第16課 神殿の再建

目次

数奇な都エルサレム

「平和の都」と呼ばれるエルサレムは、他に類を見ない数奇な歴史をもっています。何千年にもわたり、この場所をめぐって多くの紛争が行われました。

今もなお、エルサレムは世界で最も政情的に不安定な場所の一つです。

エルサレムでもっとも大切にされている場所は、ユダヤ教徒にとってもイスラム教徒にとっても聖域とされている神殿の丘です。

この場所は、最初にソロモンが建てたイスラエルの大神殿があったところであり、後にバビロンのネブカデネザル王によって破壊されたところです。

やがて、同じ場所にヘロデの神殿が建てられましたが、紀元70年にローマ人によって破壊されました。

この時以来、神殿の再建計画が待ち望まれていますが、聖書的に言えば、神殿が再建される必要はあるのでしょうか?

幕屋あるいは聖所として知られている古代の神殿の目的は何だったでしょうか? 

神殿の多種多様な象徴や儀式は何を意味していたのでしょうか? 

また神の民の代表として神殿で仕えていた大祭司のように、現在、神の前でわたしたちのために仕えてくださっているのは誰でしょうか?

聖所とは

聖所の主な目的は何でしたか?

彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。

出エジプト記25章8節

神は人間を愛し、親密な交わりをするために創造しました。神はわたしたちを「神のかたち」に造られたのです。

もっと、わたしたちは神をよく理解し、神を愛することができるはずでした。

人類の祖先が罪を犯したとき、神と人間との間にあった親密さが妨げられ、純潔で聖なる神との間が厚い壁によって隔てられてしまったのです(イザヤ書59章2節)。

聖所は、神がもう一度人間と共に住むための手段として定められました。

聖所の中にはいつも神がいて、神の民を導き、守りながら、彼らと共にどこにでも行かれました。

聖所の象徴と奉仕は、彼らを愛しておられる神について、民がより良く理解するためのものだったのです。 

神は聖所(幕屋)と奉仕を通して神の民に何を見せましたか?

ところがキリストは、ほんものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。

ヘブル人への手紙9章24節

聖所は、神の救いについての方法を示す三次元モデルでした。聖所については、聖書に描かれていて、広く多様な象徴と儀式について記されています。

聖所は、福音の完全な物語を詳細に説明しています。神のさばきとあわれみ、そして神がどのようにして永遠かつ究極的に罪の問題を解決するのかを具体的に説明しているのです。

ダニエル書とヨハネの黙示録は、「聖所」という主題を多くの預言の中で説明していて、ヨハネの黙示録では特に、聖所とその奉仕について何度も言及されています。

聖書には重要な主題がいくつもありますが、「聖所」という主題は他の主題以上に重要なものです。

聖所の中心となる教えは何でしたか?

血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。

へブル人への手紙9章22節

聖所の奉仕は動物の犠牲に基づいていました。

この心痛む儀式は、罪がゆるされて清められるためには、血を流す必要があることを人々に教えました。

血は生命の象徴です(レビ記17章11節)。神に属する人間が罪を犯したので、神の生命を象徴する血だけが、罪びとをゆるすことができます。

イエスは神の小羊であり、彼の血が世の罪を取り除くのです(ヨハネによる福音書1章29節)。

聖所の奉仕を通して、神は罪の代価の大きさを人々に示しました。

動物の犠牲の血をとおして、神はさらに大いなる犠牲、身代わりの救い主、イエス・キリストを指し示されたのでした。

聖所の構造

聖所を建てる計画をモーセはどこから得ましたか?

すべてあなたに示す幕屋の型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない。

出エジプト記25章9節

モーセが聖所を建てたとき、彼は神から与えられた「青写真」に従いました。

聖所は神によって綿密に設計され、すべての象徴と儀式には意味が与えられていました。

最初の聖所は、ユダヤ人が荒野を旅していたときに持ち運んだ天幕の構造をしていました(出エジプト記25章40節)。

それはアカシア材、ヤギの毛、動物の皮、銀や金などの貴金属など、さまざまな材料で作られていました。また、聖所はそれぞれ三つに区分されていました。

聖所至聖所
長さ 
約46m
長さ 
約9m
長さ 
約4.6m
幅 
約23m
 幅 
約4.6m 
幅 
約4.6m

「庭」には聖所を囲む幕が張り巡らされていました。聖所への入口は、前方の幕を通る一つだけです。

この幕を通って、犠牲の動物を連れた罪びとは聖所に入って行くのです。

庭の内側には燔祭の祭壇があり、そこで犠牲の動物は火で焼かれました。また洗盤があって(出エジプト記40章7節)、聖所の中に入る前に祭司が手と足を洗いました。

聖所には7つに枝分かれした燭台があり(出エジプト記25章31―40節)、いつも油が燃えており、香の祭壇には、絶えず香がたかれていました(出エジプト記30章7―8節)。

