第18課 黙示録の獣

目次

トロイの木馬

ギリシャの伝説によれば、スパルタ王妃ヘレンがトロイアのパリスという男に連れ去られたことで、トロイア戦争が始まりました。復讐を誓ったスパルタ王の遠征は成功しなかったため、ギリシャ人はトロイアに向けて千の艦隊で出航しました。

トロイア攻略のための試行錯誤を続けるなかで、やがてスパルタ人は武力よりも「だまし討ち」を計画するようになりました。

彼らは大きな木馬を作り、その中に武装した大勢の戦士を隠してトロイの市外に置きました。そして、この木馬が幸運をもたらすと信じたトロイアの人々は、それを市中まで運んでだのです。

その夜、ギリシャの兵士たちは木馬の中から出て、トロイア市を攻略して滅ぼしたのでした。幸運をもたらすと思っていた木馬が、実際には不運をもたらしたのです。

地球の最後の時代についての預言、そして世界に霊的危機の時代がやってくるという預言を見ると、聖書はまるで霊的な「トロイの木馬」の出現を預言しているようにも思えます。

希望と祝福を与えると信じていた「魅力的な何か」が、実際には人々に不幸と破滅をもたらし、世界をサタンの邪悪な計画にひきずりこもうとするのです。

反キリストの台頭

聖書は反キリストについて何と言っているでしょうか?

イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。

ヨハネの第二の手紙1章7節

「反キリスト」という言葉は聖書の中に4個所だけ出てきます。そのすべてがヨハネの手紙の中にあります。

どの場合でも、「反キリスト」は教会内部にあり、信仰を腐敗させる偽教師あるいは欺瞞の力を描くために使われています。

「反」という接頭辞は「反対する」という意味ですが、「の代わりに」という意味もあります。

終わりの時代の反キリストは、キリストに公然と反対する者ではなく、キリストにとって代わろうとする存在なのです。

終わりの時代の大きな欺瞞によって、「全世界」が黙示録13章の獣に従うようになると書かれています(ヨハネの黙示録13章8節)。

キリストに公然と反対する者、すなわち神の言葉を高らかに拒否する者が、クリスチャンを含む「世界」を欺くのはかなり困難でしょう。

しかし、クリスチャンを擁護しながら、神と教会を代表するような権力が魅力的にあらわれるときに、それは容易に世界を欺くことができるのです。

はじめにキリストの地位を奪おうとしたのはルシファーでした(イザヤ書14章12―14節)。

彼は絶えずキリストに反対し、キリストに対する偽の情報を流していました。最後の時代、悪魔(サタン)は誰を扇動し、誰を通して世界を欺こうとしているのでしょうか?

聖書は、世界に霊的危機をもたらす権力についてどのように描写していますか?

だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。

テサロニケ人への第二の手紙2章3節

使徒パウロは、キリストが地上に戻って来る前に、「不法の者」が現れて、教会は大きな霊的「堕落」を経験するだろうと述べました。

ヨハネの第一の手紙3章4節には「罪は不法である」と書かれているように、地球の最終時代の大背教には、神の権威、特に神の律法をないがしろにする勢力があらわれることになります。

聖書の著者たちは、最終時代にどこから背教が起こると警告したでしょうか?

わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。 また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。

使徒行伝20章29―30節

彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。

テサロニケ人への第二の手紙2章4節

使徒パウロは、重大な問題が起こるのはキリスト教会の内部からであると述べました。

It Is Written 聖書研究ガイド16と17の中で述べたように、地上における神殿とその働きは、キリストが十字架で死なれたときに廃され、その後、神が神殿の再建を命令したことはありません。

終わりの時代の反キリストは「神の宮に座し」と聖書が言うとおり、この存在はキリスト教会の中にあらわれると宣言しているのです。

新約聖書は、「神の宮」が神の民あるいは神の教会であると幾度となく説明しています(コリント人への第一の手紙3章16節、17章1節、コリント人への第一の手紙6章19節、コリント人への第二の手紙6章16節、エペソ人への手紙2章20―22節を参照)。

ダニエル書7章の幻

ダニエルは、風にかきたてられた海から何が現れるのを見たでしょうか?

