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6:4王は言った、「庭にいるのはだれか」。この時ハマンはモルデカイのために設けた木にモルデカイを掛けることを王に申し上げようと王宮の外庭にはいってきていた。 6:5王の侍臣たちが「ハマンが庭に立っています」と王に言ったので、王は「ここへ、はいらせよ」と言った。 6:6やがてハマンがはいって来ると王は言った、「王が栄誉を与えようと思う人にはどうしたらよかろうか」。6:8王の着られた衣服を持ってこさせ、また王の乗られた馬、すなわちその頭に王冠をいただいた馬をひいてこさせ、 6:9その衣服と馬とを王の最も尊い大臣のひとりの手にわたして、王が栄誉を与えようと思われる人にその衣服を着させ、またその人を馬に乗せ、町の広場を導いて通らせ、『王が栄誉を与えようと思う人にはこうするのだ』とその前に呼ばわらせなさい。エステル6:4―9(口語訳)
ハマンの謁見
エステルの時と異なり、王はハマンの望みを聞こうとしません。ここから、王とハマンの関係が垣間見ることができます。
王はエステルが脅かされることを明らかに嫌悪し(エステル7:7,8)、エステルに好意を示しています(エステル2:17、5:2)。
ところが、ハマンのときにはそのような表現は出てきません。そればかりか、最後にはハマンの殺害を躊躇なく命じていくのです。
想像の域は出ませんが、ハマンが思っているほどには、王との関係は深くなかったのかもしれません。王にとって、ハマンはあくまで大臣であり、代わりがある駒に過ぎなかったのです。
王の衣服を着る
また、「王の着られた衣服」を着ることは、ペルシャの法律に反する行為で、死刑にも値していました。それゆえに、ペルシャでは王の衣服を着ることは、特別な行為と地位の印でもあったのです。
臣下のものが王の衣服を求めたとき、それを与えても、着ることは禁じたという記録もあるほどで、王族の衣服を着ることは王族としての地位を授けることに匹敵していたのです。
つまり、「王はわたし以外にだれに栄誉を与えようと思われるだろうか」というハマンの思いは(エステル6:6)、ハマンが大臣という枠を超えて、王族の地位まで渇望していた、もしくは一時的であったとしてもその気分を味わいたかったことをあらわしています。
サタンとハマン
このハマンの身の程をわきまえない姿は、サタンの反逆と重なるようです。
あなたはさきに心のうちに言った、「わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高きもののようになろう」。イザヤ14:13,14(口語訳)
欲望はつきません。高い地位を求める思いは、次から次へとさらなる高みを求め、最後には自らに与えられた枠を超えていこうとするのです。