【雅歌】宝石の陳列箱【1章,2章,4章解説】 #3

目次

霊的メッセージを伝える手段としての詩歌

詩歌は,聖書記者たちが聖なる真理の深い思想を伝えるために用いた主要な文学形式のひとつです。その簡約された思想,その律動的な思想,絵のような心象,多彩な表現のゆえに,聖書の詩歌は高尚な感情を生み出す新鮮さと快活さを持ち,想像力を喚起し,そのメッセージを長く記憶にとどめさせてくれます。

この詩歌はしばしば章楽に合わせて歌われました。詩歌は散文に- ない効果を持ちます。ですから音楽に合わせて歌われるとき,それはより高い次元のものとなり,人の心と魂を喜ばす新しい芸術となるのです。ソロモンの雅歌もそうでした。雅歌の最初の一節を見れば,それがソロモンの歌の中で最高のものであったことがわかります(英語聖書では,「歌の中の歌」となっている)。

雅歌は愛の歌なので,詩の形式がその内容を伝えるうえで最もふさわしいものです。私たちの天の花婿であるキリストに言及するとき,聖書記者たちはしばしばその賛美と賞揚の手段として詩歌を用いています。私たちの愛する主に対する愛を表現するためには,通常の言葉では不十分です。

Ⅰ. ソロモンの最高の歌

雅歌はどんな文学的形式で,だれによって書かれましたか。

雅1;1,5,3:7,9,11,8;11,12

イスラエルの賢明で有能な支配者ソロモンによって書かれた1 005 首の歌(列王上4:32)の中でも,雅歌は最高のものであるといわれています。植物,動物,宮廷生活,ソロモンという名前への言及,それに王の求愛と結婚というテーマそのものから,ソロモンが著者であることを示しています。雅歌5 :10〜16に関連して,エレン・ホワイトはソロモンが「霊に感じて」それを書いたと述べています(『思いわずらってはいけません』64ページ)。

「古代の預言者の学校における主要な科目の中で,聖歌と聖楽は高い位置を占めていた」(「S DA聖書注解』第3巻17ページ)。

歌うことは私たちを神と人とに近づける「教育の一つの手段として歌の価値を見おとしてはならない。家庭で,美しい純潔な歌がうたわれるとき,人をとがめだてる言葉は少なくなり,快活さと希望と喜びの言葉が多くなる。学校で歌がうたわれるとき,生徒たちは神と教師にますます近づき,また互いに親しみを加える」(『教育』198ページ)。

聖書はどんな輝かしい愛の歌をもって結ばれていますか(黙示19:5〜8)。それはだれによって,だれにささげられていますか。

「われわれのあがないの価は,あがなわれた者たちが救い主とともに神のみ座の前に立つまではわからない。そこで永遠のみ国の栄光が,歓喜しているわれわれの目の前に突然現われるとき,われわれはイエスがわれわれのためにそうしたすべての栄光をお捨てになったことや,また天の宮廷からのさすらい人となられたばかりでなく,われわれのために失敗と永遠の損失という危険をおかしてくださったことなどを思い出すのである。そのときわれわれは冠をイエスの足下に投げて,『ほふられた小羊こそは,力と,富と,知恵と,勢いと,ほまれと,栄光と,さんびとを受けるにふさわしい」との歌声をあげるのである(黙示録5:12)」(「各時代の希望』上巻146ページ)。

◆ 歌うことは失望や試練のときにどんな効力がありますか。歌が礼拝において重要な役割を果たすのでしょうか。今日から家庭礼拝で歌うように計画してみましょう。友だちを誘ってみてください。

Ⅱ. 雅歌の主役たち

雅歌は「その内容のすべてが語り手たちによって語られている唯一の聖書の書巻である」(『インターフ°リターズ・バイブル』第5巻92ページ)。

雅歌にはおもにどんな人たちが登場しますか。

(1)5 〜7 ,3 :1 〜4 ,6 :1 3
(2)1:8,9,15,4:1

女性の語り手は雅歌6:13で「シュラムの女」と呼ばれています。シュラムとはこの女性の出身地の村のことであると思われます。メギドの東,約11キロのところにあり,イッサカルの部族に割り当てられたシュネムの地(ヨシ19:18)は,4世紀には「シュラム」と呼ばれてはいましたが(『SDA聖書辞典』1011ページ),ソロモンの時代(前950年頃)にシュラムと呼ばれていた地方はありませんでした。雅歌には,ソロモンが主役になる女性に求愛したこと,またこの女性が北方の家庭の出身であることを示しています。それは,レバノンとその山々についての言及がいくつか見られることからわかります(雅4:8以下)。

