていたので、相当な報酬がない限りギレアドの人々のために生命を危険にさらすようなことをする気はありませんでした(士師11 :7)。そこでギレアドの人々は、エフタをアンモン人と戦う軍隊の指揮官にすると約束しただけでなく(6節)、彼をギレアドの頭にするとまで約束します(8節)。エフタはこの条件を受け入れ、イスラエル人が集まっていたミツパ(ミヅパ)において(士師10:17)、主の前で厳粛に契約を結びます(士師11:9〜11)。

Ⅲ.和解交渉(士師記11章12節〜27節)

エフタはすぐに戦いに突進するのではなく、外交によって戦いを回避しようと努力しました。アンモンの王は、イスラエル人がエジプトから出て来た時に、アルノン川とヤボク川の間の土地をアンモン人から奪ったと主張し、それを返還せよと迫りました。

アンモンの王の要求はどの程度真実でしたか。

士師11:13〜22、民数21:21〜30

イスラエル人がこの土地を奪ったのは、アモリ人の王シホンからでした。シホンはそれをモアブから奪っていました(民数21:21〜30)。エフタの時代には、アンモンの王がモアブの代表者であると主張していたようです。モアブ人はエフドとイスラエル人の手によって敗北し、弱体化していたので(士師3:28〜30)、アブラハムの甥のロトによって親戚関係にあったアンモン人(創世19:36〜38)と一時的に同盟を結んでいたと思われます。

たとえアンモンの王が、一時その土地を所有していたモアブ人の正統な代表者であったとしても、イスラエル人がその土地を奪ったのはアンモン人からではなく、アモリ人の王シホンからであると、エフタは主張しました(士師11:14〜23)。

エフタの次の言葉はどんなことを意味していますか。「あなたは、あなたの神ケモシュが得させてくれた所を得、わたしたちは、わたしたちの神、主が与えてくださった所をすべて得たのではなかったか」(士師11:24)。

当時は、このような紛争を仲裁してくれる国際連合のようなものはなかったので、エフタは神がイスラエルと他国との境界を定められたという原則(申命32:8)に従って、神の審判に訴えました(士師11:27)。イスラエル人がエジプトから出て来た時、神はこの原則によって彼らを導き、親戚関係にあるモアブ人やアンモン人と戦うことを禁じておられました(申命2:9、19)。

エフタがあらゆる民族に対する神の主権を理解していたかどうかはわかりませんが、いずれにしても、彼は外国の支配者にもわかる方法で説明しています。ケモシュ(ケモシ)はモアブ人の神でしたので(民数21:29)、エフタはアンモンの王にモアブの支配者として語っています。

Ⅳ.勝利のための誓い(士師記11章28節~40節)

アンモンの王がエフタの言葉を受け入れなかったので、エフタは主の霊に促されて、行動を起こします。彼はギデオンと同じように、敵から攻撃される前に敵を攻撃しました。

エフタがあのような誓いをしたのはなぜですか。

士師11:30、31

エフタは神の前でなされた約束の確実性を信じていました。彼はそれまでの不安定な生き方のゆえに、人間に信頼せず、神だけがお与えになる確かさを求めるようになっていたのでしょう。いずれにしても、彼が進んでイスラエル人を指揮する気になったのは、主の前でなされた約束のためでした(士師11:10、11)。

エフタは保証の必要性を感じました。彼はしるしを求める代わりに、もし主が勝利を与えてくださるなら、自分が帰宅した時に出迎えてくれる者を焼き尽くす献げ物(蟠祭)とすると誓います。

彼の誓いはどんな結果をもたらしましたか。

士師11:34〜40

驚いたことに、エフタを出迎えたのは彼の一人娘でした。神はエフタに勝利を与えることによって条件を満たされました。今度は、エフタが自分の誓いを守る番でした。殊勝にも、彼の娘は反抗せずに(創世22:9比較)、あと2か月だけ生きながらえさせてくれるように頼みます。それから、エフタは「立てた誓いどおりに娘をささげ」ました(士師11:39)。この時点で、たぶん恐怖感からでしょうが、聖書は事件を具体的に描写することを避けています——エフタは娘を焼き尽くす献げ物(蟠祭)として捧げたのでした(31節)。もちろん、彼は娘を生きたまま焼いたわけではありません。まず刃物で殺していたはずです(創世22:10比較)。

