謙遜と傲慢【エステル記6章10―11節】

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6:10それで王はハマンに言った、「急いであなたが言ったように、その衣服と馬とを取り寄せ、王の門に座しているユダヤ人モルデカイにそうしなさい。あなたが言ったことを一つも欠いてはならない」。 6:11そこでハマンは衣服と馬とを取り寄せ、モルデカイにその衣服を着せ、彼を馬に乗せて町の広場を通らせ、その前に呼ばわって、「王が栄誉を与えようと思う人にはこうするのだ」と言った。エステル6:10―11(口語訳)

目次

ハマンとモルデカイ

上へ上へとのぼろうとしていたハマンは、下で馬を引く者となり、逆にモルデカイは栄誉を受けるものとなりました。

モルデカイの功績は、エステルが機転を効かせて、「モルデカイの名をもって王に告げた」(エステル2:22)からこそ、生まれたものでした。

モルデカイ自身はもしかすると、この功績にこだわっていなかったのかもしれません。もし、彼がこだわっていたならば、その前にもしくは自身に不利な状況が生まれたときに、すぐこの功績を持ち出すようにエステルに助言しているでしょう。

まさにキリストが言われた法則どおりのことが起こったのでした。

おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。ルカ14:11

傲慢と謙遜

このモルデカイのエピソードからも、傲慢と謙遜の明らかな違いを学ぶことができます。

傲慢なハマンは自分が栄誉を受けられなかったときに、「憂え悩み、頭をおおって急いで家に帰った」(エステル6:12)とあります。しかし、一方、モルデカイは何も発言していません。

このときこそ、ユダヤ人の名誉を回復し、ハマンの策略を暴く絶好の機会であったにも関わらず、彼が動いた記録は聖書には登場しません。

エステルの著者が誰であるかは明らかにされていませんが、モルデカイの可能性も十分考えられます。もし、彼が著者だとすると、あえて自分の心情や動きを記録しなかったのかもしれません。

モルデカイはエステルを通して神が働かれるという確信を固く持っていました。自分の力で動けそうに見える場面になってもなお謙遜であり続け、神を信じ、エステルに委ねていきました。

ところが、ハマンは最後の最後まで自分で足掻き続け、最後にはそのために王の逆鱗に触れ、処刑されてしまうのでした(エステル7:7,8)。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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