第12課 み国をうけつぐ人

目次

1.知らずにイエス様をもてなした人

昔、あるところにマルチンというくつ屋がいました。仕事がていねいでやくそくを守るので、人々からしんようされ、くつの注文がたえませんでした。

あるばん、仕事を終えてから、ランプの光のもとで聖書(せいしょ)を読んでいましたが、そのうち昼間のつかれがでて、こっくり、こっくりとねむってしまいました。

と、その時、
「マルチン、マルチン」
という声がしました。

マルチンは、はっとして、
「は、はい。どなたですか」
と言いました。

「マルチン、わたしはイエス・キリストです。あした、あなたの家に行きます」

次の朝早く起きたマルチンは、さっそく家のそうじを始めました。きょうはイエス様がおいでになるのです。小さな、まずしい家ですが、せめてそうじだけはしておこうと思ったのです。家の前もきれいにしなくてはと戸をあけると、雪かきのおじいさんがつかれてしゃがみこんでいるのが見えました。

「おじいさん、おつかれでしょう。中でお茶でも一ぱいめしあがってください」

マルチンはそう言って、おじいさんをまき入れ、あたたかいお茶をあげました。

そうじをすませたマルチンは、店先にすわって、くつを作りはじめました。ふと外を見ると、まずしい身なりの女の人が、赤ちゃんをおぶってとぼとぼと歩いていくのが目にはいりました。

マルチンは戸をあけて、
「ちょっと、おくさん。寒いでしょう。少しあたたまって赤ちゃんにミルクでもあげていらっしゃいませんか」

女の人はせんそうでご主人をなくし、赤ちゃんをかかえて仕事に行くとちゅうでした。マルチンは女の人にあたたかい食物をごちそうし、赤ちゃんにミルクを飲ませてあげました。

昼すぎに、家の外が急にさわがしくなったのでおもてに出てみると、りんご売りのおばあさんがりんごをつかんだ男の子を追いかけていました。

「だれか!その子をつかまえてください!うちのりんごをぬすんだんですよ」
マルチンは追いかけて、男の子のえりもとをつかみました。

つかまった男の子はふるえながら、
「おじさん、おばあさん、ごめんなさい。ゆるしてください。おなかがすいていたから、つい手がのびてしまったんです」と言いました。

マルチンは男の子をさとし、おばあさんにりんごのお金をはらってあげました。

こうして、一日はくれ、あたりは暗くなりました。

「イエス様は、たしかにおいでになるとおっしゃったんだがなあ。やはりゆめだったのだろうか」

マルチンはランプに火をともしながらつぶやきました。イエス様がおいでになったらどんなお話をしようか、どんなおもてなしをしようかと考え、はりきっていたのに、なんだかかたすかしをくったようで、少しさびしい気持ちでした。しかし、マルチンは気をとりなおして、またいつものように聖書(せいしょ)を読みはじめました。

その時、
「マルチン、マルチン」
と、きのうのばんと同じやさしい声が聞こえてきました。

「あ、イエス様」

「マルチン、きょうはおもてなしをありがとう。わたしにあたたかいお茶をくれ、あたたかい食物とミルクをくれ、またリンゴ代をはらってくれましたね」

「イエス様、あれは雪かきのおじいさんや、まずしい女の人や少年にしてあげたことです」

「わたしの兄弟であるこれらのもっとも小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのです」

マルチンの心はよろこびでいっぱいでした。イエス様は、マルチンの知らないうちに三回もマルチンの家においでになったのです。マルチンはそれを知らず三回もイエス様をおもてなししていたのです。

2.もっとも小さい者の一人に

イエス様はふたたび地上にこられるとき、すくわれる人々に対して、

「わたしたちの父にしゅくふくされた人たちよ、さあ、世のはじめからあなたがたのために用意されているみ国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしがくうふくのときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿をかし、はだかであったときに着せ病気のときに見まい、ごくにいたときにたずねてくれたからである」(マタイによる福音書25:34-36)と言われます。

すると人々は、

「主よ、いつ、わたしたちは、あなたがたがくうふくであるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見てのませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿をかし、はだかなのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、ごくにいるのを見て、あなたの所にまいりましたか」(37-39せつ)とたずねます。

そのときイエス様はこう言われます。

「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらのもっとも小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(40せつ)

3.すべての人にあいを

この話は何を教えていると思う?

イエス様は、わたしたちがすべての人に親切にすることをのぞんでいらっしゃるということでしょう?

そうだね、だれでも、十字架(じゅうじか)にかかってわたしたちをすくってくださったイエス様のあいを思ったら、人に親切にせずにはいられなくなるね。とくにイエス様がこまっていらっしゃるとしたら、どんなぎせいをはらってでもお助けしたいと思うでしょう?

ある人に富(とみ)があたえられているのは、まずしい人を助けるため、健康(けんこう)があたえられているのは、弱い人を助けるため、ちえや才能(さいのう)があたえられているのは、世の中にほうしするためなのだよ。

ところが、りっぱな家に住み、ぜいたくなくらしをしながら、まずしい人には見向きもしなかったり、ゆたかな才能(さいのう)を鼻にかけていばったりして、神様からあたえられているたまものを自分をまんぞくさせるためだけに用いている人がいるよね。

わたしたちは、イエス様にせっするようにすべての人にあいをもってせっしていきたいね。イエス様はかならずそれにむくいてくださるんだよ

たからのことば

あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらのもっとも小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。マタイによる福音書24:45

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『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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