時を知っている知者【エステル記1章13―22節】

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1:10七日目にアハシュエロス王は酒のために心が楽しくなり、王の前に仕える七人の侍従メホマン、ビズタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタルおよびカルカスに命じて、 1:11王妃ワシテに王妃の冠をかぶらせて王の前にこさせよと言った。これは彼女が美しかったので、その美しさを民らと大臣たちに見せるためであった。 1:12ところが、王妃ワシテは侍従が伝えた王の命令に従って来ることを拒んだので、王は大いに憤り、その怒りが彼の内に燃えた。

1:13そこで王は時を知っている知者に言った、――王はすべて法律と審判に通じている者に相談するのを常とした。 1:14時に王の次にいた人々はペルシャおよびメデアの七人の大臣カルシナ、セタル、アデマタ、タルシシ、メレス、マルセナ、メムカンであった。彼らは皆王の顔を見る者で、国の首位に座する人々であった――エステル1:10―14(口語訳)

目次

時を知っている知者

そこで王は時を知っている知者に言った、―王はすべて法律と審判に通じている者に相談するのを常とした。エステル1:13(口語訳)

すべての法律と審判に通じている者に相談するのは、おそらくクセルクセス王(アハシュエロス)だけでなく、アケメネス朝ペルシャでは一般的な慣習であったと考えられます。

「時を知っている知者」は「先例を熟知していて、特定の場面で何をするのが適切かを知っていた学識と経験のある人」を指す表現で、占法的な手続きに長けたオールラウンドな専門家であった可能性があります。

彼らは7人の大臣であったとされており、「王の顔を見る者」(エステル1:14)とされています。この後、王妃となったエステルでさえ、王に謁見するときは命がけであったことを考えると(エステル4:16)、ペルシャでの最高位に位置している大臣であるとわかります。

人間の愚かさ

酔った勢いでなされた王の命令が拒絶されたことが、最高位の大臣たちによって議論される様子を皮肉的にエステル記は書いています。家庭内の問題がここでは国家の議題として挙げられているのです。

クセルクセス王はこの時、体裁を気にし、大臣もその意向に応えるように20節で次のように言っています。

王の下される詔がこの大きな国にあまねく告げ示されるとき、妻たる者はことごとく、その夫を高下の別なく共に敬うようになるでしょう」。エステル1:20(口語訳)

人が体裁を気にして、自己中心的に生きるときに、人はもしかすると傍目から見るとこのような滑稽な行動を取るのかもしれません。

皮肉なことに、自らのプライドや体裁を守ろうとして動くと、結果的に愚かなもののように見えてしまうのです。

わたしたちは何のために行動しようとしているでしょうか? 自らのプライドや体裁を守ろうとしているのでしょうか? 神さまに栄光を帰すためでしょうか?

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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