神義論とは何か|ヨブ記が示す「なぜ苦しみがあるのか」をわかりやすく解説

目次

神義論とは何か?

神義論(Theodicy :ギリシア語のθεὸς (神)δὶκη(正義)に由来)とは「全能で善なる神が存在するのに、なぜ世界に悪や苦しみが存在するのか」を説明しようとする試みです。

なぜ、苦難が存在するのか?

「なぜ苦しみが存在するか」について、キリスト教の歴史の中で多くの神学者が答えを導き出そうとし、その中で大きく分けて2つの考えが出てきました。

それが、悪の存在が人間の成長には必要という考え方自由意志が原因であるという考え方です。

この記事では、さらにもう1つの考え方を取り上げて、神義論――「なぜ苦しみが存在するか」について考えていきます。

この記事のポイント――神義論の3つの考え

悪の存在が人間の成長には必要

「悪の存在が人間の成長には必要である」という考えで、その苦難を取り除くならば、より大きい善をもたらすことができなくなるという説です。

人の自由意志を侵害しないため

愛は自由意志を必要とするため、愛の神は人間に自由意志を与えましたが、人間はそれを濫用していきます。それゆえに、悪があるという説です。

サタンとの論争でかけられた嫌疑のため

聖書の中では、神とサタンとの間の論争が描かれていますが、それは力によって解決することができず、調査されるステップを必要とし、それゆえに一時的に悪を許さざるを得ないという説です。

この記事はこんな人におすすめ!
・なぜ、苦しみがあるのかを知りたい
・キリスト教では、苦しみをどのように考えているのかを知りたい
・神義論について学びたい

この記事は約9分で読むことができます。

悩んでいる人のイメージ画像

悪の存在が人間の成長には必要

1つめが「悪の存在が人間の成長には必要である」という考えです。

よく言われる「あの時の試練があるから、今がある」という考え方に近いでしょう。

確かに試練はわたしたちを成長させていくものであり、必要なものでもありますが、この説では成長には不必要に見える苦痛への答えにはなりません。

耐えられないような試練とは?

あなたがたを襲った試練で、世の常でないものはありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。

コリントの信徒への手紙一・10章13節

ここで言われている試練とは何でしょうか?  

この世の中には耐えられない試練が多くあるように思います。耐えなさいという言葉は、時に無情なまでにわたしたちを傷つけていきます。

興味深いことに、英語の聖書では「試練」は”Temptation”と訳されており、「誘惑」という意味になっているのです。原語のギリシャ語でも、この言葉は「罪への誘惑」という意味がある言葉が使われています。

つまり、この言葉は「神は耐えられない誘惑をあなたに与えることはない」という意味で考えたほうがより正確です。

試練のイメージ画像

人の自由意志を侵害しないため

2つめが、神は愛ゆえに自由意志を与えられたが、それを人間が濫用したので悪があるという説です。

この説も強調し過ぎると因果応報の考えに近くなってしまいますが、因果応報とは異なります。

「神は愛です」(ヨハネの手紙一・4章16節)と聖書は、はっきりと告げています。

「愛」である以上、そこには「自由」がなければなりません。愛を強制することはできないからです。愛のある関係を人間と育むために、神は悪を行う可能性を許す必要がありました。

つまり、「神は愛ゆえにご自分の力の行使や活動の範囲を制限される」のです。

参考文献はこちらをタップ

災いの問題を考えるにあたって、神はその人にふさわしいものを与え、不幸はその人のまちがった行いのゆえだというとらえ方は、それなりにすっきりしていて、そう考えたくもなる解決方法ですが、いくつかの限界があります。これまで見てきたように、その考えは、人に自分自身を責めるように教えます。根拠のない罪意識を与えてしまうのです。人々は神を憎み、あまつさえ自分自身を憎みはじめます。そして、この考え方のなにより困る点は、それが事実に反しているということです。

H.S.クシュナー(斎藤武・訳)『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』岩波書店、9〜10ページ

神は、人間のような被造物が自分や他人との愛の関係を楽しむことを望んでおり、それには悪の可能性は必要だが、悪は必要ではない

Peckham, J. C. (2018). Theodicy of Love: Cosmic Conflict and the Problem of Evil (p. 12). Grand Rapids, MI: Baker Academic: A Division of Baker Publishing Group.

神が被造物に結果的な自由を与える限り、神自身の自由はそれによって制限される。もし神が約束をし、それを必ず守るのであれば、神の行為は、神が交わしたどんな約束や契約によっても道徳的に制限されることになる。

Peckham, J. C. (2018). Theodicy of Love: Cosmic Conflict and the Problem of Evil (pp. 43–44).

