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マルコによる福音書10章11節―21節(口語訳)
10:17イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。 10:18イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。 10:19いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。10:20すると、彼は言った、「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。 10:21イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。 10:22すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
金持ちの青年の問題点
この金持ちの青年にキリストは「あなたに足りないことが一つある」と言われました。
この言葉は、原語では「一つのことがあなたを目的のところにいたらせなくしている」というニュアンスがあります。たった一つのことが彼を阻んでいました。それがお金だったのです。
しかし、お金は目に見えるわかりやすいもので、彼の問題はお金以上のものがありました。
彼の最大の問題は自己愛でした。言い換えれば、プライドや自我だったのです。
イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。マルコ10:17(口語訳)
ここに彼の問題がはっきりと出ています。
彼はキリストのことを「よき師よ」と呼んでいることがわかります。
彼はキリストをメシアとは認めていなかったのです。それをキリストは指摘をして、18節でその真意を確かめられました。
実はメシアを、キリストを彼は必要としていなかったのです。あくまで、「自分の力で解決できる」と思っていました。だからこそ、「何をしたら良いでしょうか」と聞いているのです。
それを受けてキリストは、彼に世俗と自分を愛する心を捨てるようにと言われました。彼の弱さを指摘されます。
もし、ここで彼が自分のプライドを捨てて、「神、わたしは全てのお金を捨てることはできません」と言ったならば、その後の展開は変わっていたかもしれません。
というのも、キリストは「彼の行動」によって救われるとは思っていなかったからです。
天国に最も近いと思われていた人が入れない
10:25富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。 10:26すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。マルコ10:25,26(口語訳)
「ラクダが針の穴を通る方が優しい」という慣用表現で、お金持ちが天国に入ることの難しさをキリストは言われます。
これはお金を持っていないと天国に入りやすいという単純な話をしているのではありません。
もちろん、お金が神さまとの関係の障害になる場合もありますが、お金が問題ではないのです。
26節にあるように、当時、金持ちは神からの祝福を受けていて、もっとも天国に近いと考えられていました。
その最も天国に近いと言われていた人物に対して、キリストが天国に入ることは難しいと言われたので、「だれが入れるのか」と弟子たちは肝をつぶしたのです。
だれが天国に入れるのか? という質問の答え
青年の問題はプライドと自分の力で解決しようとしたことでした。青年がもし、イエスを救い主と認め、わたしにはできませんとなっていれば、事態は変わったことでしょう。
彼の最大の問題は、実はキリストを救い主と認めていなかったことだったのです。
のちにパウロがこのときと同じような質問を受けますが、彼はこう答えます。
「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。
ふたりが言った、
「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。使徒行伝16:30,31(口語訳)