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2:5さて首都スサにひとりのユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシのひこ、シメイの孫、ヤイルの子で、ベニヤミンびとであった。 2:6彼はバビロンの王ネブカデネザルが捕えていったユダの王エコニヤと共に捕えられていった捕虜のひとりで、エルサレムから捕え移された者である。 2:7彼はそのおじの娘ハダッサすなわちエステルを養い育てた。彼女には父も母もなかったからである。このおとめは美しく、かわいらしかったが、その父母の死後、モルデカイは彼女を引きとって自分の娘としたのである。 2:8王の命令と詔が伝えられ、多くのおとめが首都スサに集められて、ヘガイの管理のもとにおかれたとき、エステルもまた王宮に携え行かれ、婦人をつかさどるヘガイの管理のもとにおかれた。 2:9このおとめはヘガイの心にかなって、そのいつくしみを得た。すなわちヘガイはすみやかに彼女に化粧の品々および食物の分け前を与え、また宮中から七人のすぐれた侍女を選んで彼女に付き添わせ、彼女とその侍女たちを婦人の居室のうちの最も良い所に移した。エステル2:5―9(口語訳)
バビロンの地に残ったものたち
エステルがクセルクセス王(アハシュエロス)の宮殿に連れていかれたときは、バビロン捕囚から127年もの歳月が流れていました。
バビロンの地において、捕囚の民は時代と共に反映し、やがて帝国内に自分たちの町々を持つようになったのです(エステル9:2)。
エルサレムへの1回目の帰還ではわずか42,360人だけが帰還していき(エズラ2:64)、すでに生活基盤があるユダヤ人たちは動くことを嫌がりました。その中の1人におそらくモルデカイやエステルの両親たちはいたのではないかと考えられています。
彼らは強力な経済基盤をそこに定めており、その快適な環境から出たいと思わなかったのです。
残ったゆえに降りかかる困難
もし、バビロンの地を離れ、エルサレムへの帰還に多くの人が賛同していたならば、エステル記のような悲劇はもしかしたら降りかからなかったかもしれません。
わたしたちが自己中心的に、自らの利益を神よりも優先させるとき、神も望まれない不必要な困難に直面することがあります。
ただバビロンの地に残った人々が何もしなかったわけではありません。
その周囲の人々は皆、銀の器、金、貨財、家畜および宝物を与えて彼らを力づけ、そのほかにまた、もろもろの物を惜しげなくささげた。エズラ1:6(口語訳)
献金をささげ、神さまの働きを支えることは大切な献身です。しかし、もしかしたら、彼らはそれを言い訳にしてしまっていたのかもしれません。
神さまは「バビロンから出なさい」と言われました。しかし、彼らは自分たちの献身を言い訳にバビロンの地から出ることを躊躇していたのかもしれません。
「やっている」ことではなく、神さまと「共にいる」かどうかを、わたしたちは気にしなければいけません。ときにわたしたちは神さまとの関係以上に、やっているかどうかを気にしてしまいます。そのときにわたしたちは、自らの利益を神よりも優先させてしまうのです。