不条理の中でも【エステル記2章21―23節】

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王の門に座る

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2:21そのころ、モルデカイが王の門にすわっていた時、王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタンとテレシのふたりが怒りのあまりアハシュエロス王を殺そうとねらっていたが、 2:22その事がモルデカイに知れたので、彼はこれを王妃エステルに告げ、エステルはこれをモルデカイの名をもって王に告げた。 2:23その事が調べられて、それに相違ないことがあらわれたので、彼らふたりは木にかけられた。この事は王の前で日誌の書にかきしるされた。エステル2:21―23(口語訳)

「門」という場所が舞台になることは聖書においては、しばしばあります。町の門は集会所であり、裁判所だったのです(箴言22:22、アモス5:12)

モルデカイの場合、この「王の門に座る」という表現は「王宮行政の要職についていること」を意味していました。モルデカイは、王に忠誠を尽くす要職についていた人物だったのです。

キリストとモルデカイ

19節と21節でモルデカイが王の門にすわっていたことが書かれ、20節ではエステルがモルデカイに絶対的な信頼を寄せていることが描かれています。

厳しい環境の中、エステルの少しでも近くにいようとするモルデカイとそのモルデカイに信頼を寄せるエステルの姿がここで垣間見ることができます。

このエステルとモルデカイの関係は、もしかするとわたしたちとキリストとの関係に近いものがあるかもしれません。

完全にただの推測にしかすぎませんが、エステルが選ばれたときよりも、この時のモルデカイの地位は向上していたのかもしれません。

モルデカイはエステルの様子および彼女がどうしているかを知ろうと、毎日婦人の居室の庭の前を歩いた。エステル2:11(口語訳)

エステルのそばにいようと、ゆるされるかぎり近づいていこうとするモルデカイが描かれるとき、まだ「王の門」という言葉は登場しません。

しかし、エステルが王妃に選ばれた後は、「王の門」に座っており、王の暗殺計画が起きたときにも、「モルデカイが王の門にすわっていた時」と書かれています(エステル2:21)。

もしかすると、モルデカイはエステルに近づくために、できるすべてのことをして要職にまで出世したのかもしれません。

同じようにキリストも、わたしたちに近づくためにできるすべてのことをされました。わたしたちはどうでしょうか? できるすべてのことをしているでしょうか?

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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