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7:1王とハマンは王妃エステルの酒宴に臨んだ。 7:2このふつか目の酒宴に王はまたエステルに言った、「王妃エステルよ、あなたの求めることは何か。必ず聞かれる。あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる」。 7:3王妃エステルは答えて言った、「王よ、もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしよしとされるならば、わたしの求めにしたがってわたしの命をわたしに与え、またわたしの願いにしたがってわたしの民をわたしに与えてください。 7:4わたしとわたしの民は売られて滅ぼされ、殺され、絶やされようとしています。もしわたしたちが男女の奴隷として売られただけなら、わたしは黙っていたでしょう。わたしたちの難儀は王の損失とは比較にならないからです」。 7:5アハシュエロス王は王妃エステルに言った、「そんな事をしようと心にたくらんでいる者はだれか。またどこにいるのか」。 7:6エステルは言った、「そのあだ、その敵はこの悪いハマンです」。そこでハマンは王と王妃の前に恐れおののいた。エステル7:1―6(口語訳)
ついに動くエステル
この宴会が終わりに近づいたときに、王はまたエステルの要求を聞こうとします。そして、ついにエステルが動くのです。
エステルは「敵」という強い言葉をつかって、ハマンを攻撃し、エステルは「わたし」の問題であると王に訴えていきます。ハマンを自分の敵であるとし、王妃の命を奪おうとしたハマンはすなわち、王の敵であると訴えていくのです。
エステルはハマンに慈悲を見せず、ゆるしを求めてもそれに応じず、エステルに暴行をしようとしたという冤罪をハマンが被せられても、それを訂正しようとはしません。
加えて、禍根を残さぬようにこの後には「ユダヤ人の敵であるハマンの十人の子」を木にかけることからも、理由はどうであれ、ハマンの一族を滅ぼす必要があったことがここからわかります(エステル9:13)。
裁きのとき
ここで、エステルは徹底的なハマンに対する裁きを求めていきます。
ユダヤ人側に立てば、エステルは救世主であり、まさにこの場面は福音のときです。しかし、ハマン側に立てば、エステルは裁き主であり、滅びのときなのです。
キリストとサタンとの間に戦い(大争闘)がある以上、福音は同時に裁きと滅びの時となります。
もし、ここでハマンをゆるしていたら、またこの問題が湧き上がってくるかもしれません。サウル王が神に従わず、アガグびとを生かしたために、エステル記での問題が起こったようにです(サムエル上15:3)。
ある意味、罪が入り込んだ時点で、神さまが本当に望んでいる結末にはなり得ないとも言えるでしょう。
エステルがハマンを倒したとき、それはハマンの最後の日となりました。同じように、キリストがサタンを打ち倒し、完全に滅ぼすときに、それが最後の日となる人々もいるのです。
涙ながらに
エステルは再び王の前に奏し、その足もとにひれ伏して、アガグびとハマンの陰謀すなわち彼がユダヤ人に対して企てたその計画を除くことを涙ながらに請い求めた。エステル8:3(口語訳)
エステルはハマンの死を喜ぶのではなく、涙ながらにユダヤ人の救いを求めて王に懇願していきました。
福音と滅びは表裏の関係ですが、忘れてはいけないのは、そこに涙があるということです。
滅びが訪れる日、キリストも涙されます。エステルは自分の民のために涙しましたが、キリストは自分に反抗する人々のためにも涙を流されるのです。
ここにキリストの愛があります。
みなさんは、どちらに立ちたいですか?