主は彼のすべての約束に忠実であられる(詩編145:13)……ここでのポイントは、能力と信頼との間に緊張があるということです。……ここに私たちは、神の自己限定という重要な思想を見ます。神はある仕方で行動することを自由に選び、実際にそうすることで、神的な行動に限定を設けられるという考えです。気ままに、あるいは気まぐれに行動すると言って神を非難することはできません。神とは、信頼できる仕方で誠実に行動される方なのです。……
神の自己限定というこの思想の最も劇的な表現は、ディートリッヒ・ボンヘッファーの『獄中書簡』の中に見出せるでしょう。……
『神はご自身をこの世から十字架へと追いやるのである。神はこの世にあっては弱く、無力である。そしてそれこそ、まさしく神がわたしたちと共におられ、私たちを助ける方法なのであり、唯一の道である。……聖書は私たちを、神の無力さと受難に直面させる。ただ、苦しむ神だけが助けることができる。』

アリスター・マクグラス(芳賀力・訳)『神学のよろこび』キリスト新聞社、94〜95ページ

サタンとの論争でかけられた嫌疑のため

3つめが、「サタンとの論争でかけられた嫌疑のため」です。

聖書の中では、神とキリストとの間に論争が起きていることが描かれています。

この争闘の争点は「神の品性と統治の正当性」についてであり、その嫌疑の性質上、力による解決はできません。

この問題を解決するためには、証拠をもとに被造物全体の合意を得るステップ――法廷裁判が必要です。その過程において一時的に、サタンの活動を限定的に許さざるを得ない状況(交戦規定)が発生するのです。

「交戦規定」とは、実際の戦争においてもある規定で、戦いをする際に一定の規定を設けるものです。

この争闘は、何が真理であり、誰が善であるかをめぐる争いであり、サタンは神のご品性と統治に対して、偽情報や中傷的な虚偽を用いて戦いを繰り広げているのです。そのような争いは、単なる力で解決することはできず、実証することが必要です。

ジョン・C・ペッカム(村山晴穂・訳)『神の愛と義の証』セブンスデー・アドベンチスト教団安息日学校部、71ページ

参考文献はこちらをタップ

まとめると、これらの聖句は、サタンとその手下たちには一時的に、この世界においてかなりの管轄権を与えられていることを明らかにしています。ただし、それは、神に対する悪魔の中傷を天の法廷で定められた「交戦規定」に従って制限されており、その中で、悪魔の神に対する中傷的な訴えが愛を損なうことなく解決されます。これらの規定は、神が一方的に定められたものではなく、天の法廷にいる被造物やその他の者たちが問題をどのように見ているかを考慮し、法廷での手続きを経て定められたものです。そのため、その規定は、理想からはほど遠いのかもしれません。

神は決して偽ることがなく(テトス1の2)、約束を破られることもありません(ヘブライ6の18)。そのため天の法廷で、そのような規定を順守すると神が約束しておられる限り、神の将来の御業は道徳的に規定に従ったものに限定されます。私たちは、神がこうすべきだった、ああすべきだったと思うかもしれませんが、私たちが知る限り、その行動が神にとって「道徳的に」許されなかった可能性があります。神はあらゆる悪を防ぐことを願っておられますが、場合によっては悪を防ぐことで、自由意志を損ない、ひいては愛そのものが失われるか、神が天の法廷において約束された交戦規定に反することもあるでしょう。あるいはより大きな悪をもたらし、愛の進展を妨げることにもなるでしょう。

しかし、そもそもなぜ神は、そのような「交戦規定」に同意されたのでしょうか。それは悪魔の訴えが未解決のままでは、宇宙全体の調和と愛を悪化させ、破壊してしまうからです。政治家が権力を行使することで自身の潔白を証明できないように、悪魔の中傷的な訴えは単なる力によって打ち負かすことはできず、その訴えが虚偽であることを証明する、公正で開かれた実証によってのみ打ち負かすことができます(Ⅰコリント4の9。6の2、3参照)。そして、そのためには、一定の枠組みか、「交戦規定」が必要とされるのです。この観点から見れば、神がサタンの訴えを打ちまかし、争いを解決し、さらに大きな被害を招かずに、この世界を救うために、これ以上の好ましい方法はないように思われます(マタイ13の29参照)。

