第19課 獣の刻印

目次

安定しているように見えても

1999年のトルコで起きた大地震の後、がれきの処理をしていた復興の専門家たちは衝撃的な事実を発見しました。

地震で崩壊した幾千という建物が非常に貧弱な造りで、建築基準法に沿って建てられてさえいれば、多くの命が助かっていたことがわかったのです。外から見ただけでは建物には問題らしいところは見つかりません。

ところがいざ地震が襲ったとき、安定しているように見えた建物が悲惨なほどに破壊されてしまったのでした。

地球歴史の最後の時代、世界中を悩みの時が襲うでしょう。神の言葉に従い、信仰を持つ者だけが、やがて来る困難の期間を乗り越えることができるのです。

獣の刻印とは

預言者ダニエルは、地球の終わりの時にどんなことが起こるのを見せられたでしょうか?

また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。

ダニエル書12章1節

獣の刻印の強要とともに、全世界を最後の大いなる戦いが巻き込もうとしています。

獣の刻印を受けた結果、どうなるのでしょうか?

また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。

ヨハネの黙示録13章16―17節

売買が制限されることは過去にもありました。戦時中は国民がさまざまな物資を買うことができず、配給という方法がとられました。

ヨハネの黙示録13章15節には、獣の刻印を拒む人々は売買の禁止にとどまらず、脅迫を受け殺されることもあると書かれています。

どれほどの人々が獣の刻印を受けるのでしょうか?

地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。

ヨハネの黙示録13章8節

また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。…大声で叫んで言った、 「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。

ヨハネの黙示録7章2―3節

聖書には、キリストに献身し続ける忠実な者だけが獣の刻印を受けないと書かれています。地上に生きるその他の大多数の人々が獣の刻印を受けるのです。

すべての人は、神の印または獣の印の2つの印のどちらかを受けることになります。創造主である神を礼拝し、従う者は神の印を受けます。そうでない人々は獣の刻印を受けるのです。

神の印とは

神の印はどこに押されるでしょうか?

わたしたちの神の僕らのに、わたしたちが印をおしてしまうまでは。

ヨハネの黙示録7章3節

神の印は信じる者の額におされます。神の印を受けることは、神に対して動かぬ献身と意思を持っていることをあらわします。

神の印を受ける者の額にはどのようなことが書かれるでしょうか?

御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。

ヨハネの黙示録22章4節

その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。

ヨハネの黙示録14章1節

古代では、印は権威と承認を示すために用いられました。わたしたちは救われた人々の額に神の品性をあらわす神の名(出エジプト34章5―7節)が書かれるのを見ます。

神の印を受ける人々の中には、キリストの慈悲深い品性が深く植えつけられるのです。

人間は本来、神のかたちに造られました。

アダムとエバが罪を犯したとき、完全な神のかたちは失われました。救済の完全な計画は、人間の中に神のかたちが再び創造される神の働きに基づいています。

神の印を受ける者は、神の力を受け、キリストがその人の内に住まわれることで、神のかたちに再創造されるという希望が与えられているのです。

獣の刻印の問題は、地球上に生きる人類を2つのグループに分類します。ひとつはどんな犠牲を払ってでも喜んでキリストに人生をゆだねるグループ、もうひとつは人生をキリストに完全に明け渡そうとしないグループです。

神は、最後の時代に誰を礼拝するように呼びかけているでしょうか?

天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め

ヨハネの黙示録14章7節

神の言葉は、神が造られたものではなく、創造主を礼拝するように述べています。獣の刻印の問題は、真の礼拝、すなわち創造主である神を礼拝するのではなく、偽りの存在に対する礼拝を強要するものです。

ちょうどサタンが荒野において、キリストに向かって自分を拝むように誘惑した(マタイによる福音書4章9節)のと同じです。キリストの再臨まで、サタンは全世界の人々の称賛と崇拝を受けようとしているのです。

ヨハネの黙示録14章7節に書かれている創造主を礼拝するようにとの呼びかけの中で、「安息日を覚えて聖とする」第4の戒めからの言葉が引用されています。(出エジプト記20章11節)

神の律法のどの部分が神の権威についての特別なしるしでしょうか?

わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間のしるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである。

エゼキエル書20章20節

安息日は神が創造者であることと神の再創造の力を思いださせ、神の権威を認めるしるしなのです。安息日を守ることは、創造主なる神への忠誠と神の完全な権威を全的に受け入れる姿勢をあらわしているのです。

なぜ、安息日は神の印と呼ばれるのでしょうか?

