見栄を張る【エステル記5章2節】

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恵みを示し

5:2王妃エステルが庭に立っているのを見て彼女に恵みを示し、その手にある金の笏をエステルの方に伸ばしたので、エステルは進みよってその笏の頭にさわった。 5:3王は彼女に言った、「王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう」。エステル5:2,3(口語訳)

「恵みを示し」と訳されている言葉は、原語では受動的な表現ではなく、「好意を勝ち取った」と言う能動的な表現が使われています。

ここからも、エステルが衝動的に無計画に動いたのではなく、意図的に行動していったことがわかります。

国の半ばでもあなたに与えよう

この「国の半ばでも」という言葉は3回繰り返され、王のエステルに対する好意のあらわれが表現されています。

また、クセルクセル王は欲しいものをすべて与えようと見栄を張ることがありました。「国の半ばでも」という誇張表現は、クセルクセス王のそのような性格をあらわしているのです。

深く考え、慎重に言葉を選びながら進むエステルと対照的に、クセルクセスは粗雑で軽々しく見栄を張るのでした。

見栄という罪

もしかすると、見栄という罪はわたしたちが気づきにくい、そして重大な誤りへとわたしたちを導いてしまう罪なのかもしれません。

「国の半分でもあげよう」と見栄をはったヘロデは、そのためにバプテスマのヨハネの首をはねなければならなくなりました(マルコ6:23―28)。

ある記事では見栄を張る人の心理の根底には、「認められたい」「目立ちたい」「不安を隠したい」という思いがあると指摘されています。

「認められたい」「目立ちたい」という思いが過度に膨れ上がった結果、起こったのがルシファーの堕落でした。

この傾向は、ヘロデにもクセルクセスにも見られるのです。これにより、ヘロデはバプテスマのヨハネを殺すことになり、クセルクセスはワシュティとの関係を壊し、後悔することになるのです(エステル2:1)。

見栄は人間関係を破壊していくのです。

見栄を張らないために

見栄を張らないためには、まず等身大の自分を受け入れる必要があります。周りからの評価を気にしすぎず、自分を偽らず、信頼できる人との関係を育むのです。

また、小さなものでも成功体験の積み重ねは、根拠のある自信を持つ助けになり、等身大の自分を認めることへとつながります。

これを聖書の中に登場する言葉で表現するなら、「悔い改め」と言えるでしょう。

罪びとであるという等身大の自分を認め、自分の弱さと向き合い、偽ることなく、信頼できるキリストとの関係をまず育むことが大切です。

見栄を張っているとき、もしかするとわたしたちは、自分の弱さを見ないようにしているのかもしれません。それは、同時に悔い改めを忘れ、キリストとの関係をないがしろにしているとも言えるかもしれません。

今日から、勇気を持って等身大の自分を認めて、偽ることをやめてみませんか。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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