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そしてハマンはアハシュエロス王に言った、「お国の各州にいる諸民のうちに、散らされて、別れ別れになっている一つの民がいます。その法律は他のすべての民のものと異なり、また彼らは王の法律を守りません。それゆえ彼らを許しておくことは王のためになりません。エステル3:8(口語訳)
一つの民
ハマンはクセルクセス王(アハシュエロス)に「一つの民」がいることを告げました。
この「一つの民」は、単に一民族を指しているかもしれませんが、「取るに足らない民」というニュアンスを持つ言葉がここでは用いられています。
ハマンはさらに「王の法律を守りません」と主張を続けていきますが、この当時のユダヤ人は自分たちの信仰と良心に反しない限りは、ペルシャの法律を守っていたので、この主張は事実無根でした(エレミヤ28:4―7)。
加えて、ペルシャは他民族に対して寛容な政策を取っていたため、この主張には無理が生じていたのです。
しかし、取るに足らない民であり、王のためにならないからという曖昧な理由で、ハマンはユダヤ人の虐殺を進言するのでした。
急いで出て行った
急使は王の命令により急いで出ていった。この詔は首都スサで発布された。エステル3:15
この当時のアケメネス朝ペルシャは、優れた駅伝制度を組み上げており、王の命令を主要都市に早急に伝えることができました。
しかし、ハマンはこの命令を急がせていきます。ここに彼自身のなんとしてもユダヤ人を滅ぼしたいという思いが見え隠れしていきます。
自分の思い
ハマンが自分の思いを優先させ、なんとかその思いを実現させようとしたときに、彼は神の民を取るに足らない民であると考えました。それは、同時に彼らの神と信仰をも取るに足らないと考えたということでもあります。
わたしたちも、自分の思いを優先させていくとき、自分の思いどおりに事を動かそうとするときに、関わる人々だけでなく、神をも取るに足らないものであると考えてしまうかもしれないのです。