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愛は自由意志を必要とする
『舞姫』、『高瀬舟』と国語の教科書に載る話はどうして暗いのでしょう。そんななかでも、強烈なインパクトを残しているのが夏目漱石の『こころ』。
下宿先のお嬢さんに恋心を抱いている主人公「先生」、そんな彼にお嬢さんに恋していることを告げる親友K。その親友をあざむいて、裏で結婚の話を進めてしまう先生だが、それがKにお嬢さん伝えでバレてしまい、裏切りに失望したKが自殺してしまい、その自責の念に苦しめられるという話です。
この話をちょうど国語の授業で読んでいた頃、家が近く仲良くしていた友達と好きな子が一緒になるという事件がありました。Kのようなことになっては大変と、その友達と不干渉条約を締結し、恋路ノ邪魔モノになってはならぬ、どんなことがあってもお互い恨まぬ、と固く約束し合ったのです。高校生とは阿呆なものです。
結局、お互い相手にもされず、悲しいほど何もないまま卒業を迎えました。女の子からしたら、不干渉条約も何も、私の意志はどうなるんだと言いたいところでしょう。
愛には自由意志が必要です。暑苦しい男どもがどんなに固く決意しても、相手の意志がともなうことがなければ、何も起こらないように、イエスさまがアプローチをしても、僕たちが応えなければ何も起きません。
100万あげるから付き合ってほしいと言っても、愛を得ることはできないでしょう。椅子に縛りつけて脅して「愛している」と言わせても、愛を得ることはできないでしょう。愛は自由意志を必要とするからです。
イエスさまのアプローチ
イエスさまは僕たちと愛し合う関係になりたいと望んでおられます。だからこそ、僕たちの意志を尊重されるのです。僕たちの意志を無視して、イエスさまが必要以上に介入されることはありません。
とはいえ、決断をするためにはアプローチや情報が必要ですよね。いつまでも片想いで終わってしまいます。今まで見てきたように、イエスさまは聖書や良心、また自然を通して僕たちにアプローチをしています。
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。
ローマの信徒への手紙8章38ー39節(新共同訳)
熱いですねー。イエスさまは聖書というラブレターを差し出して、僕たちに告白をしているのです!
そんなイエスさまの影をウロウロとしている怪しい存在がいます。イエスさまの恋路ノ邪魔モノ、サタンです。サタンはイエスさまの恋路をどうにか邪魔したいという一心で動いています。
イエスさまの恋路ノ邪魔モノ
いやー、イエス?
いい人だとは思うよ。でも、他にもいるさ。別に、彼じゃなくてもいいんじゃない。
ん? それは彼から手紙かい? 本当に彼が書いたラブレターなのかな。いや、意外と彼はね……
こんな感じで、イエスさまからのメッセージ自体を疑わせ、神さまなんていないんじゃないか、別に他のものでもいいじゃないかと思わせたいのです。イエスさまについての間違った情報を流し、混乱させたいその一心です。
サタンはイエスさまに嫉妬しているのです。
昔、サタンは天でとても高い地位にいた天使でした。しかし、嫉妬の思いが芽生え、消すことができなくなりました。なぜ、彼なんだ。なぜ、俺じゃないんだ。なぜ、自分は神になれないんだ。
親友であったイエスさまを裏切り、間違った情報を流し始め、多くの天使たちを混乱させ、イエスさまの大切なものを破壊したいその思いで、人間を騙し、イエスさまから引き離していきました。
イエスさまの親友であった天使は、親友の恋路ノ邪魔モノ、悪魔、サタンへと堕落していきました。
イエスさまは、サタンによって流布された間違ったイメージを払拭するために愛のメッセージを人類に伝えられます。イエスさまがどれほど人類を愛しているかを示した愛のメッセージ、それが十字架です。
このイエスさまとサタンとの間で行われている情報戦を、僕たちは「大争闘」と呼んでいます。一度は、この大争闘において僕たちはサタンを選んでしまいました。罪を犯してしまったのです。
しかし、イエスさまは僕たちに下された判決を代わりに受け、僕たちの罪を赦され、無罪とされました。これを「義認」といいます。さて、この騒動を見ている他の天使たちはこのことをどう思っているのでしょうか。