ジョン・C・ペッカム(村山晴穂・訳)『神の愛と義の証』セブンスデー・アドベンチスト教団安息日学校部、79〜80ページ

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ヨブ記で描かれるサタンとの論争

旧約聖書の『ヨブ記』は、理由のわからない不幸に見舞われた一人の人物が、周囲との対話や葛藤を通して苦しみと向き合う物語です。

この物語の冒頭で、サタンは次のように言います。

サタンは主に答えた。
「ヨブが理由なしに神を畏れるでしょうか。
……あなたの手を伸ばして、彼のすべての所有物を打ってごらんなさい。彼は必ずや面と向かって、あなたを呪うに違いありません。」

ヨブ記1章9,11節

ここでサタンは、人と神を非難し、攻撃しています。

このサタンの主張に対して神は反論をする必要がありました。つまり、神が物を与えているからヨブが神を愛しているという主張を退ける必要があったのです。

そこで次のように神は言います。

主はサタンに言われた。「見よ、彼のすべての所有物はあなたの手の中にある。ただし、彼には手を出すな。」サタンは主の前から出て行った。

ヨブ記1章12節

ここで神はサタンとの間に一定の規定を設けられています。

サタンの主張を退け、ヨブの品性と神の品性を擁護するために、一定の規定を設けた上でサタンの活動を許さざるを得ないのです。

もし宇宙規模の論争が神の品性に関する裁判のステップを含んでいるなら、神の力の行使によって早急に解決することはできず、敵の中傷的な主張を打ち砕くために、まず神の正義と品性を公に示すことが必要です。この証明は、キリストにおいて究極的かつ決定的に示されたのです。

Peckham, J. C. (2018). Theodicy of Love: Cosmic Conflict and the Problem of Evil (p. 120). Grand Rapids, MI: Baker Academic: A Division of Baker Publishing Group.

十字架のイメージ画像

わたしたちには、苦難の理由を正確に知ることはできませんが、キリストの十字架を見るときに、苦難の中で神が最善を尽くしていることや神が共に苦しまれていることを信じることができます。

彼らが苦しむときはいつでも、主も苦しまれた。
御前に仕える御使いによって彼らを救い/
その愛と憐れみによって彼らを贖い/昔からずっと彼らを負い、担ってくださった。

イザヤ書63章9節
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この書物を理解し、それが示している答えを知るために、ヨブ記のすべての登場人物と読者のほとんどが信じたいと思っている、三つの命題を書き出してみましょう。

(A)神は全能であり、世界で生じるすべての出来事は神の意志による。神の意志に反しては、なにごとも起こりえない。
(B)神は正義であり公平であって、人間それぞれにふさわしいものを与える。したがって、善き人は栄え、悪しき者は処罰される。
(C)ヨブは正しい人である。

……ヨブ記の作者は、ヨブともヨブの友人とも違う立場に立っている、ということを私は指摘したいと思います。作者は、神が善であることを信じ、ヨブが善であることも信じています。そして、これまで信じてきた命題(A)、すなわち、神は全能であるという信念を放棄しようとしているのです。

H.S.クシュナー(斎藤武・訳)『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』岩波書店、54、63ページ 

苦しみを耐え忍ぶ力(ネガティブ・ケイパビリティ)

ネガティブ・ケイパビリティのイメージ画像

ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability 負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。

あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。

帚木 蓬生. ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.78-81). Kindle 版.

近年、この苦しみを耐え忍ぶ力(ネガティブ・ケイパビリティ)が注目されています。

わたしたちの社会では、物事を解決する力を持っている人が優れているとされています。しかし、現実は解決できる問題のほうが少なく、どうしようもない状態がそのままになることが多くあります。

ホロコーストという人類史最大の暗闇を生き延びたフランクルは、次のように言っています。

思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。

ヴィクトール・E・フランクル(池田香代子・訳)『夜と霧 新版』 みすず書房、61ページ

希望が見えない暗闇の中にあっても、人は愛によって満たされるのです。愛こそが、わたしたちが今の苦しみを耐える希望となります。 

子どもを難病で失ったユダヤ教のラビであるクシュナーは、この問題を考え抜いた結果、次のような言葉を残しています。

自分は一人ぼっちではなく、神が共にいてくれるのだということを知ることによって、苦しみを生き抜いていくことができるのです。

H.S.クシュナー(斎藤武・訳)『なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記』岩波書店、207ページ 