ある学者は,「シュラムの女」と訳されている言葉が「ソロモン」という名の女性形だと指摘しています。この解釈は,女性をソロモンの相手役・対等の人とする雅歌の描写と一致するかもしれません。この言葉はむしろ「ソロモン夫人」とでも訳すほうがふさわしいのかもしれませんが,ここではより個人的な「シュラムの女」という呼称を用いることにします。男性の語り手であるソロモンは,彼女を「わが愛する者」,「わが花嫁」,「わがはと」と呼んでいますが,同時に「わが妹」とも呼んでいます(雅4 : 9 , 1 0 , 1 2 , 5 : 1 ) 。これはほかの古代近東の詩歌にも出てくる恋人に対する愛情をこめた呼び方です。一方,女性は相手をソロモンと言ったり,「王」と呼んだりしていますが,多くの場合,「わが愛する人」と呼んでいます。

質問4ほかにどんな人たちが出てきますか。雅1:5,2:7,3:11

◆雅歌には個人の名前がほとんど用いられていませんが,これはなぜだと思いますか。愛称を用いることにはどんな効果がありますか。それは私たちの家庭を幸福にしますか。

Ⅲ. 語り手と詩の形式

最近の聖書は一般に,雅歌全体を語り手によって区分しています。しかし,そうでない場合でも,用いられている言葉を注意深く観察すると,男女の語り手を見分けることができます。

あなたの聖書を語り手によって区分してみましょう。最終的に区分することがむずかしい場合はカッコでくくってあります。1:4は1行目a, 2行目をb,…6行目をfなどとしてあります。

シュラムの女1:2〜4a, 4c, 4f〜7, 12〜14, 16, 2: 1,3〜3:5,4:16,5:2〜8,10〜16,6:2,3,11,12,13後半, 7:10(英語訳では9節後半から)〜8:4, 5後半〜7, 10〜12, 14

ソロモン1:9〜11,15,17,2:2,(3:6〜10), 11, 4 : 1〜15,5:1前半,(1後半),6:4〜10, 7:1〜9, 8:(5前半),13

エルサレムの娘たち1:4b, 4d, 4e, 8, 5:(1後半), 9 ,6 :1,

シュラムの女の兄弟たち8 :8 ,9

友人たち(3:6〜10),6:13,(8:5後半)


◆ 語り手がだれであるかを知ることは雅歌を理解するうえでどんな役に立ちますか。

思想のリズム ほかのヘブル詩もそうですが,ソロモンの雅歌はパラレリズム(対句法), つまり「形式と意味における釣合のとれた対称」によリズムを保っています。これは「思想のリズム」と呼ばれています( 「S D A 聖書注解』第3 巻2 3 ページ) 。その形式のひとつが,一対の思想がいわば音声とそのこだまのように配列されるもので,これは同義的対句法と呼ばれます。

次の各聖句は同義的対句法なっています。それぞれの聖句における「こだま」の部分をさがしあててください。

雅2:8「見よ,彼は山をとび,丘をおどり越えて来る」「わが愛する者よ,あなたはことごとく美しく」
雅4:7「わが愛するものよ, あなたはことごとく美しい」
雅7:1 2 「ぶどうの花が咲いたか」

対句法はほとんど無限とも言える多様性を持っています。その一例として,聖句同士の対句法(1:13,14),思想を拡大あるいは完成させる対句法(2:6),そして対照的な対句法(8:9)に注目してください。

