人は死んだらどうなるのか
1981年、作家ウィリアム・サローヤンの亡くなる間際の言葉がAP通信によって掲載されました。「誰にでも死はやってくる。だが、わたしの場合は例外だと信じてきた。さて、どうしたものか」。
この質問は、生きている者であればいずれ誰もが直面する問題です。人は死んだらどうなるのでしょうか。聖書は死についてどのように述べているでしょうか。このテーマは聖書全体から見てどれほど重要なものでしょうか。
人生がどのように終わるのかを理解するためには、人がどのように生まれたのか(創造されたのか)を学ぶ必要があります。

死の始まり
人間の創造
死は眠り
いつ天国に行くのか
でも……十字架の上にいた強盗はどうなるのでしょうか?
キリストが十字架にかけられたときに、同じく十字架の上にいた強盗に関する部分を注意深く読むと、キリストの言葉はとても明確です。
そして言った、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。ルカによる福音書23章42―43節
死を目前にした強盗は、すぐに天国に行きたいとは言いませんでした。彼は、キリストが権威をもってくるときに、自分を思い出してほしいと頼んだのです。
キリストが「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」と言われたことに注目してください。
このキリストと強盗の会話は金曜日に行われましたが、日曜日にマリヤが復活されたキリストと出会ったとき、キリストは、自分はまだ天に昇っていないとマリヤに告げています。つまり、キリストは天に行っていなかったのです。
では、キリストが強盗に言った言葉の意味はどうなるのでしょうか?
実は聖書の原典はギリシャ語で書かれており、ギリシャ語の性質上、句読点が書かれていませんでした。現在の聖書の句読点は、原典が制作されてから何世紀も後になって、聖書の翻訳者が付け加えたものです。
そのため、この聖句は2通りの読み方ができます。
「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」
あるいは、
「きょう、よく言っておくが、あなたは、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」です。
聖書全体から見ると、わたしたちは後者の読み方が正確であると考えています。後者の読み方であれば、このときのキリストの言葉は、ほかの多くの聖句と矛盾しません。
キリストはとても重要な教えを伝え、十字架上にいた強盗が必要としていた励ましの言葉を与えました。彼は犯罪者として死刑を言い渡され、十字架刑に処せられていました。
そのようなあわれな状況の中でも、彼はキリストを信じることで、どのような罪びとであっても、どんな状況でも救われることを理解し、心を開いたのです。
こうして彼は、自分が神によってゆるされていること、イエス・キリストによる救いを確信しながら死をむかえることができたのです。

パウロが見せられたパラダイスとはどこのことでしょうか?
それはこの世と天国との間にある別の世界のことでしょうか?
コリント人への第二の手紙12章3節と4節で、使徒パウロは天に引き上げられ、驚くべき天の光景を見せられました。パラダイス(第三の天)とは天のことです。
ヨハネの黙示録2章7節には、いのちの木が「神のパラダイスにある」と記されています。またヨハネの黙示録22章2節では、いのちの木は聖なる都(天)にあるとされています。
パラダイスと天は同じ場所のことです。
[It Is Written 聖書研究ガイド5の「最大の幸せ」を参照]
モーセとエリヤについてはどうでしょうか?
モーセとエリヤは、変貌に際してキリストの前にあらわれました。
エリヤは死を見ずして天に上げられた人で(列王記下2章11節)、モーセは死後に特別に復活しました(ユダの手紙9)。
彼らはキリストの十字架によって救われるすべての人の代表としてあらわれたのです(ルカによる福音書9章30―31節)
キリストの十字架の直後に復活した人々についてはどうでしょうか?
マタイによる福音書27章52節には、「眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った」と書かれています。死んだ者たちが「眠っている」と表現されています。
この出来事は、死が眠りであるという聖書の教えを強固なものにし、それを証明するものです。

偽りの教え
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