神が共にいることによって、わたしたちが慰められることを聖書は約束しています。聖書はキリストを信じる信仰が「忍耐」の鍵であるとしているのです。

ここに、神の戒めを守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐がある。

ヨハネの黙示録14章12節
お祈りしているイメージ画像

聖書の中における「天国」や「救い」とは、「神と人が共にいること」です。

また、聖書はキリストが再びこの世界に戻り、わたしたちを救うことを約束しています。

「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。

ヨハネの黙示録21章3ー4節

苦しみが限界に達したとき、キリストは天を飛び出します。

「もう十分、もう苦しみも悲しみも痛みも十分だ」。

そういって、人の目から涙をぬぐいとってくださるのです。しかし、それは同時にキリストが最も激しく泣くときでもあります。

悪の原因を消さなければ、この世界から悲しみはなくなりません。それは、かつての友であったサタンを滅ぼし、そのサタンを選んだ人々を、愛しているにもかかわらず、滅ぼさなければならないことを意味しているのです。

キリストはわたしたちの罪を背負い、十字架で死なれました。それはどんなにわたしたちが神を必要としていなくても、わたしたちを愛しておられるからです。だからこそ、この苦しみの世界に終止符を打つ決断は重いのです。

愛ゆえに苦しみは存在し、愛ゆえに神は苦しむといえるでしょう。

なぜ、わたしたちの人生に苦しみがあるのか。その理由を完全に理解することはできません。しかし、キリストが人類の罪を負ったということは、神がわたしたちを愛し、悪の問題を解決するために最善を尽くしている何よりの証拠になるのです。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

ヨハネによる福音書3章16節

わたしたちはこの神の愛によって、満たされるのです。聖書はその愛を伝えています。

参考文献はこちらをタップ

今の時代は、「こうすれば、苦労なしで、簡単に、お手軽に解決しますよー」のほうが受けるのです。でも、お手軽な解決ばかり求めてしまうと、何かが欠落していきますし、結局は行き詰まってしまいます。

なぜならば、「世の中には、すぐには解決できない問題のほうが多い」からです。……解決すること、答えを早く出すこと、それだけが能力ではない。解決しなくても、訳が分からなくても、持ちこたえていく。

消極的(ネガティブ)に見えても、実際には、この人生態度には大きなパワーが秘められています。どうにもならないように見える問題も、持ちこたえていくうちに、落ち着くところに落ち着き、解決していく。

人間には底知れぬ「知恵」が備わっていますから、持ちこたえていれば、いつか、そんな日が来ます。

「すぐには解決できなくても、なんとか持ちこたえていける。それは、実は能力のひとつなんだよ」ということを、子供にも教えてやる必要があるのではないかと思います。

帚木 蓬生. ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.78-81). Kindle 版.(ネガティブ・ケイパビリティについて講義をした後、受講生から著者がもらったある手紙の紹介)

愛に満ちあふれた父なる神にとって、一部のご自分の子どもたちに永久の終焉をもたらすことはたやすいことではありません。しかし、他にどんな選択肢があるのでしょうか。神は、選びの自由を侵害し、人々を奴隷にすべきでしょうか。私たちがこの地上で引き起こした痛みと苦しみを、そのまま永続させておくべきでしょうか。ほかに「良い」選択肢はないので、天の父は「難しいこと」をなさるのです。そしてその前に、他に選択肢は「ない」というご自身の主張を私たちが調べることができるように、天の父は書物を開かれます(黙示録20の11〜15)。それから、天の父が公正であること、すなわち、神がこれまでになされた「すべて」の決定が正しいということを私たちが認めるようになると、天の父がしなければならないことを私たちが見なくて済むように、私たちをしばらくの間、かくまってくださいます…(イザヤ26の20、21)。

ショーン・ブーンストラ『イエスの証に導く預言の霊』福音社、64ページ

著者|高橋 徹
1996年、横浜生まれ。三育学院カレッジ神学科卒業後、セブンスデー・アドベンチスト教団メディアセンターに勤務、現在はセブンスデー・アドベンチスト教団牧師。

  • セブンスデー・アドベンチスト教団牧師
  • 光風台三育小学校チャプレン・聖書科講師、三育学院中等教育学校聖書科講師
  • 著書『天界のリベリオン』

監修|伊能 忠嗣(Ino, Tadashi)

1962年、東京生まれ。慶應義塾大学理工学部を卒業後、旭化成工業株式会社で勤務。その後、セブンスデー・アドベンチスト四ツ谷教会等複数の教会で牧師として奉仕。またチャプレンとして東京衛生病院(現在の東京衛生アドベンチスト病院)、シャローム東久留米で勤務。三育学院カレッジ神学科、聖学院大学で非常勤講師を務めた。

  • アンドリュース大学大学院博士課程修了
    哲学博士(Ph.D. 新約聖書学専攻)
    博士論文”Paul’s Use of Canonical and Noncanonical Wisdom Literature in Romans and the Corinthian Letters.” 
  • 日本新約学会員
  • 日本スピリチュアルケア学会員

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