ダニエルは述べて言った、「わたしは夜の幻のうちに見た。見よ、天の四方からの風が大海をかきたてると、 四つの大きな獣が海からあがってきた。その形は、おのおの異なり。

ダニエル書7章2―3節

聖書の預言では、重要な事実をあらわすためにひんぱんに象徴が用いられます。

は、王国あるいは国家をあらわします(ダニエル書7章17節、23節)

は、大勢の人々をあらわします(ヨハネの黙示録17章1節、15節)

は、闘争または戦争をあらわします(エレミヤ書49章36―37節、ヨハネの黙示録7章1―3節)

ダニエル7章で、ダニエルは4つの強力な国家が起こるのを見ました。これはダニエル2章でネブカデネザル王に示された国家と同じです。

ダニエルが見た4つの国家は何でしょうか?

第一のものは、ししのようで、わしの翼をもっていた。

ダニエル書7章4節

第二の獣はのようであった。これはそのからだの一方をあげ、その口の歯の間に、三本の肋骨をくわえていた。

ダニエル書7章5節

その後わたしが見たのは、ひょうのような獣で、その背には鳥の翼が四つあった。またこの獣には四つの頭があり、主権が与えられた。

ダニエル書7章6節

第四の獣は、恐ろしい、ものすごい、非常に強いもので、大きな鉄の歯があり、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは、その前に出たすべての獣と違って、十の角を持っていた。

ダニエル書7章7節

ダニエル2章の預言と同じく、7章でダニエルが見せられたのは次の国家です。

小さい角の登場

第四の王国にとって代わるのは何でしょうか?

十のはこの国から起る十人のである。

ダニエル書7章24節

ダニエル2章に象徴として示された鉄の足(ローマ帝国)が指10本に分かれていくように、ダニエルはローマの権力から10本の角が起こるのを見せられます。

10本の角は、分裂したローマ帝国から起こる10の国をあらわしています。これらの国々は、現在わたしたちが「西ヨーロッパ」と呼んでいる国々のことです。

ダニエルは10の角から何が出てくるのを見たでしょうか?

わたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。

ダニエル書7章8節

この小さな角は歴史的に、黙示録13章の先の獣と同じ国家、つまり「反キリスト」と呼ばれる権力であると信じられています。

小さな角を明確に判別できる特徴はどんなものでしょうか?
  1. その他の角の間(西ヨーロッパ)から起こる(ダニエル書7章8節)
  2. とても小さい(ダニエル書7章8節)
  3. ヨーロッパに10の部族が建国された後に出てくる(ダニエル書7章24節)
  4. 他の角(国家)のうちの三つを滅ぼす(ダニエル書7章8節)
  5. 他の10の国家とは「違って」いる(ダニエル書7章24節)
  6. 小さい角は人のように語る(ダニエル書7章8節)
  7. 「いと高き者に敵して言葉を出し」、神を汚す(ダニエル書7章25節)
  8. 神の民を「迫害」する(ダニエル書7章25節)
  9. 「ひと時と、ふた時と、半時の間」、つまり1260年の間支配する(ダニエル書7章25節)。聖書の預言では、ひと時=1年、ふた時=2年、そして半時=6か月です(3年半と訳されている聖書訳もあります)。

    古代の聖書に用いられている、ひと月30日の暦を基準にすると、3年半は1260日になるのです。

    聖書の預言で日は、実際には年を示します(エゼキエル書4章6節)。つまり、1260日=1260年ということになります。

    ダニエル書とヨハネの黙示録の中で異なる言い回しが7回使われていますが、これらはこの権力の支配の長さをあらわしたものです。
  10. 「時と律法とを変えようと望む」(ダニエル書7章25節)。この権力は、神の律法を変えようと企てます
ダニエル7章の小さい角の権力とは誰のことでしょうか?

