「サマリヤ」ってなに?【聖書に出てくる言葉】

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「サマリヤ」ってなに?

「サマリヤ」ってなに?

サマリアは三方が山で囲まれ、周辺の平原はオリブ畑と広い穀物農場の極めて美しい景色が見られる高さ100メートルの丘の上にあり、壮麗であるばかりでなく、戦略上も指令的な役目を果たすことができる難攻不落の要害でした。イスラエルの6代目の王オムリはティルツァから都をサマリアに移し、以来、北王国の首都となりました(列王上 16:23、24)。シリアは戦いを仕掛けましたが、サマリアを攻略できず(列王上 20:1~21)、戦術に長けた強力なアッシリアも3年の年月を費やしてやっと占領できたほどでした(列王下 18:9、10)。紀元前 722年に陥落したとき、民の3万人が捕囚となり、バビロン、クト、アワ、ハマト……(シリア地方)の人たちが代わって町に住み着いています(17:24)。

サマリアは初めから偶像礼拝の中心でした。アハブの妻イゼベルはバアル礼拝を取り入れ(列王上 16:31、32)、アシラ神は公金をもって維持されました(18:18、19)。こうした異教の宗教はイスラエルに多くのもっとも低俗で、不道徳な習慣を植え付けました(ホセ 4:1~14)。王も祭司も民も、この宗教に染み、預言者たちは次々に立ってこの堕落した偶像礼拝を非難したのでした。

アッシリア、バビロン、ペルシャと支配者が変わりましたが、サマリアはこの間に他民族と共存、結婚したことから、ユダヤ民族はサマリアの人たちを「半異教徒」として軽蔑しました。ユダヤ民族がバビロン捕囚から帰還し、エルサレム神殿を再建しようとしたとき、サマリア人は協力と援助を申し出ましたが、ユダヤ人は断固拒絶しました。仕方なくサマリアの人たちはゲリジム山に礼拝の場所を造って、ユダヤ人と対立しました。キリスト在世当時のユダヤ人のサマリアへの嫌悪感はひどいもので、ユダヤからガリラヤへの旅も、サマリアの土地を通らず、わざわざペレアに迂回して行くほどでした。

*この記事はレオ・R・バンドルフ『アモス書―主を求めて、生きよ』の抜粋です。

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