第4課 危機にある世界の希望

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エレファント島の希望

1914年、イギリスの探検家シャクルトンとその一行は南極大陸への到達を目前に、流氷に阻まれていました。彼らは広大な南極大陸を踏破する歴史上初めての人になろうと計画していましたが、氷の力によって船が破壊されてしまったのです。彼らは小さな救命ボートを使って、地球の最果てに近いへんぴで不毛の島、エレファント島にこぎ着きました。

その後、シャクルトンと5人の乗組員は、他の乗組員を島に残し、救助を求めるために木製の救命ボートで800マイル(約1288km)をこぎ進むという人類史上もっとも大胆な作戦にうってでたのです。

シャクルトンの船の多くの乗組員は、何ヶ月もの間エレファント島で待ち続けました。彼らが生き残る唯一の望みはアーネスト・シャクルトンだけでした。というのも、島に残った彼らの居場所を知っているのは、シャクルトンの他にはだれもいなかったからです。

わたしたちの世界はシャクルトンの船の乗組員と同じような状況にあります。

罪のために、わたしたちの世界は絶望と混乱があふれ、外部からの助けを必要としています。そして、その救い主はただひとりです。聖書には、罪から救われることについて、どのように書かれているのでしょうか?

罪の始まり

どのようにして罪がこの世界に入ってきたのでしょうか?

さて、天では戦いが起った。

ヨハネの黙示録12章7節

聖書はその昔、ルシファーという天使が神の統治に反逆したと述べています。ルシファーが、神のみが受けることができる礼拝を自分自身が受けようと計画したときに、天において戦いが起こりました(イザヤ書14章13―14節)。

天から追放されたサタンは、攻撃の矛先を神からどこに向けましたか?

へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。

創世記3章1節

神は「善悪を知る木」からは、実をとって食べてはいけないとアダムとエバに言われました(創世記2章16―17節)。神がアダムとエバに言われた聞き間違いようのない明らかな神の指示を疑わせようと、サタンはエバを誘惑しました。

神の明白な言葉ではなく、サタンのほのめかしを選ぶことで、エバは神への忠誠よりも神を疑うことを選んだのでした。

エバが罪を犯した結果、どうなりましたか?

ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。

イザヤ書59章2節

罪はわたしたちを神から引き離します。罪の結果は「死」であり、神は「命」の源だからです(ヨハネ17章3節、ヨハネ第一5章12節、ヨハネ5章40節)。

エバの忠誠の欠如、すなわち神への不服従は、神と彼女との関係に亀裂を生じさせ、すべての命の源である唯一のお方から彼女を切り離したのでした。

人類と神との間に、罪は断絶をつくり出しました。人間が命から死に向かう原因にこれこそがなりました。ローマ人への手紙5章12節には、アダムとエバの罪の結果、罪が「すべての人類に入り込んだ」と記されています。

罪の影響

アダムとエバの子孫に、罪はどのような影響を与えましたか?

罪の支払う報酬は死である。

ローマ人への手紙6章23節

罪の結果は死であり、地球上のすべての人が影響を受けています。なぜなら「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなって」いるからです(ローマ人への手紙3章23節)。罪が世界に入った結果、すべての人類は永遠の死に直面してしまいました。

殺人、泥酔、高慢、偽り、盗み、詐欺、ゴシップなどどんな種類の罪であろうと、罪のその結果は同じく「死」をもたらします。

人間はどのようにして、罪の結果から逃れることができますか?

罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主イエス・キリストにおける永遠のいのちである。

ローマ人への手紙6章23節

罪が世界にもたらした死の宣告から逃れる道を、神は備えられました。生きているすべての人は、キリストを通して永遠の命というプレゼント(賜物)を受けることができます。

コリント人への手紙第一15章3節には「キリストがわたしたちの罪のために死なれた」と書かれています。罪の代価は死です。

しかし、キリストはわたしたちが決して払うことのできない負債を支払うために死なれました。神であり、律法の与え主であるキリストの死は、人類の罪の代価を支払うのに十分でした(ヨハネによる福音書1章1節)。

イエス・キリストをとおして、どのように永遠の命の賜物を受けることができますか?