キリスト教会が神の言葉に忠実に従うとき、神の教会は世の光、恵み、祝福の源となります。

しかし、もしクリスチャンが聖書に忠実であることから離れ、聖書の真理を伝統や誤った教え、あるいは教会の規則で覆い隠すなら、教会は神が求めておられる本来の働きをすることができません。

歴史を通じて、キリスト教会が神の言葉を偽って伝えてきた時代があったのは事実です。そしてその結果は悲惨なものでした。

マルチン・ルター、ジョン・カルバン、ジョン・ノックスなどのプロテスタント宗教改革者たちはみなダニエル書を研究し、「小さい角」の権力に象徴されるものは「ローマ教皇権」であると結論づけました。

歴史的に多くの聖書研究者は、ダニエル7章に出てくる小さい角を特定する特徴を満たすものはバチカンであると結論づけてきました。この結論にはどんな妥当性があるのでしょうか?

以下の10の特徴が、小さな角がローマ教皇を象徴している証拠です。

  1. バチカンは西ヨーロッパに起こった
  2. バチカンは「小さな」国家である
  3. バチカンは他の10の国が紀元76年に建てられた後に起こった。バチカン市が政治権力を獲得したのは紀元538年である
  4. バチカンは力を得たときに、ヘルリ、ヴァンダル、オストロゴスの三国を征服した。これら三国はみな「抜け落ち」ヨーロッパから消滅した
  5. バチカンは他の国家と「違い」、宗教権力と政治権力の両方をもっている
  6. ダニエルは小さい角には「人の目のような目」があると特徴づけた(ダニエル書7章8節)。この権力には先導する「人物」がいる
  7. 聖書は、罪をゆるすことができると主張する人間(ルカによる福音書5章21節)、あるいは神であると主張する人間を「汚す者」と定義している(ヨハネによる福音書10章33節)。

    バチカンは罪をゆるす権威を持つと主張し、神の大権を主張することで神を汚している。バチカン市会議は1870年、教皇が教皇権の地位から述べることは、常に間違いがないとの声明を出した
  8. バチカンは何世紀にもわたり、聖書を信じるクリスチャンを迫害し、幾百万という人々の死に対する責任を負っている
  9. バチカンは紀元538年に至上権を獲得し、1798年まで1260年間にわたって支配した。1798年にナポレオンがピウス六世を幽閉したとき、バチカンは自治権を有する地位を失い、ヨハネの黙示録13章3節に予言されている「死ぬほどの傷」を負った
  10. バチカンは聖書の安息日の代わりに日曜日を定めること、また第二の戒めを公式の教えから取り除く(十番目の戒めを二つの戒めに分けた)ことで、神の律法を変えようとした
地球の終わりの時代、小さい角はどのような影響を及ぼすでしょうか?

その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、

ヨハネの黙示録13章3節

ヨハネの黙示録13章の先の獣(国家)と、ダニエル書7章の小さな角は同じ国をあらわします。この類似に注目してください。

どちらとも汚しごとを語り(ダニエル書7章25節、ヨハネの黙示録13章5―6節)、どちらとも神の民を迫害し(ダニエル書7章21節、25節、ヨハネの黙示録13章17節)、どちらとも1260年の間支配します(ダニエル書7章25節、ヨハネの黙示録13章5節)。

この権力による大きな影響を世界中が受けるので、その刻印を受けない人々は物の売買ができなくなります(ヨハネの黙示録13章17節)。

地上のすべての人は、キリストに忠実にしたがう人々以外はこの権力を礼拝することになります(ヨハネの黙示録13章18節)。

聖書の十戒(簡略版) 原文は出エジプト記20章3―17節を参照

  1. あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
  2. あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。…それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない……。
  3.   あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。……
  4. 安息日を覚えて、これを聖とせよ。……七日目はあなたの神、主の安息である……
  5.  あなたの父と母を敬え。……
  6. あなたは殺してはならない。
  7. あなたは姦淫してはならない。
  8. あなたは盗んではならない。
  9. あなたは隣人について、偽証してはならない。
  10. あなたは……むさぼってはならない。……

カトリックの十戒(カトリックのカテキズム) 

  1. わたしはあなたの神、主である。わたしの前に違った神々を持ってはならない。
  2. あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
  3. 主の日を覚えて、これを聖とせよ。
  4. あなたの父と母を敬え。
  5. あなたは殺してはならない。
  6. あなたは姦淫してはならない。
  7. あなたは盗んではならない。
  8. あなたは隣人について、偽証してはならない。
  9. あなたは隣人の妻をむさぼってはならない。
  10. あなたは隣人の物をむさぼってはならない。
正しく見えるものでも、間違っていることがどうしてあるのでしょうか?

