第25課 霊の賜物

目次

霊的な動力源

ある作業員が重要な仕事を仕上げるために電動工具のスイッチをONにしましたが、まったく動きません。再度スイッチを入れたり切ったりしてみましたが、まるで動く気配がないのです。ついに修理が必要になったのかと悩みましたが、すぐに原因がわかりました。

なんと電源コードがコンセントにつながっていなかったのです。コンセントにつなげたとたんに電動工具は完璧に動き出し、無事に作業を終えることができたのでした。

ものごとを正常に、間違いなく動かすためには動力源につながっていることが必須です。キリストを信じるクリスチャンにとってもそれは同じことです。クリスチャンが生きた信仰経験を継続するためには、霊的な動力源につながっていなければなりません。わたしたちにとっての霊的な動力源とは「聖霊」の働きです。

聖霊とは

聖霊とはどのような存在でしょうか?

主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。

コリント人への第二の手紙13章13節

聖霊は三位一体と言われる神のひとりです(ローマ人への手紙1章20節、コロサイ人への手紙2章9節)。聖書は、父、子、聖霊の三つの位格からなる一人の神がおられると教えています。

三位の各々は一つの位格でありながら、三つの位格はひとつの神として完全に結ばれています。父は子ではなく、子は聖霊ではなく、聖霊もまた父とは違います。しかし、これら三位はひとつに調和しており、各々は永遠の力に満ちあふれています。

聖書は、聖霊が一つの位格であることをどのように教えていますか?

そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。……あなたは人を欺いたのではなくて、を欺いたのだ」。

使徒行伝5章3―4節

アナニヤとサッピラが金銭取引に関して聖霊と教会を欺いたとき、使徒ペテロは「聖霊を欺いた」彼らの罪は「神を欺いた」ことであると断言しました。

この言葉は、聖霊が神であることの証拠となるだけではなく、聖霊は(欺く対象としての)人格を持つ、一つの位格であることがわかります。

真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。

ヨハネによる福音書16章13節

この聖書の場所では、聖霊が個性を持つ存在であると7回も言及されています。キリストも聖霊を一人の位格とみなしていました。聖霊はかたちや個性を持たない単なる「エネルギー」のようなものではなく、神の民を愛し、配慮してくださる「実体」をもつ存在です。

聖霊の働き

キリストは、聖霊についてどのような約束をしましたか?

わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。……わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。

ヨハネによる福音書14章16節、18節

キリストは、わたしたちの助け主(あるいは「慰め主」欽定訳)として「聖霊」をつかわすと約束しました。キリストは自分が天に戻ったあとでも、わたしたちが聖霊をとおして彼の助けをうけることができることを保証したのです。

聖霊はどのようにして、わたしたちがキリストの臨在(個人的に心の中に住んでくださること)を経験するのを助けてくれますか?

それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。

ヨハネによる福音書14章17―18節

神の戒めを守る人は、神におり、神もまたその人にいます。そして、神がわたしたちのうちにいますことは、神がわたしたちに賜わった御霊によって知るのである。

ヨハネの第一の手紙3章24節

聖霊はわたしたちに、キリストの臨在(内住)を与えてくれます。聖霊をとおして、キリストがわたしたちの心の中に住み、共におられるのです。

聖霊はどのような役割をもっていますか?

けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導くであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。

ヨハネによる福音書16章13節

聖霊の役割は、人の心に神の言葉(聖書)を知りたいという欲求を与え、彼らが聖書の真理を理解できるように導くことです。詩篇119篇130節には、次のようにあります。

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます

詩篇119篇130節

ダビデが書いているのは、聖霊によってもたらされる理解のことです。

それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。

ヨハネによる福音書16章8節

罪を自覚すること、神の義を理解して感謝すること、裁きに対する正しい認識はみな、聖霊によってわたしたちにもたらされるものです。

聖霊の働きなしには、わたしたちの信仰が成長したり、神を愛することや聖なる生き方ができるようになることは不可能です。

 わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。

ヨハネによる福音書15章26節

聖霊は求める者にキリストの言葉を理解させ、キリストの臨在を経験させる働きをします。聖霊はまた、わたしたちの生活の中にキリストの品性を生じさせる力をもっています。

聖霊はわたしたちの生活にどれほど影響を与えるでしょうか?

酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされ……なさい

エペソ人への手紙5章18節

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう。

使徒行伝1章5節

すべての神の民が聖霊によって満たされることを神は望んでおられます。キリストはそれを聖霊のバプテスマと呼びました。

聖霊に満たされた者の生活にはどんなことが起こるでしょうか?

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

ガラテヤ人への手紙5章22―23節

聖霊をわたしたちの生活に招くときに、わたしたちはキリストに似た者に変えられる霊的経験をすることができます。「肉の働き」(ガラテヤ書5章19―21節)は消えて、「御霊の実」すなわちキリストの品性がそれにとって代わるのです。

使徒パウロは次のように言いました。

御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。

ガラテヤ人への手紙5章16節

聖霊の賜物

聖霊の賜物とは何でしょうか?

すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、 またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。

コリント人への第一の手紙12章8―10節

霊の賜物とは、教会がキリストの使命を果たすことができるように成長させ、必要な資質や能力をわたしたちの内側に生じさせる特別な働きです。

これまで持っていなかった資質が奇跡的に与えられることだけでなく、もともとの才能や能力が、聖霊によって大きく伸ばされたり、増えたりすることも含まれます。

ローマ人への手紙12章6―8節、エペソ人への手紙4章11―13節には、霊的な賜物のリストが載っています。

どのような霊の賜物を受けるかを、誰が決めるのでしょうか?

すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。

コリント人への第一の手紙12章11節

特定の霊の賜物を受けたいと望む人もいるかもしれませんが、わたしたちにどのような賜物を与えるかを決定するのは聖霊の働きです。

どのようにして聖霊を受けるのでしょうか?

このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来るものに聖霊を下さらないことがあろうか」。

ルカによる福音書11章13節

聖霊の賜物を受け取る方法は単純で簡単です。

神ご自身がこの重要な賜物をわたしたちに与えたいと望んでおられるので、わたしたちは心から神に求めさえすればよいのです。神は求める者に、霊の賜物を喜んで与えてくださいます。

ゆるされない罪

ゆるされない罪とは何でしょうか?

だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。 また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。

マタイによる福音書12章31―32節

ゆるされない罪とは聖霊にさからう(拒否する)罪です。特定の罪の行為をあらわすというよりも、罪にしばられている状態そのものを言います。神はどのような罪であってもゆるしてくださると約束しました。

ヨハネの第一の手紙1章19節には、次のようにあります。

もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。

ヨハネの第一の手紙1章19節

しかしわたしたちが意図的に告白することを拒むならば、罪はゆるされません。

聖霊を汚す罪とはどのような罪のことをさすのでしょうか?

マタイによる福音書12章の「ゆるされない罪」についての説明の中で、キリストは「悪霊につかれた盲人で口のきけない人」(マタイによる福音書12章22節)をいやす場面が出てきます。

キリストの奇跡を「サタンの働き」と呼んだことで、パリサイ人はキリストを拒んだだけでなく、彼らの心に働きかけていた聖霊をも拒むことになりました。人が心に働きかける聖霊の声に従うことを拒むとき、彼らは「ゆるされない罪」を犯していることになるのです。

慈愛深い神は、反抗する人々に対しても忍耐して待ち続けられますが、聖霊の働きを拒み続けることで心が頑固になった人々は、やがて聖霊の声を聴くことすらできなくなります。このとき、彼らはゆるされない罪を犯したことになるのです。

ゆるされない罪というのは、うっかり告白することを忘れた罪のことではありません。罪を意図的に告白しないまま放っているうちに、わたしたちの心そのものが罪によって変化していってしまうのです。

告白していない過去の罪が「ゆるされない罪」なのではありません。つまり過去の罪をひとつひとつ思い出して神に告白する必要はないのです。ゆるされない罪とは、聖霊が心に働きかけておられるのを拒否し続けるうちに、あなたの心が罪によって完全に変化して、自分がゆるされない罪を犯していることもわからなくなってしまう状態のことを言うのです。

聖霊の働きに対して「NO」と答えることは、わたしたちにとって非常に危険なことです。わたしたちがとるべき正しい態度は、聖霊の語りかけには素直に降伏し、心から回心し、天の神に再び結ばれてキリストにある平安と祝福を楽しむことです。

聖霊について、わたしたちにはどのような警告が与えられていますか?

