第2課 もっとも愛されている本

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人の心を変える本

もし、あなたが深い山の中で道に迷っていると仮定してみてください。とっぷり暮れた木々の陰に、ふと1つの灯りを発見します。近づいてみるとボロボロのあばら家で誰が住んでいるのかもわかりません。けれど、そっとのぞいた窓から、灯りの下で熱心に聖書を読む人の姿があったら――おそらくホッとしてその家の戸をたたくでしょう。きっとその家の主は良い人に違いないと確信して――(実際、私の友人はこの通りの行動をとりました)。

そこには、私たちの聖書に寄せる無意識の信頼が見えます。聖書を読んでいる人はきっとよい人だろうと大勢の人が信じているようです。事実、歴史上の偉大な人物たちで聖書の影響を受けた人は少なくありません。アメリカの初代大統領であるワシントンも、奴隷解放のために立ち上がったリンカーンも、聖書から大きな影響を受けています。リンカーンは「聖書は神が私にくださった最高の贈り物」と言っていますし、「少年よ、大志を抱け」という言葉を残したクラーク博士も「学生に知識と共にもっとも必要なものは聖書」と聖書の重要性を強調しました。

私が教会の働きについて間もない頃、九州のとある町で出会ったある死刑囚のことが思い出されます。病気になった主任牧師の代わりに面会に行くことになった私は、「死刑囚などと呼ばれる人には会いたくない」と内心悲鳴をあげていました。でも、刑務所の暗い廊下を通って小さな面会室に入った時、そこには予想とは全く違った明るい口調と微笑みを持つ人がいて驚いてしまいました。面会時間が終わった時、同席していた看守の方が、「彼は昔はこんなんじゃありませんでしたよ。聖書を読み出してすっかり変わりましたね」としみじみ語っておられました。

この方の最後の日に友人として立ち会ったAさんは、後日こう語ってくれました。

「彼は本当に立派でした。私が戸惑っていると、向こうから手を取らんばかりに、『さあ祈りましょう。聖書のここを読みましょう』といたわってくれるのです。そして、知っている人への感謝の言葉を託して面会室を去って行きました」

死後、彼の妻はすべての遺品の引き取りを拒絶しました。私は彼がどのような罪を犯したのか知りません。ただ妻に遺骨さえ拒まれた彼が、明るい微笑みの人に、優しい心遣いの人になったのは、聖書の力であると信じています。

神の言葉

このように聖書がさまざまな人々の心を変えてきたのを、私もたくさん見てきました。1冊の本がなぜこんなにも人の心を変えていくのでしょうか。それは聖書が神の言葉だからです。聖書自身「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」(テモテへの手紙2・3章16節)といっています。

聖書は紀元前1500年~紀元100年くらいまでの約1600年の間に40名程の人によって書かれました。しかし彼らは自分の考えを書き綴ったのではなく、神からの霊感を受けて書きました。彼らはそのことを聖書に、「預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです」(ペトロの手紙2・1章21節)と書いています。だからこそ聖書は、多くの書物にまさって人の心に訴え、人を変えていくのでしょう。

ほかにも聖書が神の言葉であることを示すたくさんの証拠があります。たとえば新バビロニア帝国(前626~前539年)の首都が滅亡してしまうとの預言は、紀元前7世紀頃に書かれたイザヤ書にありますし、輝かしい文明の中心地だったエジプトのその後の姿も紀元前6世紀頃の預言者エゼキエルが書いています。また、聖書の歴史の正確さは、それが伝承や伝説を基にしたのではあり得ないレベルであることも証明されてきました。

もっとも愛され憎まれた本

歴史を見ていると、聖書ほどたくさんの人に愛された本はありません。また聖書ほど憎まれた本もほかにないでしょう。聖書はその長い歴史の中で幾度となく時の権力によって激しい妨害を受けてきました。そして、命がけで聖書を守った人たちの物語もまた残されています。

たとえば鉄のカーテンの向こうで聖書が禁じられていた頃、「神の密輸商人」と自称する人たちは、密かに聖書を国境を越えて運んでいき、地下教会のクリスチャンに手渡していたということです。

また、英国聖書協会の誕生は、貧しい少女が古本の聖書が売り出されるのを知って、ようやく貯めたお金を持って雪の中を駆けつけたことに始まります。雪の夜道を走り通して少女が店に着いたとき、聖書はすでに売り切れていました。その少女メリー・ジョーンズの落胆ぶりを見た牧師の訴えによって、誰でも聖書が買えるようにと聖書協会が設立されたのです。それほどまでに聖書が愛されるのは、読む人1人ひとりに神が愛の語りかけをしているからです。

数年前、私は2度のがんの手術をしました。2度目の時はさすがにショックで、死がそこまで来ているように感じました。手術が終わって3日目、「私はもうだめなのでしょうか。あなたの声を聞かせてください」と祈りながら聖書を手にしました。そして今まで読んでいたところの次のページ、詩編103編を開きました。その時、「主はお前の罪をことごとく赦し 病をすべて癒し 命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け長らえる限り良いものに満ち足らせ鷲のような若さを新たにしてくださる」(3~5節)との聖句が目に飛び込んできたのです。お墓に片足を突っ込んだと思っている私にとって、それはまさしく神の声、神の約束でした。肉声とは違いますが、私はその時神が語りかけてくださったと思わずにはいられませんでした。

こうした経験は、私だけでなくさまざまな時代のクリスチャンたちも同様に体験していると思います。皆、聖書の文字に神の声を聞きました。だからこそ聖書は、迫害の時代にも、この本を愛する人々によって命がけで守られてきたのです。

その聖書をあなたもどうぞお読みになってください。多くの迫害の中で聖書が守られてきた理由がきっとわかっていただけると思います。

聖書の言葉
それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。ローマの信徒への手紙15章4節

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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