Ⅳ. 自然界からの例話

この詩の目立った特徴は自然界を背景として用いていることです。

自然界の動植物に言及している次の聖句を見てください。それらはどんな役割を果たしていますか。その効果はどこにありますか。

雅2:1,2,8,9,4:12〜15

自然界の動植物などは,詩人が人間の性質を描写するうえでどんな役に立っていますか。キリストの教えと比較してください。

ゆり(雅2:1,2)
かもしか(雅2:8, 9)
はと(雅2:14)
太陽と月(雅6:10)

思いを神に向ける ソロモンは自然科学についての広い知識を持っていました。動物,植物,庭園,果樹園,ぶどう園,香料,香水,宝石などについての描写は,だれにもよくわかるものです。それ以上に,雅歌における自然描写は人の思いを神に向けさせてくれます。

詩篇作者も創造主のみ手のわざに対してどんな感謝と喜びの念を表明していますか。

詩104 : 24〜26, 33, 34

「自然には驚くべき真理がひそんでいる。天,地,海のどこにも真理が満ちあふれている。こうした自然がわたしたちの教師である。自然は,天からの知恵と永遠の真理のことばをわたしたちに語りかける。しかし,堕落した人間はそれをさとらない。罪が人の視覚をくもらせたので,自分の力だけでは,自然を神以上の力あるものと考えるほかない。神のことばを受けいれないものは,どんな正しい教えに接しても深い感銘を受けることはできない」(『キリストの実物教訓』83ページ)。

◆ 神は私たちに自然界から何を学ぶように意図されましたか。自然界から学ぶことが人によって異なるのはどうしてですか。この詩に用いられている自然界についての描写は詩人について何を語っていますか。

Ⅴ. 雅歌に用いられている象徴

比喩の使用 ソロモンの雅歌はしばしば, 事物や考えの共通点・類似点を示す直嚥や隠嶮,言葉や句を用いています(雅2:2,9 参照)。このような象徴を多く用いることによって,雅歌の文学的価値は高まり,また著者も夫と妻の親密な関係を繊細に表現することができるようになります。

小さなたとえ話 雅歌に用いられている各種の比較は,意味を持った小さなたとえ話です。その象徴の意味を理解することは雅歌全体のメッセージを理解することにつながります。想像力を働かせること,前後関係や聖書のほかのたとえに注意することが,これらのたとえの意味を理解する助けになります。

次の比嚥がどんなことを意味しているか考えてください。それは何によってわかりますか。

「わたしは自分のぶどう園を守らなかった」(雅1:6)。
「あなたの名は注がれたにおい油のようです」(雅1 :3)。
「わが魂の愛する者よ,あなたはどこで,あなたの群れを養い,昼の時にどこで,それを休ませるのか」(雅1 :7)。

イエスはどんな方法によって人々の心をとらえられましたか。

マタ13:13,34

実物教訓によって真理を伝える「キリストが語ろうとされる真理に対して,人びとの側では受けいれる準備もなければ,理解することさえできないことがあった。キリストがたとえを用いてお教えになったもう一つの理由はこれであった。また,その教えを人生の実際のできごとや経験や自然界と結びつけて,人びとの注意をひき,深い感銘をお与えになった。キリストの教えの例としてあげられたものを,人びとがあとで見たときに,彼らは,天からの教師イエスのことばを思い出した。こうして聖霊の働きに対して開かれている心には,救い主の教えの意味がますます明らかに示された」(『キリストの実物教訓』5ページ)。

◆ もしあなたがイエスのたとえを聞いていたなら,彼の教えを受け入れていたでしょうか。それともそれを軽べつしていたでしょうか。あなたはどんな基準によって物事の真偽を判断しますか。

まとめ

神はソロモンの雅歌を通して私たちに豊かな恵みを与えてくださっています。神は愛についての数々の真理を美しい言葉で教えておられます。王の王であられる神についての真理が地上の王によって教えられています。あたかも職人が貴重な宝石を丹念に磨き上げ,それを美しい宝石箱に入れてささげるかのようです。雅歌の詩そのものは神の恵みについて,また私たちに結婚,家庭,家族について教えてくださる恵み深い神について語っています。神は私たちに豊かに,つまり押し入れ,ゆすり入れ,あふれ出るまでに量をよくして与えてくださるのです。

*本記事は、1992年第4期安息日学校教課『雅歌 愛の歌』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

よかったらシェアしてね!
目次