神の聖霊を悲しませてはいけない。

エペソ人への手紙4章30節

エペソ人への手紙4章30節に出てくる「悲しむ」という言葉は、原語では「嘆かせる」という意味です。わたしたちが聖霊の語りかけを拒否する状態が続くこと、すなわち罪を告白せず、正しいとわかっているにも関わらず、拒み続け、してはいけないことを行うことで、わたしたちは聖霊を悲しませると同時に神を悲嘆させることになるのです。

創世記6章3節で、神はノアに、神の霊は「ながく人の中にとどまらない」と宣言しました。人が聖霊を拒み続けるなら、やがて人々をキリストに導く聖霊の働きも止まってしまうのです。

聖霊のバプテスマ

聖霊の働きは、誰に目を向けさせる働きですか?

御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。

ヨハネによる福音書16章14節

この世界において、聖霊はキリストの代理人として働きます。聖霊はわたしたちの心をキリストに向けさせ、キリストに自分の人生をゆだね、キリストの真の品性を身につけるように導くのです。

このような真の霊の賜物を持つ人々は、彼ら自身の才能やこの世界の低俗な働きに魅了されることがありません。なぜなら、聖霊は彼らの心をキリストに向けさせ、キリストの品性を生じさせ、キリストに似たものに変えてくださるからです。

聖霊のバプテスマとは何でしょうか?

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう。

使徒行伝1章5節

聖霊のバプテスマについてのキリストの約束は、まず最初にペンテコステの祭の日において実現しました。このとき、聖霊が大きな力をあらわして弟子たちの上にくだり、彼らは超自然的な霊の賜物を受けたのでした。

キリストの弟子たちが聖霊のバプテスマによって驚くべき力を得たように、今日のわたしたちも聖霊のバプテスマによって奉仕のための備えをすることができるのです(エペソ人への手紙4章11―13節)。

使徒ペテロはペンテコステの日の説教の中で多くの信徒に向かい、悔い改めてバプテスマを受けよ、そうすれば「聖霊の賜物を受ける」と叫びました。

この言葉は現代のクリスチャンに対しても同様に語られているのです。聖霊のバプテスマを神に求めるなら、それは誰にでも与えられるのです(使徒行伝2章38節)。

    聖霊についての具体的なことがら

    • 聖霊は人格を持つ存在です(ヨハネによる福音書16章13―14節、使徒行伝5章3節、ピリピ人への手紙2章1節)
    • 聖霊は天地創造のときにも働いていました(創世記1章2節)
    • 聖霊はキリストが戻られる直前の最後の時代に大規模に注がれます(使徒行伝3章19―21節)
    • 聖書記者は、聖霊の感化のもとで聖書を記しました(テモテの第二の手紙3章16節、ペテロの第二の手紙1章21節)
    • 聖霊の助けをとおして聖書を正しく理解することができます(コリント人への第一の手紙2章14節)
    • 聖霊はクリスチャンの奉仕に必要な霊の賜物(資質や能力)を与えます(コリント人への第一の手紙12章1節、8―10節)
    • 聖霊は人生に「御霊の実」、キリストの品性の特質を与えます(ガラテヤ人への手紙5章22節)
    • 聖霊を神に求めることで、聖霊を受けることができます(ルカによる福音書11章13節)

    神はわたしたちすべてのクリスチャンが聖霊で満たされるように望んでおられます。キリストが再び戻ってこられるのを待つわたしたちにとって、聖霊は神が与えてくださる最大の賜物なのです。

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    『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
    『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
    『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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