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マルコによる福音書13章14節―30節(口語訳)
13:14荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。13:15屋上にいる者は、下におりるな。また家から物を取り出そうとして内にはいるな。 13:16畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。 13:17その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。 13:18この事が冬おこらぬように祈れ。 13:19その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。 13:20もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである。 13:21そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、あそこにいる』と言っても、それを信じるな。 13:22にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。13:23だから、気をつけていなさい。いっさいの事を、あなたがたに前もって言っておく。
13:24その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、 13:25星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。 13:26そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 13:27そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
13:28いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。 13:29そのように、これらの事が起るのを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。 13:30よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。
戻らない
火事から逃げるときの基本の1つは「戻らない」です。
いや—、当たり前じゃないですか
そう言う人もいると思いますが、本当に戻りませんか?
もし、火事になって逃げたときに、これがなかったら、思わず戻ってしまう。みなさんは、本当にそんなものが何もないですか?
13:14荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。13:15屋上にいる者は、下におりるな。また家から物を取り出そうとして内にはいるな。 13:16畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。マルコ13:14—16(口語訳)
「もどるな」は原語では「方向を変える」という意味で、回心のニュアンスがあります。でも、ここでは良い方向に変えたわけではありません。
「上着を取りに」の「取りに」という表現は原語では「欲におぼれる時に使われる」表現となっています。
つまり、今まで神の方向を向いていたのに、土壇場で欲におぼれ、方向を変えて戻ってしまう人がここで登場するのです。
上着は当時、1つの財産でした。神よりも財産が、自分の命よりも自分のものが大切になってしまった人。そんな人がここで出てきます。
世俗に麻痺した心
これを見たときに、エレンホワイトの一つの言葉が思い出されます。
世俗のためにまひした心は、その愛も喜びも楽しいものとは思われない。人は、自分自身を天との交わりにふさわしくないものにすることによって天から除外されるのである
『キリストの実物教訓』396ページ
ロトとその家族を神は必死に救おうとされました。しかし、彼らは躊躇し、そしてロトの妻はついにそのために滅びてしまったのです。
同じことが終わりの時代にも起きます。
もし、わたしたちがキリストではなく、世俗に心がひかれているのであれば、今は神の方を向いていても、土壇場で方向を変えてしまう可能性があるのです
わたしたちは日々、キリストの方に心がひかれている必要があります。
心が長い間世俗のことばかりに捕らわれていると、思考の習慣を変えることが困難になります。神の都に入り、栄光のイエスを仰ぐ者になりたいと願うならば、キリストのみ言葉と品性を度々わたしたちの思考と会話のテ—マとし、特に毎日一定の時間をこれらの聖いテ—マについて祈り、また瞑想するためにささげなければなりません。
『青年への使命』 30章 生きた信仰