主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた

出エジプト記20章11節

わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである。

エゼキエル書20章12節

神の印は、創造主また救い主としての神の権威をあらわします。安息日は神の創造の記念日としてだけでなく、神の再創造の力のしるしとしても存在しています。創造主だけが再創造する力を持っておられるからです。

神にすべてをゆだねることは、神の戒めに従順である人生へと導きます。ヨハネによる福音書14章15節でキリストは次のように言われました。

もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。

ヨハネによる福音書14章15節

神に従うとは、神の指導と統治に服従することです。創造主である神が、わたしたち罪びとを神のかたちに再創造してくださる特別なしるし(安息日)を守ることも含みます。

聖書の時代には、権力者の権威によって法的文書に一度公印が押されると、たとえ問題のある法律であったとしても有効になるのでした。たとえば王妃イゼベルが、ナボテという人が所有していたぶどう畑を奪うために出かけたとき、彼女はアハブ王の名で手紙を偽造し、それを王家の印で封じました。王の印はその手紙が有効であることを証明するものでした(列王記上21章8節)。

同様にエステル記8章8節で、アハシュエロス王がひとつの法令を出して王家の印で封じました。どちらの場合も、法的文書に印を押すことは、印を押した者に所有権があることを宣言しました。神の律法に押された神の印は、神が所有者であり、神に所有権があることを示しています。

安息日は神の律法の印です。十戒の一部分でもある安息日は神が定めた戒めであり、宇宙の創造主の権威によって支持され、有効であると宣言されているのです。

「主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」(出エジプト記20章11節)。

宇宙を創造した神が主権者であるなら、神の印には正当な所有権があることがわかります。神の印は律法が有効であり、間違いのないことを示すのです。

神の印はまた、神に忠実に従う者を示すシンボルマークです。神の印は、キリストをこよなく愛し、すべての戒めを守る者の額に見ることができます。彼らは偽りの礼拝に参加することを拒否するのです。

獣とは

権威のしるしを持つ獣とは誰のことでしょうか?

そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。

ヨハネの黙示録13章12節

聖書の預言では、「獣」は王国あるいは国家を象徴します。聖書が証言している内容に照らし合わせれば、ここで言及されている国家はバチカンすなわちカトリックをあらわします。[It Is Written 聖書研究ガイド18 「黙示録の獣」を参照]

その獣をあらわす数字は何でしょうか?

ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。

ヨハネの黙示録13章18節

その数字は666ですが、文字そのものが獣の刻印なのではありません。それはある「人間」をあらわす数であって、黙示録13章に出てくる最初の国家を見極めるために「計算」できるものです(黙示録13章17―18節)。

教皇に与えられた称号VICARIUS FILII DEI(ビカリウス フィリアイ ディ <神の子の代表者> )は数字に置き換えると666になるために教皇権を示すと、ある聖書学者たちは考えています(ラテン語のフレーズで、そのフレーズの各々の文字にローマ数字を当てはめると666になります)。

獣の刻印はどこに押されるでしょうか?

また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ。

ヨハネの黙示録13章16節

手はその人の行動を象徴し(伝道の書9章10節)、額は意志決定がなされるところをあらわしていると考えられています。

人々は彼ら自身の考えで獣の命令に賛同したり、あるいは賛同しなくてもそれに服従するという行動によって獣への忠誠をあらわすのです。

獣の刻印は、終わりの時代における偽りの宗教への忠誠を象徴しています。

ヨハネの黙示録13章に出てくる獣の権威のしるしとは何でしょうか?

安息日が神の権威を表すしるしであるように、日曜日が教会の権威を表すしるしです。

原理主義者たちは日曜日に礼拝するために集まるが、聖書には共にする礼拝が日曜日になされたという証拠はない。
ユダヤの安息日、あるいは休息の日は、土曜日であった。クリスチャンの礼拝日は復活を称える日曜日であるべきだと決めたのはカトリック教会だった。

カール・ケーティング『カトリック主義と原理主義』 38ページ

安息日の変更はローマの権威のしるしです。カトリックは聖書にまったく根拠がないにも関わらず、日曜日礼拝を制度化したからです。

つまり、日曜日を遵守するただひとつの基盤はカトリック教会の権威です。日曜日を聖日として守るようにと、聖書には記されていないからです。

その上同じ教皇が、安息日の休みは、その日にわたしたちが神の賛美のために世俗の仕事から休むべき日とするために、主の日[日曜日]に変更すべきであるとの法令を出した。

『De Clericorum Institutione<聖職者の指導に関する>』 2巻46章、『Mingne’s Patrologia Latina』107巻、コラム361のラテン語原本から著者が翻訳した

四世紀のカエザリアの司教エウセビウスも次のように述べています。

安息日にすべきである義務は何であれ、我々はすべて主の日へと変更した。
なぜならその日の方に優先性があり、一番とすべきであり、ユダヤ人の安息日にまさって栄光にふさわしいからである。

エウセビウス著『詩篇注解-詩篇92篇』、『安息日の詩篇または歌』 『Migne’s Patrologia Graeca』23巻 コラム1171、1172、『Bernard de Montfaucon’s Collectio Nova Patrum Et Scriptourm Graecorum』2巻 folio, Paris, 1706年

神の民(クリスチャン)はどのようにして売買を妨げられるのでしょうか? 売買を制御するためにどのような手段が用いられるのでしょうか?

