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3:1これらの事の後、アハシュエロス王はアガグびとハンメダタの子ハマンを重んじ、これを昇進させて、自分と共にいるすべての大臣たちの上にその席を定めさせた。 3:2王の門の内にいる王の侍臣たちは皆ひざまずいてハマンに敬礼した。これは王が彼についてこうすることを命じたからである。しかしモルデカイはひざまずかず、また敬礼しなかった。 3:3そこで王の門にいる王の侍臣たちはモルデカイにむかって、「あなたはどうして王の命令にそむくのか」と言った。 3:4彼らは毎日モルデカイにこう言うけれども聞きいれなかったので、その事がゆるされるかどうかを見ようと、これをハマンに告げた。なぜならモルデカイはすでに自分のユダヤ人であることを彼らに語ったからである。 3:5ハマンはモルデカイのひざまずかず、また自分に敬礼しないのを見て怒りに満たされたが、エステル3:1―5(口語訳)
ハマンへの敬礼
王がハマンに敬礼することを命じていることから、ハマンの人徳がない人物であり、また低い身分からの成り上がりであったことが垣間見えます。
このハマンにモルデカイはひざまずかず、敬礼もしませんでした。
なぜ、モルデカイがこのような行動に出てかははっきりとは書かれてはいません。イスラエルの人々は、それが堕落した王であったとしてもひれ伏し(1サム24:8)、また異邦人であっても、目上の人や敬意を払うべき人々の前ではひれ伏していました(創世記23:7、33:3)。
モルデカイはハマンに、何の危害も加えたのではなかった。彼はただ、ハマンに礼拝的敬意を表さなかっただけであった。エレン・ホワイト『国と指導者』下巻205ページ
ハマンが受けた「敬礼」は、他の箇所では「礼拝」や「拝む」と訳されていることから(創世記22:5、出エジプト32:8など)、本来は神に与えられるはずの敬意をハマンが求めたのではないかと考えられます。さらに、アラム語訳の旧約聖書タルグムには、ハマンが神の権威を主張したことが暗示されているのです。
キリストの名のゆえに
モルデカイが怒りを買ったのは、彼の傲慢さからではありませんでした。それは仲間に慕われる姿からも明らかです。ただ、神を信じるものという点において、ハマンは怒ったのでした。
このエステル記3章は、終わりの時代を連想させます。
「わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう」(マタイ24:9)と、終わりの時代に迫害が起こることを預言して、キリストは言われました。
この迫害は「キリストの名のゆえ」に起こるのです。ハマンが怒るのと同じように、サタンもまた自らが礼拝されない状況に対して怒るのです。
サタンもハマンと同じように、人々からの尊敬の思いではなく、力と恐怖によってひれ伏させようとします。それはサタンの思いによる礼拝の強要です。
しかし、キリストは心からの愛と尊敬の思いから、礼拝を受けられます。それはわたしたちの思いによる心からの礼拝です。わたしたちはどちらを礼拝したいでしょうか?