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

ヨハネによる福音書3章16節

イエス・キリストを信じることは、永遠の命というプレゼント(賜物)を受けるのに不可欠な要素です。

永遠の命は買うことも、苦行や慈善をして得ることもできません。それはただ賜物として神から与えられるものです。神は求める人々に救いを与えられるのです。

永遠の命は簡単に受けることができるのでしょうか。もし、わたしが永遠の命を受けるに値しない場合はどうなりますか?

あなたがたの救われたのは、実に、恵により、信仰によるのである。

エペソ人への手紙2章8節

誰ひとり、永遠の命を受けるに値する人はいません。すべての人が神に対して罪を犯したからです。そして罪の代価は死です。罪からの救いは、恵みにより、信仰を通してのみ得られるものです。

神の恵み、すなわち罪のゆるし、罪から清める力をもっておられる神が人類に救いをもたらすのです。救いは信仰、すなわち聖書の約束にもとづき、神は信頼できると信じることで与えられるのです。

信仰とは

信仰とはどのようなものでしょうか?

主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。

マタイによる福音書8章8節

キリストがある人の家まで行って、彼のしもべをいやしてあげようと言われたとき、その人はキリストがただ言葉を発するだけで、しもべはいやされるでしょうと答えました。

彼は、神が言われたことは必ずそのとおりになると信じていたのです。

それに答えて、キリストは「イスラエルの中にもこれほどの信仰を見たことがない」と言われました。

キリストの言葉に対するその人の完全な信頼は、真の信仰をあらわしています。信仰によってわたしたちはこう言えるのです。「神がそう言われるならば、わたしはそのようになることを期待します」と。

神が永遠の命を与えようと言われるときに、神がそうすると信じ、神の約束は絶対であると期待することが、信仰をあらわす行為です。神はわたしたちの罪をゆるし、永遠の命を与えると約束しておられます。

信仰とは、神の言葉に信頼し、選び続けること、すなわち永遠の命というプレゼントがあなたのものであると信じることなのです。

信仰についてのもう一つの実例を、聖書の中のアブラハムの経験に見ることができます。

「彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また成就することが出来ると確信した」とローマ人への手紙4章20節、21節にあります。

信仰とは、約束されたことを実行する力が、神にはあると信じることなのです。

悔い改め

罪のゆるしはどのように受けることができるでしょうか?

だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。

使徒行伝3章19節

悔い改めとは、罪から離れることです。罪びとは犯した罪を悲しみ、自分の罪深さを認め、神の義を受け入れるために罪から離れるのです。

わたしたちは自分の罪を神に告白する必要があるのでしょうか?

もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

ヨハネの第一の手紙1章9節

わたしたちが祈りのうちに心から罪を神に告白するなら、神はわたしたちをゆるし、清めてくださいます。神が約束を果たしてくださるので、わたしたちは確かにゆるされたことを知るのです。

これが信仰によって神のゆるしを受け入れるということです。わたしたちが罪を告白するなら神はゆるされます。本当に単純明快なことなのです。

新しい人生

罪をゆるされた後、どうすれば神が望まれる生き方を送ることができるでしょうか?

そういうわけだから、神に従いなさい

ヤコブの手紙4章7節

クリスチャンとして人生を豊かに生きる秘訣は、神の意志に従うことです。キリスト教は単に概念を信じることではありません。それは神の意志に従う生き方です。

神に告白するなら、神はゆるしてくださると、どうして信じることができますか? 

わたしに来る者を決して拒みはしない

ヨハネによる福音書6章37節

キリストは、信仰をもって彼のところに来るすべての人を受け入れると誓っておられます。どんなに罪深くても、神の恵みが届かないということはありません。

ヨハネの黙示録3章20節でキリストは、「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはい……ろう」と言われています。

キリストの恵みによって受け入れられ、罪をゆるされ、救ってほしいと願うなら、キリストはそのとおりにしてくださるでしょう。なぜならキリストご自身が約束しておられるからです。

