第13課 イエス・キリストの再臨
目次
わたしはもう一度戻る
ダグラス・マッカーサーが、第二次世界大戦中に極東米軍部隊の司令官だったとき、日本はアメリカの占領地だったフィリピンを侵略しました。
1942年2月22日、当時大統領だったフランクリン・ルーズベルトは、マッカーサー司令官にフィリピンから撤退するように命じました。
マッカーサー司令官は「わたしはもう一度フィリピンに戻る」という有名な演説を残し、1944年10月20日にマッカーサー司令官は約束通り、レイテ島の海岸に彼の軍隊を上陸させ、ほどなくしてフィリピンを解放したのでした。
キリストの約束
- 天に戻られる前に、キリストは人々にどのような約束をしましたか?
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あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
ヨハネによる福音書14章1―3節
キリストはふたたびこの世界に戻ってきて、彼を待ち望んでいるすべての人を呼び集め、天でともに過ごすために連れ帰ると約束しました。この出来事を「再臨」と呼びます。再臨とは目に見える形で、キリストがもう一度この地球に戻ってこられることを意味しています。
再臨の望み
- 聖書はキリストの再臨について、どのように表現していますか?
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祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むように……
テトスへの手紙2章13節
聖書は、キリストの再臨を最も希望にあふれた出来事として描いています。そのときには、世界中の苦しみも失望も永遠に消え去るのです。キリストの再臨はまさに、祝福に満ちた世界の希望でもあるのです。
- いつの時代から、人々はキリストの再臨を待ち望んでいましたか?
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わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。
ヨブ記19章25―26節
聖書で最も初期に書かれたヨブ記の中で、ヨブはすでにキリストの再臨を待ち望んでいました。
また新約聖書のすべての著者もキリストの再臨に言及しており、キリストご自身も再臨について何度も語っています(マタイによる福音書24章30節、マタイによる福音書26章64節 参照)。
- キリストの再臨は、どれほど大きな希望をわたしたちに約束していますか?
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人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。
ヨハネの黙示録21章4節
この世界における罪と悲しみは、キリストが再臨するときにすべて消え去ります。もはや人々は病気に悩まされることもなく、死ぬこともなく、悲嘆に暮れて涙を流すこともありません。
このようにキリストの再臨は、わたしたちにとって祝福に満ちた確かな希望です。
いつ戻ってくるのか?
- キリストはいつ、この世界に戻ってきますか?
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その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。
マタイによる福音書24章36節
多くの人がキリストの再臨する日を特定しようと努力しましたが、すべて失敗に終わりました。キリストの再臨が起こる「その日、その時」はだれも知らないのです。
- キリストの再臨が近づいていることを知ることはできますか?
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いちじくの木からこの譬(たとえ)を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏が近いことがわかる。そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
マタイによる福音書24章32―33節
キリストの再臨の日を正確に知ることはできませんが、キリストが教えられた再臨の前兆に目をとめるときに、再臨が近づいていることを知ることができます。 [It Is Written聖書ガイド2 「前兆を見る」を参照]
再臨の様子
- キリストの再臨とはどのようなものですか?
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イエスが上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。
使徒行伝1章10―11節
キリストの再臨は文字どおりの出来事で、キリストご自身が「再び」この世界に「臨む(戻られる)」ことです。
- 地上のすべての人々は、キリストの再臨を目撃しますか?
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見よ、彼は雲に乗ってこられる。すべての人の目は、……彼を仰ぎ見るであろう。
ヨハネの黙示録1章7節
そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
マタイによる福音書24章30節
キリストの再臨は全人類の目の前で起こる出来事です。世界中の人々がキリストの再臨を見るのです。
- 地上のすべての人々は、キリストの再臨に気がつきますか?
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すなわち、主のご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、
テサロニケ人への第一の手紙4章16節
キリストが天使の軍勢とともに来られるとき、どれほどの大音量が響き渡るのかは想像もつきません(マタイによる福音書16章27節)。キリストの再臨はすべての人が認識できる出来事です。
- キリストの再臨は、わたしたちの目にどのように映るでしょうか?
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われらの神は来て、もだされない。み前には焼くつくす火があり、そのまわりにははげしい暴風がある。詩篇50篇3節
キリストの再臨は栄光に満ちた出来事であり、疑う余地のないものです。
- キリストの再臨のときには、どのような出来事が起きますか?
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キリストにあって死んだ人びとが、まず最初によみがえり、
テサロニケ人への第一の手紙4章16節
墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人びとは生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。
ヨハネによる福音書5章28―29節
キリストが再臨するとき、第一の復活が起こり、キリストにあって死んでいた人々がまずよみがえり、キリストとともに永遠に過ごすようになります。
死の縄目は解かれ、墓に眠っていた人々はよみがえり、もはや永遠に死ぬことはありません。 [死についての詳細は It Is Written 聖書研究ガイド10「死の神秘」を参照]
- キリストの再臨のときに、生きている神の民(クリスチャン)はどのように変化しますか?
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というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
コリント人への第一の手紙15章52―53節
キリストの再臨のときに、キリストを信じる人々は永遠に朽ちない体を受け取ります。もはやわたしたちは肉体的な苦痛を感じることはありません。神が新しい体を与え、永遠に生きるようにしてくださるからです。
- 再臨について、キリストはどのような警告を与えられましたか?