どこがいけなかったのでしょうか。主はすでにエフタと共にいてくださいました。エフタは急いで誓う必要がありませんでした。いずれにしても、神は彼に勝利を与えておられたはずです。誓いは信仰の足りなさを示していました。また、ひとたび誓いがなされ、娘が捧げられることになったのなら、アブラハムがイサクの代わりに主から与えられた雄羊を捧げたように(創世22:13、14)、娘の代わりに動物を捧げるべきでした。神は人間の犠牲を要求したり、承認したりなさいません(申命12:31)。それはエフタの敵であるアンモン人(レビ18:21-列王上11:7比較)やモアブ人(列王下3:26、27)によってなされていた行為でした。

Ⅴ.敵となった友(士師記12章1節〜7節)

エフライムの人々はかつて、ギデオンがミデイアン人を打ち破った時に彼を悩ましています(士師8:1)。彼らの子孫はブタがアンモン人を打ち破った時に彼を悩ましました。

ギデオンがエフライムの人々から受けた苦しみと、エフタがエフライムの人々から受けた苦しみとを比較してください。両者の間にはどんな共通点・相違点がありますか。

どちらの場合においても、「エフライムの部族は好意的には描かれていない。彼らは圧迫された時には受動的であり、他人が先頭に立って勝利を収めた時には尊大であった」( 「SDA聖書注解』第2巻379ページ)。エフライムの人々は、ミデイアン人が敗走しだすと、ギデオンの招きに応じましたが(士師7:24、25)、エフタに対しては全く手を貸しませんでした(12:2)。エフライムの人々は、ギデオンとは論争していますが(8:1)、エフタに対しては軍隊を集結しています(12:1)。エフライムの人々は、ギデオンが語った時、すなおに引き下がっていますが(8:3)、エフタに対しては侮辱しています(12 : 4)。

エフタが戦ったのはなぜですか。士師12 : 4 〜6
次の答えの中から最も適当なものを選んでください。

1.挑発は見過ごしにできないほどひどいものでした。

2.エフタは自分の誓いのゆえに娘を失うという厳しい試練を味わっていました。娘を失うことだけでもつらいのに、彼の子孫は絶えてしまうのでした。エフライムの人々の不条理な言動に対する彼の忍耐は限界にきていたことでしょう。

3.エフライムの人々はエフタとギレアドの人々を攻撃しようとしていたので、エフタは効果的に自らを守りました。

4.別の答え

5.上の答えすべて

士師記はイスラエルの各部族の協力をもって始まっています(士師記1:1〜3、22、「ヨセフの一族」とはエフライムとマナセのこと)。彼らはまたバラク(士師5:14、15、18)とギデオン(7:23 〜25)のもとで協力しています。しかし、部族間の問題が無関心へと(士師5:15〜17)、次に論争へと(8:1〜3)、そしてついには戦争へと(12:1〜6)発展していきます。イスラエル人は互いに敵同士となります。

まとめ

イスラエル人が神との関係の妨げとなる障害物を捨てて、再び神に立ち返った時、神は彼らをゆるし、再び憐れみをもって彼らを助けられました。彼らをアンモン人から救うために、神はエフタを指導者としてお立てになりました。エフタは主に熱心な人でしたが、極度の緊張の中であまり賢明でない方法で神からの保証を求めました。それは信仰から出た行為ではありませんでした。神の御名を汚す性急な誓いは守るべきではありません。

*本記事は、アンドリュース大学旧約聖書学科、旧約聖書・古代中近東言語学教授のロイ・E・ゲイン(英Roy E. Gane)著、1996年第1期安息日学校教課『堕落と救いー士師記』からの抜粋です。

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