欲におぼれるクセルクセス【エステル記2章19―20節】

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2:19二度目に処女たちが集められたとき、モルデカイは王の門にすわっていた。 2:20エステルはモルデカイが命じたように、まだ自分の同族のことをも自分の民のことをも人に知らせなかった。エステルはモルデカイの言葉に従うこと、彼に養い育てられた時と少しも変らなかった。エステル2:19―20(口語訳)

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クセルクセスの罪

クセルクセスの罪が垣間見えるのが、エステル記2章19節です。

二度目に処女たちが集められたとき、モルデカイは王の門にすわっていた。エステル2:19(口語訳)

クセルクセスは、エステルを王妃に選んだ後も、自身の権力を用いて女性たちを集め、性的な行為を強要していたのです。

変わらないエステル

自らの力をこうして欲を満たすクセルクセスに対し、エステルは「少しも変らなかった」と記録されています(エステル2:20)。

さてモルデカイのおじアビハイルの娘、すなわちモルデカイが引きとって自分の娘としたエステルが王の所へ行く順番となったが、彼女は婦人をつかさどる王の侍従ヘガイが勧めた物のほか何をも求めなかった。エステルはすべて彼女を見る者に喜ばれた。エステル2:15(口語訳)

自分の欲を優先させたなかったこのエステルの姿勢は、王妃になっても変わらなかったのです。そして、「エステルはすべて彼女を見る者に喜ばれた」のです。

しかし、自分の欲を優先させていくクセルクセスには暗殺の危機が訪れます。その理由を聖書は次のように記しています。

そのころ、モルデカイが王の門にすわっていた時、王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタンとテレシのふたりが怒りのあまりアハシュエロス王を殺そうとねらっていたが、エステル2:21(口語訳)

怒りと喜び

自分の欲を優先させる心は怒りを招きますが、謙虚な姿勢は喜びを人々に与えるのです。

わたしたちの社会は、自分本位で、自らの欲求をいかに満たすかを追い求める文化が形成されています。その中で、それとは180°異なる価値観で生きるとき、人々に喜びを与える存在へと変われるのかもしれません。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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