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人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。
マタイによる福音書24章37―39節
ノアの時代に全世界を覆った大洪水と再臨とを比較しながら、キリストは世界に無関心がはびこることを警告されました。人々の多くが霊的(信仰的)な状態に関心を持つことなく日常生活を送ると言われたのでした。
再臨に関するさまざまな質問に対する答え
再臨のときに「ひとりは取り去られ、ひとりは取り残される」と書いてありますが、どのような意味でしょうか?
そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。
マタイによる福音書24章40―42節
ノアの時代の大洪水と再臨を比べながら、キリストはこの部分の意味をわかりやすく説明しています。ノアの箱舟のお話には2つのグループが登場します。
ひとつは箱舟に入ることで救われた人々、もうひとつは箱舟に入らずに滅ぼされた人々です。
再臨のときの状況は、ちょうどノアの時代と同じであるとキリストは言いました。
一方の人々は救われ、もう一方の人々は滅びます。同じような環境(畑にいるふたり)や同じような状況(うすをひくふたりの女)にある人々がまったく違った運命を迎えるのです。
ひとりは取り去られ、ひとりは取り残される、とはそういう意味です。
キリストの再臨は人知れず起きるのではないのですか?
だから、人々が「見よ、彼は荒野にいる」と言っても、出ていくな。また「見よ、へやの中にいる」と言っても、信じるな。
マタイによる福音書24章26節
キリストは、再臨が人知れず起こるものではないと明確に述べています。キリストがすでに再臨された、あるいはすでに地上に来ていると誰かが主張したとしても、わたしたちはそれを信じてはいけません。
キリストの再臨は、人知れず、秘密のうちに起こる出来事ではありません。
ある人々は、キリストの再臨は秘密裏に起こる出来事であり、特定の救われた人々のためにキリストが再臨し、そのあとに二度目の機会が与えられて、準備ができた人々を救うと教えています。
しかし、聖書のどこを見ても、再臨が秘密裏に起こるとは書かれていませんし、キリストの再臨に備えられなかった人々のために、もう一度チャンスが与えられるとも書かれていません。
でも……
聖書には、キリストが真夜中に盗人のようにくると書かれていますが、これについてはどうでしょうか?
あなたがた自身が良く知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。……しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。
テサロニケ人への第一の手紙5章2―4節
キリストが真夜中に盗人のように来るのではなく、再臨(主の日)が盗人のように突然、訪れるのです。そのため、キリストに会う用意ができていない人々は、再臨が突然、盗人のようにやってきたと感じるのです。
あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。(テサロニケ人への第一の手紙5章5節)。
7年間の苦難についてはどうでしょうか?
キリストの再臨の前に、悩みの時があることは疑問の余地がありません。しかし、その期間が7年間であることについては聖書のどこにも書かれていません。聖書はその期間の長さについては言及していないのです。
キリストを信じる者は、将来の苦難を恐れながら生きるのではなく、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」(ヘブル人への手紙13章5節)という彼の言葉に信頼を置きます。
キリストは苦難の時に、わたしたちとともにいると約束されました。キリストはヨハネによる福音書16章33節で次のように言われています。「この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。
キリストが再臨するとき、地上に千年王国を築かれることについてはどうでしょうか?
ヨハネの黙示録6章14節から17節には再臨の場面が描かれていますが、失われていく人々がキリストから逃れようとする様子が出てきます。
また、イザヤ書25章9節には、キリストがあらわれるときの神の民(クリスチャン)の喜びが描写されています。
さらにペテロの第二の手紙3章10節には「主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう」と書かれています。
キリストが再臨するとき、地上は破壊されるのです。
[千年期についての詳細はIt Is Written聖書研究ガイド11 「黙示録にある千年期」を参照]
再臨の前兆
- 聖書は、キリストの再臨の前に何が起こると言っていますか?
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これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちの所に行き、彼らを招集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。
ヨハネの黙示録16章14節
にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
マタイによる福音書24章24節
キリストの再臨前に、サタンは惑わしの力を用いて多くの人々をあざむくために働きます。使徒パウロは、サタンが「あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議」を行うと述べています(テサロニケ人への第二の手紙2章9節)。
サタンは、人々を惑わすために残された時間がわずかであることを知っているので、神の民(クリスチャン)を惑わすためにさまざまな不思議なわざを行うのです。
- 再臨について、キリストはどのような差し迫った忠告を与えていますか?
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だから、あなたがたも用意をしていなさい。
マタイによる福音書24章44節
目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである。
マルコによる福音書13章37節
キリストはわたしたちに、再臨に備えるように強くうながしています。キリストの再臨がいつ起こるのか、わたしたちには正確にわからないので、常に備えていることが重要だからです。
使徒ペテロは次のように警告しています。
終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の情欲のままに生活し、「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変っていない」と言うであろう。(ペテロの第二の手紙3章3―4節)
キリストの再臨に備え、準備を怠らないことがとても大切なのです。
- 再臨するキリストに会う準備ができていることを、わたしたちはどうすれば確信できますか?
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主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。
使徒行伝16章31節
見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
ヨハネの黙示録3章20節
キリストの再臨に備えるためには、わたしたちがキリストを個人的な救い主として受け入れ、自分の罪を告白し、人生を神にゆだねることで、永遠の命を確信することができます。
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聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
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