戦時中などにも、人々はさまざまな物資の売買を制限されました。当時はシリコンチップやパソコン、スマートフォン、タブレット、インターネットなどのテクノロジーがまだ存在しない時代のことです。

さらに、国際条約に違反したり、意見の異なる国に制裁を加えるために、貿易規制もしばしば行われてきました。

今日のような電子経済の社会では、個人資産や金融口座を凍結するのはとても簡単なことです。獣の刻印を強制する手段は、テクノロジーを基盤にした方法でも実行できるでしょうし、それ以外の方法でも可能です。

聖書は、獣の刻印を受けない人々が売買を妨げられる手段について明記してはいませんが、現在の世界経済システムを見るかぎり、このような未来が起こり得る可能性は非常に高いと言えます。

666が獣の刻印ですか?

聖書によれば、666は獣を象徴する数であって獣の刻印そのものではありません。それは「人間の」名前をあらわす数です(黙示録13章18節)。1つの数字が3回繰り返される「6、6、6」のではなく連続した数字「666」です。

その合計が666となる名前を探していくと、黙示録13章に出てくる問題の名前が「国家」に関するものであることがわかります。It is Written 聖書研究ガイド18では、反キリストの性質をカトリックが持っていることを学びました。

この666は、黙示録13章の獣の正体を明らかにするのに役立ちます。

バチカンの組織の指導者には、歴史を通じて多くの公式名が存在したことは事実ですが、VICARIUS FILII DE <神の子の地位にある者> という名前は、地球の最後の時代に神の地位を奪い、神にささげられるべき礼拝を人間が受けるという、サタンの欺瞞の性質をあらわす名前です。

獣の刻印とはシリコンチップ、あるいはそれに類似するものである可能性はあるでしょうか?

獣の刻印は何か? ということと、獣の刻印は人々にどのように強制されるのか、ということの間には非常に大きな違いがあります。

獣の刻印がどのような手段で強制されるか、あるいは人々はどのように売買を妨げられるかについては正確な情報を得ることはできませんが、前述したとおりテクノロジーの手段をとおして成しとげられる可能性が大きいと考えられます。

しかし、どのような方法であれ、獣の刻印を強制する「手段」が獣の刻印なのではありません。売買の禁止は、神に忠実に従う人々が信仰から離れるように誘惑するひとつの手段にすぎません。

獣の刻印とは、神に対する反抗や不誠実のことであり、神に完全にゆだねることを拒む態度によって示されるものです。

ですから「獣の刻印」がシリコンチップのようなものである可能性はないと考えられます。神が示しておられるのは、人間の皮膚に埋め込まれるチップによって判別されるというような表面的なことではなく、もっと深い意味が込められています。

救いはキリストを信じる信仰によるものであり、獣の刻印はそれに真っ向から反対する勢力なのです。

教皇権の動き

教皇権はどのようなことをすると言われているでしょうか?

彼はまた時と律法とを変えようと望む。

ダニエル書7章25節

ダニエル書7章25節の「小さな角」に象徴される教皇権は、第七日安息日の順守を週の第一日である日曜日に変更し、同時に十戒の二条と十条を変更することで、神の時と律法とを変えようとたくらみました。

聖書の十戒(簡略版) 原文は出エジプト記20章3―17節を参照

  1. あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
  2. あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。…それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない……。
  3.   あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。……
  4. 安息日を覚えて、これを聖とせよ。……七日目はあなたの神、主の安息である……
  5.  あなたの父と母を敬え。……
  6. あなたは殺してはならない。
  7. あなたは姦淫してはならない。
  8. あなたは盗んではならない。
  9. あなたは隣人について、偽証してはならない。
  10. あなたは……むさぼってはならない。……

カトリックの十戒(カトリックのカテキズム) 

  1. わたしはあなたの神、主である。わたしの前に違った神々を持ってはならない。
  2. あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
  3. 主の日を覚えて、これを聖とせよ。
  4. あなたの父と母を敬え。
  5. あなたは殺してはならない。
  6. あなたは姦淫してはならない。
  7. あなたは盗んではならない。
  8. あなたは隣人について、偽証してはならない。
  9. あなたは隣人の妻をむさぼってはならない。
  10. あなたは隣人の物をむさぼってはならない。
現在、獣の刻印を押された人は存在するでしょうか?

また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、

ヨハネの黙示録13章16節

法律によって「獣の刻印」が強要されるときまでは、獣の刻印を受けている人はいません。

神の印を受ける人々

獣の刻印を受けない人々の特徴はどのようなものでしょうか?

ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある。

ヨハネの黙示録14章12節

獣の刻印を受けない人々とは、神に人生を完全にゆだねた人々であり、キリストに対する信仰と神に対する従順を守り続けている人々のことです。

神の印を受ける人々と、キリストはどのような関係を保たれるでしょうか?

あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。

ピリピ人への手紙2章13節

彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。

ヨハネの黙示録14章4節

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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