プリムの祭り【エステル記9章17―32節】

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プリムの由来

ユダヤ人を殺そうとはかったハマンは、自分の計画を実行する最良の日を決めるためにくじを投げました。くじを投げることをプルと言いました。プリムはその複数形です。ユダヤ人は彼らの救いを記念する祭りを制定して、それをプリムと呼びました。

この名前そのものは異教の神々の力を侮辱するものです。ハマンは迷信に従って、自分の邪悪な計画を遂行するための完全な日を知ろうとしました。長いあいだくじを投げたのち、ついに彼は正確な日を定めます。しかしながら、ユダヤ人滅びと虐殺となるべき日がユダヤ人による滅びと虐殺の日となってしまいます。この日を記念するプリムは、敵の計画をくつがえす神の救いの力を記念する年ごとの祭りとなりました。クリスチャンもまた、神がイエスによって与えてくださった救いを、さらにイエスが十字架上でサタンに勝利されたという事実を、たえず思い起こす必要があります。

エステル記9の17―32には、プリムの祭りの起源と祝い方が記されています。それは喜びの日、贈り物をする日となるのでした。愛の神は、人間の定めた祭日でさえ神を覚える日とするように望んでおられます。

現在のプリム

さらに詳しい背景、現代のプリムの祭りはユダヤ教の暦のうちでも最も大切な行事の一つです(キリスト降誕前においては、それはモルデカイの日とも呼ばれていました)。エステルの時代と同様、今日も贈り物がなされ、人々は喜びを分かち合います。プリムは多くの点において現代のクリスマスと似ています。家庭の主婦は子供たちへの贈り物のほかに、友人や親戚に食べ物を贈ります。人々は特別なパーティーや仮装舞踊会を催します。ユダヤ人は会堂に集まります。そこでは、エステル記の一部分または全体が読まれます。そして、朗読者はユダヤ人から嫌われているハマンの名前のところにくると、聴衆に合図します。すると聴衆は一斉に足を踏み鳴らしたり、手をたたいたり、声を出したりしてその名を聞かないようにします。伝統的なユダヤ教はふつう、女性の会堂出席を免除しています。女性にとっては、家にいて小さな子供たちの世話をしていることのほうがより大事であるという考え方があるからです。しかし、プリムの祭りには女性も参加することになっています。なぜなら、ペルシャのユダヤ人が救われたのは女性のおかげだからです。

プリムの祭りはユダヤ人に多くの迫害に耐える力を与えてきました。あらゆるものが絶望的で、見込みがないように見えるときにも、それは彼らに励ましを与えてきました。

*本記事は、ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』(昭和62年第4期安息日学校)からの抜粋です。

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