キリストから離すもの【マルコによる福音書4章1節―20節】

この記事は約2分で読むことができます。

今日の聖句はこちら(口語訳)

マルコによる福音書4章2節―20節

4:2イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、 4:3「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。 4:4まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。4:5ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 4:6日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 4:7ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。 4:8ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。 4:9そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。

4:10イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。 4:11そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。

4:12それは

『彼らは見るには見るが、認めず、
聞くには聞くが、悟らず、
悔い改めてゆるされることがない』ためである」。

4:13また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。 4:14種まきは御言をまくのである。 4:15道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。 4:16同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、 4:17自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 4:18また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、 4:19世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。 4:20また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。

マルコによる福音書4章2節―9節には、種まきのたとえ話が出てきます。

4つの場所に種が蒔かれました。道端、石地、茨、そして良い土地に、種は蒔かれます。これらはそれぞれの心の状態をあらわしていました。

道端は、サタンにみ言葉をすぐに奪われてしまう人や神のみ言葉に関心がない人を象徴していいます。つまり、彼らは初めから興味がありませんでした。

石地は、喜んで受け入れますが、自分の中にしっかりと根が張っていないので、困難があるとすぐつまずいてしまう人です。自分の信仰ではなく、まわりに流されている人を象徴していました。

茨は、み言葉を聞きますが、世俗的な生活から離れない人です。

最後に良い土地は、み言葉を聞いて、自分自身の生活にも聖霊の実となってその変化が現れる人をあらわしています。

4:16同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、4:17自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 4:18また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、 4:19世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。マルコ4:16-19(口語訳)

実は「茨の中に落ちた種」と「石地に落ちた種」は同じような問題を抱えていました。

「世の心づかい」は原語では「気にする、心配する、ケアする」という意味があります。どちらも、何かを心配し、心が奪われていました。それが迫害なのか、経済的な心配なのか、さまざまな困難なのかは違えども、キリスト以上に何かに気をとられていたのです。

悩みは少しずつ、わたしたちを気づかないうちにキリストから引き離してしまいます。悩んでいるうちに、み言葉やキリストの思いがどこかへと行ってしまうのです。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

よかったらシェアしてね!
目次