人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。

箴言14章12節

かつてウイリアム・シェイクスピアは次のように書きました。「光るものすべてが金ではない(外見にだまされるな)」。バチカンが多くのよい働きを擁護していることは疑いようのない事実ですが、その教えの多くが聖書の真理から逸脱しています。そして、その逸脱の度合いはかなり大きなものです。

  • 教皇ピウス12世は1953年に、次のように述べた。「(カトリック)教会のみが救いの入り口である。教会のみが、単独で、聖霊の保護と導きの下にあって、真理の源である」(教皇ピウス12世、グレゴリア大学への教書、1953年1月17日)。
  • ローマ教会は、救いはキリストを信じることを通してなされると教える一方で、キリストだけを信じて救われるとは教えていない。
  • ローマ教会は十戒を変えた。ローマ教会は聖書の安息日順守を日曜日の神聖化に置き換え(カトリック教会カテキズム、叙述2174-2176)、公式の教えから第二の戒めを取り除いてそれを第一の戒めと一緒にし(カトリック教会カテキズム、叙述2083)、そして十番目の戒めを二つに分けた(カトリック教会カテキズム、叙述2514-2557)。
  • バチカンは、罪の告白は司祭に対してすべきだと教えているが(カトリック教会カテキズム、叙述1449,1461、その他)、司祭への告白は聖書のどこにも教えられておらず、「 神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである」(テモテへの第一の手紙2:5)という重要な聖書の教えの核心と衝突する。
  • バチカンは死者となった「聖者」(カトリック教会カテキズム、叙述2683)に対して祈るように奨励する。これに対し聖書は「死者は何も知らない」(伝道の書9章5節)と教えている。死者にどれほど祈っても、生きている者の役に立つことはない。キリストは、主の名によって父なる神に祈るように教えた(マタイによる福音書6章9節、ヨハネによる福音書14章13―14節)。

このような(他の多くを含む)聖書に根拠を置かない教えは、聖書あるいは救い主キリストを信じる信仰に導くものではありません。それらはむしろ聖書をむしばみ、キリストの教えに反するものです。

しかし、諸教会は神の言葉をゆがめて伝えようとは思っていません。事実、多くの場合、非聖書的な教義を教えている教会は、自らがそうしていることにまったく気づいておらず、むしろ祝福であると考えています。

そうは言っても、聖書を否定しながら語られる真理には一貫性がなく不正確で、欠点だらけの福音しか世に提供することができません。

このような教えはむしろ有害であり、とても危険で誤った方向づけを人々に与えるものです。また偽りの教えは神の品性を誤って人々に伝え、人々が神の恵みとあわれみ、永遠の命の賜物の麗しさを真に理解するのを困難にするのです。

信仰の土台

キリストの再臨に備えるために、わたしたちは信仰の土台をどこに置くべきでしょうか?

主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたも……も救われます。

使徒行伝16章31節

イエス・キリストを信じ、一瞬一瞬キリストに結びつく生き方をすることによって、人々はキリストの再臨に備えるために天が与える命に生きるようになるでしょう。

「世界中」が反キリストを礼拝するときに、わたしたちはどのようにして神に忠実でいられるでしょうか?

あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。

ピリピ人への手紙2章13節

生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

ガラテヤ人への手紙2章20節

キリストは自分自身を完全にゆだねるときに、人々の内で生きると宣言しておられます。自分の人生をキリストにささげるとき、わたしたちはキリストの力がわたしたちを満たし、導き、守られるという確信を持つことができます。

誰も自分ひとりで悪の力と戦う必要はありません。わたしたちの内に生きておられるキリストは、わたしたちが信仰によって勝利の人生を生きることができるようにしてくださいます。

ローマ人への手紙6章16節には次のように書かれています。

あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。

ローマ人への手紙6章16節

聖霊の力をとおして、わたしたちはキリストに完全にゆだねた人生を生きることができます。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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