またパンの机があって、いくつかの平らなパンがその上に置かれていました(出エジプト記25章30節、レビ記24章5―9節)。

神が宿っていたのは至聖所の中で、そこには契約の箱がありました(出エジプト記40章3節)。

契約の箱の上には純金でつくられた2つの天使が立っており、箱の上にある贖罪所を見つめていました(出エジプト記25章17―22節)。

箱の中には神の律法である十戒の石の板が置いてあり、それは神の指で文字を刻まれたものでした(申命記10章4―5節)。

罪びとはどのようにして罪のゆるしを受けましたか?

その罪祭の頭に手を置き、燔祭をほふる場所で、これをほふり、罪祭としなければならない。

レビ記4章33節

罪びとは小羊を連れて聖所に行き、入り口の幕を通って燔祭の祭壇のところまで歩いて行きます。

彼は手を小羊の頭の上に置いて自分が犯した罪を告白します(レビ記4章29節、5章5節)。

こうすることで象徴的に、罪びとは自分の罪を小羊に移し、その小羊は身代わりとなるのでした。

神が指示されたこの儀式でもっとも困難だったのは、罪びとが自分の手で小羊を殺さなければならないことでした。

犠牲をささげたあとで、祭司はその肉の一部を食べ、その血を少し取って祭壇に振りかけました。

こうして、罪びとから小羊に移された罪は祭司に移され、そして、祭司は聖所の中へと進んでいきました。

かわりに罪びとは、罪を取り除かれて聖所を去ることができたのです。

イスラエルの聖所は、何を見本につくられましたか?

このような大祭司がわたしたちのためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し、 人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる。

へブル人への手紙8章1―2節

地上の聖所は天の聖所を見本にしてつくられました。モーセが作った聖所は、神が建てられた神殿をあらわす「影」(へブル人への手紙8章5節)でした。

へブル人への手紙が示しているように、天の聖所にいるわたしたちの大祭司が、罪びとに救いを与えるのです。

ですから、もはやエルサレムに新しい神殿を建設する必要はありません。

わたしたちにとって重要な真の聖所は天にあるからです。

終わりの時代について聖書が預言する「聖所」とは天の聖所であって、地上の聖所のことではないのです。

聖所のそれぞれの象徴と意味

この地上の「庭」で、キリストはどんな犠牲を払いましたか?

見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

ヨハネによる福音書1章29節

神は罪深い人類にゆるしを与えるために、大きな犠牲を払いました。

犠牲が聖所の庭でささげられたように、キリストが死んだのはこの地上の「庭」でした。

キリストが十字架で死なれたとき、地上の聖所の幕が上から下に裂け(マタイによる福音書27章51節)ました。

これは、地上の聖所の奉仕がこの瞬間から廃されたことを示していました。

キリストはその死をもって「犠牲と供え物とを廃された」のでした(ダニエル書9章27節)。

神の真の聖所は天の聖所であり、地上の聖所(神殿)ではありません。

イエスの生涯、十字架の死、そして天での奉仕を考えるとき、もはや地上の聖所の奉仕は必要ではないことが明らかです。

わたしたちの天の大祭司は今、天の聖所で仕えておられるからです。地上の神殿は廃され、地上の新たな神殿の建設について聖書は何一つ指示していません。

ですから、動物の犠牲をささげる地上の神殿は、もはや神の神殿ではないのです。今も動物の犠牲をささげることは、すべての人間のために死なれたキリストの死を否定することになるからです。

聖所の装具はどのようにしてイエスを表していますか。

聖所にあるひとつひとつの器具が、わたしたちを罪から救うキリストの働きの一面をあらわしています。

燔祭の祭壇

カルバリー(十字架)でのキリストの犠牲(ヨハネによる福音書1章29節)

洗盤

生ける水であるキリスト(ヨハネによる福音書4章10節、テトスへの手紙3章5節)

燭台

世の光であるキリスト(ヨハネによる福音書1章9節)

パンの机

命のパンであるキリスト(ヨハネによる福音書6章48節)

 

香壇

信仰の祈りにともなわれるキリストの義(ヨハネの黙示録8章3節)

 

契約の箱と贖罪所

神の律法を犯したものに提供される神の恵み(ヨハネの第一の手紙2章1節、詩篇85篇10節)

大祭司の働き

現在、わたしたちの大祭司はだれですか?

わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。

へブル人への手紙4章14節

すべての罪びとが救われるためには祭司、すなわち天の大祭司が必要です。

聖書は「神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである」と言っています(テモテへの第一の手紙2章5節)キリストはわたしたちにとってただひとりの仲保者です。

天の聖所で大祭司であるキリストは何をしておられますか?

そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。

へブル人への手紙7章25節

天の大祭司であるキリストの主な働きは、わたしたちの生活の中で救いを実現することです。カルバリーの十字架は救いの過程の終わりではありませんでした。

今、わたしたちのために犠牲となった小羊であるキリストは、大祭司としてわたしたちのために天で仕えておられます。

旧約時代の大祭司は、聖なる神の前に立って神と罪びととの間の仲保者の役割を果たしました。

この働きによって、罪びとはいつでも神の前に立つことができ、神もまた民のところに来ることができました。

キリストは天に戻られたあと、わたしたちを救うために自ら父のみ前に仕える大祭司の役割につきました。

キリストは罪びとである人間と永遠の神とをつなぐ鎖であって、神とわたしたちとの関係を回復し、クリスチャン生活を豊かに生きるための霊的な力をわたしたちに与えてくれるのです。

贖罪日とは何ですか?

特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。

レビ記23章27節

贖罪日(ヨム・キプール)は毎年一度の儀式でした。大祭司が至聖所に入るのはこの日だけでした。

この日はさばきの日であって、厳粛な悔い改めの日、すなわち神と神の民の関係の回復が保証される日でした。参加するのを拒む者たちは神の民から絶たれました。(レビ記23章29節)

祭司たちは毎日、犠牲をささげ、(肉の一部を食べ、血の一部を聖所にふりかける)罪の記録が聖所の聖なる場所に移されました。そして贖罪日は聖所を罪から清める特別な日でした。

預言者ダニエルは、天の聖所が清められることを預言しました(ダニエル書8章14節)。

キリストの再臨に先立ってさばきが行われます。このさばきは、キリストを心から信じたすべての人にとって祝福のときです。[It is written 聖書研究ガイド17 「メシヤとさばき」を参照]

罪が最終的に取り除かれる「贖罪の日」にはどんなことが行われましたか?

(アロンは)その二頭のやぎのために、くじを引かなければならない。すなわち一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためである。

レビ記16章8節

贖罪の日には2頭のやぎが選ばれました。主のためのやぎは神の民の犠牲として殺されます。

そのやぎの血を大祭司が至聖所の中に持っていき、契約の箱の上の贖罪所にふりかけました。これはわたしたちを罪から救うキリストの血と神の恵みをあらわしていました。

これに続いて、サタンをあらわす贖罪のやぎに聖所から罪が移されました。贖罪のやぎは荒野に放たれ(レビ記16章21―22節)、孤独な死をとげます。

これは最後のさばきのときに、人類の罪の責任を負ってサタンが罰せられることをあらわしています。

キリストの再臨の日から、サタン(悪魔)は千年の間地球に繋がれます。[It is Written 聖書研究ガイド11 「黙示録の千年期」を参照]

この期間の終わりに、彼はついに燃える火の池の中で滅ぶのです。(黙示録20章10節)[It is Written 聖書研究ガイド12「愛の神は本当に永遠の地獄をつくられるのか?」を参照]

なぜキリストは完全な大祭司なのでしょうか?

イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった

へブル人への手紙2章17節

この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったがすべてのことについて、わたしたちと同じように試練に会われたのである。

へブル人への手紙4章15節

キリストは人間の肉体を持ってこの世に生まれ、誘惑を受けました。罪の誘惑がどのようなものかを体験的に知っているので、キリストはわたしたちの肉体の弱さが理解できるのです。

ですから、わたしたちが自分の罪を告白するとき、キリストはあわれみに満ち、わたしたちをゆるしてくださるのです。

キリストは罪の誘惑に抵抗しました。キリストは完全に罪のない方でした(ヨハネの第一の手紙3章5節)。

キリストが自身の人生をとおして罪の誘惑に勝利されたので、彼には最も必要なときにあなたを助ける備えがあるのです。

律法の基準を完全に満たされたキリストは、その生活をわたしたちの罪深い生活の身代わりとすることができるのです。

わたしたちは「あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受ける」ことができます(へブル人への手紙4章16節)。

さらにキリストは、わたしたちが彼の模範に従い、キリストの力を受けて罪に勝利した人生をおくるのを助けてくれるのです(ペテロの第一の手紙2章21―22節)。

覚えておく3つの重要なこと

  1. 聖所は救いの計画を具体的に説明している
  2. 聖所は、神が罪をどのように最終的に解決するのかを詳しく示している
  3. 天の聖所は、キリストがわたしたちを救うために仕えておられる場所である

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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