救いの4ステップ

 信じる   - ヨハネによる福音書3章16節

 悔い改める - 使徒行伝3章19節

 告白する  - ヨハネの第一の手紙1章9節 

 神に従う  - ヤコブの手紙4章7節

キリストは、信仰を持つようになる過程を「新しく生れること」だと言われました。ニコデモに説明されたように、救いの賜物を受けるためには、人は「再び生まれ」なければなりません(ヨハネによる福音書3章3節)。

それは神の恵みによって、人が造り変えられるという意味です。古い、罪深い人生に代わって新しい人生がつくり出され、まったく新しい性質が与えられるという意味なのです。

パウロはコリント人への手紙で「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(コリント人への第二の手紙5章17節)と書いています。

永遠の命という賜物を受けた今、どのようにして神に喜ばれる生き方がわたしはできるでしょうか?

わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

ガラテヤ人への手紙2章19―20節

キリストから永遠の命という賜物を受けた後、わたしたちは神の意志に自分を明け渡す生き方をするようになります。一瞬一瞬をキリストにゆだね、自分の人生に神の意志がなされるように求めるのです。

ピリピ人への手紙2章13節には、「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であ」ると書かれています。

わたしたちがキリストを罪からの救い主として受け入れ、キリストに人生をゆだね、わたしたちの内にキリストが生きてくださるとき、永遠の命の賜物が確かにわたしたちのものであり、わたしたちが天を望んで生きていることが確信できるのです。

神とともに歩む生き方には成長があるのでしょうか? 

地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。

マルコによる福音書4章28節

キリストははっきりと、信仰生活は成長の歩みであると言われています。毎日生きるなかで、わたしたちはより完全に人生を神に明け渡すことを学んでいきます。そうすることで神のみこころ(神の意志)がわたしたちを通してなされるようになるのです。

キリストは無償で救いの賜物を提供しておられます。今日、あなたの人生にキリストを招きませんか。キリストを個人的な救い主として受け入れ、あなたの内にキリストが生きてくださるようにしませんか。

神は約束しておられます!

ある女性が質問しました。「牧師先生、神さまはわたしが犯した罪をゆるしてくださいますか」
「はい、もちろんゆるしてくださいます」と牧師は答えます。
「でも、もしそれがとても重大な罪だったら?」
「悔い改めて神さまに告白するなら、神さまはどんな罪びとでも喜んでゆるしてくださいますよ」
「先生、わたしは50年以上前、とても重大な罪を犯しました。そのときから毎日、一日に何度もわたしはその罪を告白しています。でも神さまがわたしをゆるされたとどうやって知ることができるのですか?」

記憶をたどるなら、彼女はこれまでに5万回以上もこの罪について告白してきたと言うのです。
すると牧師は答えました。「問題は、あなたが神さまは嘘つきだと信じていることにあると思いますよ」
彼女はびっくりしてしまいました。もちろん、そんなことを考えたこともなかったからです。

「次の聖書の言葉を読んでください」と牧師は言いました。
牧師にうながされるまま、彼女はヨハネの第一の手紙1章9節を開いて読み始めました。「もしわたしたちが罪を告白するならば……」
「あなたは告白しましたね」
途中で牧師が質問しました。
「はい、告白しました」
「では、読み進めてください」
「もしわたしたちが罪を告白するならば、彼は真実で正しい……」
「なんと書いてありますか? 神さまはどんなお方ですか」
「神さまは真実で正しい方です」

彼女は眉間にしわを寄せて、怪訝そうな表情を浮かべながら答えました。
そして彼女は続きを最後まで読みました。「神は真実で正しい方であるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」
「そうですね」大きく深呼吸しながら牧師は次のように言いました。

「聖書はとてもはっきりしていますね。今、読んだ聖書の言葉にもとづくなら、あなたは5万回も余分に告白したことになりますね!」

2、3日後、牧師は再びこの女性に会いました。「先生とお話しした日の夜は、これまでの50年間で一番よく眠れました」と彼女は顔を輝かせながら言ったのです。

神は約束を実現されるお方です。もしあなたが神に対して犯した罪に恐怖を感じているなら、神は喜んであなたをゆるしてくださると信じてください。なぜなら、神はそのように約束しておられるからです。

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そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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