わたしは「ある」【マルコによる福音書6章47節―56節】

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今日の聖句はこちら(口語訳)

マルコによる福音書6章47節―56節(口語訳)

6:47夕方になったとき、舟は海のまん中に出ており、イエスだけが陸地におられた。 6:48ところが逆風が吹いていたために、弟子たちがこぎ悩んでいるのをごらんになって、夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らに近づき、そのそばを通り過ぎようとされた。 6:49彼らはイエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。 6:50みんなの者がそれを見て、おじ恐れたからである。しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。 6:51そして、彼らの舟に乗り込まれると、風はやんだ。彼らは心の中で、非常に驚いた。 6:52先のパンのことを悟らず、その心が鈍くなっていたからである。

6:53彼らは海を渡り、ゲネサレの地に着いて舟をつないだ。 6:54そして舟からあがると、人々はすぐイエスと知って、 6:55その地方をあまねく駆けめぐり、イエスがおられると聞けば、どこへでも病人を床にのせて運びはじめた。 6:56そして、村でも町でも部落でも、イエスがはいって行かれる所では、病人たちをその広場におき、せめてその上着のふさにでも、さわらせてやっていただきたいと、お願いした。そしてさわった者は皆いやされた。

先のパンのことを悟らず、その心が鈍くなっていたからである。マルコ6:52(口語訳)

このとき、弟子たちは失望していました。当時、メシアである証拠の一つとして、「パンを与えてくれる」ことが信じられていました。

そのために、パンを奇跡で増やし、人々に分け与えるキリストの姿はまさにメシアそのものだったのです。メシアを待ち望んでいた貧しい人々にとって、キリストはすぐにでも王になってほしい人物でした。だからこそ、弟子たちはパンを配られる姿を見て、ついに王となる時がきたのではないかと思ったのです。

6:14人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人こそ世にきたるべき預言者である」と言った。6:15イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。ヨハネ6:14-15(口語訳)

最も人々がキリストを王にしようと動いたとき、キリストはその場から群衆を解散させ、1人山へと退かれます。これを見た弟子たちは絶好のチャンスを逃したと思い、失望し、キリストに対する不信を持ち、心が鈍くなり、嵐の中でキリストを見失っていきました。

6:48ところが逆風が吹いていたために、弟子たちがこぎ悩んでいるのをごらんになって、……6:50イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。マルコ6:48,50(口語訳)

キリストは言われます。「私である」。これはこのようにも訳せる言葉です。「私はある」。

モーセに神は「わたしはある」というものだと言われました(出エジプト3:14)。ヘブライ語で神の名前は「ヤハウェ」です。この「ヤハウェ」は動詞「ヤハー」の変化した形と考えられ、「永遠のもの」「自存するもの」または「永遠に生きるもの」という意味があります。

わたしたちは神に勝手に期待をして、神の思いとは異なることを願うことがあります。そして、わたしたちは時に、神に対して失望してしまうときがあるのです。それでも、永遠に生きられる神は変わることなく、その名前のとおり、わたしたちのそばにおられるのです。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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