第7課 愛に生きるために

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この世界の基準

Kさんは社会的地位も名望もある老紳士です。誠実で他への配慮も行き届いた方ですが、ふとした時、心の中を冷めたものが横切るのを感じていました。それは、特攻隊員であった過去があったからでした。

愛する祖国を守るため、アメリカやイギリスを滅ぼすことこそ最高の正義と信じていたのに、敗戦の日を境に全く逆転したことは、Kさんにとって天地がひっくり返る思いでした。決して、今でもアメリカ人たちを憎んでいるのではありません。ただ、国家最高の正義といわれていたものが、あまりに簡単に変わってしまったのが、何よりも衝撃だったのです。「私は今でも、正しいと言われていることが、不意に反対になるかもしれないと思っています。そんな現在の世界を信じ切れません」。そう語るKさんに、私は人が生きていく上で変わらない基準がどれほど必要であるかを思わずにはいられませんでした。

人の心はもちろんですが、社会も国家も変わることがあります。「ただ1つ、変わらぬものを求めて、キリスト教を学びました」。Kさんの言葉は、今も私の胸に残っています。

変わることのない基準

キリスト教の基準、それを十戒と言います。映画『十戒』をご覧になった方は、イスラエルの民を連れてエジプトを脱出したモーセが、シナイ山頂で十戒を授かる場面を覚えていらっしゃるでしょう。

十戒は、私たち人間がどのような心を持って生きていくべきかを教える道徳律と言えるでしょう。そこには神が私たちに期待される人間像が描かれています。聖書をお持ちの方は是非、出エジプト記20章3節から17節までをお読みください。ここに十戒の全文が書いてあります。

イエスはこれを2つに大別して「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これがもっとも重要な第1の掟である。第2も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい』」と言っておられます。

どのような時代、どのような社会であっても、変わらず神と人とを心から愛する――それが神の求められる理想の人間像なのです。

でも、現代の私たちはこの理想像から大きくかけ離れて行きつつあります。日本は歴史始まって以来、もっとも豊かで自由な時代を迎えていますが、人の心は反対にもっとも貧しく、ささくれだってきています。子どもへの虐待、学校でのいじめ、ドメスティック・バイオレンス、そして老人虐待と、私たちの周りには、すぐ切れ易い人が増えてきています。このままでは日本は、いえ、世界はどうなっていくのでしょうか。

人に対する基準

十戒を読んでいく時、それが単なる律法ではなく、私たちの品性そのものに対する呼びかけであることがわかります。特に対人関係に関する後半の5条からは、それこそ私の人間性に対する神の問いかけです。

5条の「父母を敬え」との戒めは、肉親への態度の中にこそ、もっとも自分の未熟なところが現れるからでしょう。特に現代は超高齢化した人たちが社会に取り残されつつあります。そうした方々に、私たちが尊敬と親愛を持って接していけるかどうかに、人の品性はもっとも掛け値なしに現れるからです。

「殺してはならない」の6条は、単に殺人の禁止だけではありません。そこには私たちが他の人を生かすことまでも含んでいます。その人を認め、敬愛し、相手の心の動きに優しい関心を持つ――、そうした人になれたら、この世界はどれほど住みよくなるでしょう。

7条の「姦淫」への戒めは、私たちに家庭への責任や、相手への労わりの心を教えていますし、「盗むな」との8条は正直な生き方を求められるだけでなく、他人の権利を尊重することをも含みます。

9条での「偽証」の禁止は、私たちが心の中まで信頼に価する人間になれと勧められていますし、最後の10条では、自分の持っているものを心から喜び活用することの大切さや、人の幸福を共に喜べる人になるように求められています。

ですから、十戒は律法というよりは道徳律、すなわち、神が私たち人間にこうあってほしいと思われる品性のあり方が示されています。親が我が子にこうあってほしいと願うように、神もまた、私たちに十戒を通して愛の人であれと望んでいらっしゃるのです。

神に対する基準

前後しますが、十戒の1条から4条までは神に対する私たちの心のあり方です。

すべての人の心の奥には、絶対者に対する忠誠心があると思います。そして人が誤ったものを絶対としてその忠誠心を捧げた時、狂信やテロ、時には戦いといった多くの悲劇が起こってきました。

1条は真の神、愛と平和の神を信じるよう勧めています。そして正しい神への信仰であっても、そこに人の手を加えることの危険性が戒められているのが2条です。人は像を作ってそれを神として頼ったり、また自分の思いを神の意志として様々な聖戦や裁きを行なったりした歴史を持っているからです。

3条では神の御名に対して深い敬虔な思いを持つように求められています。現代社会は、あらゆる権威を認めず、ただ自分の力だけを頼みとする風潮が強いようです。でも真の神を畏敬することは、人間に真の勇気と優しさを与えるでしょう。

「安息日を聖別する」。これが4番目の戒めです。人はただやみくもに働くだけで真に満足できるものではありません。なぜ自分は生まれてきたのか、何をすべきなのかと常に疑問を持つのが人間です。

イエスは、『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る1つ1つの言葉で生きる』(マタイによる福音書4章4節)と言われました。私たちは週の6日はパンのために働きますが、週の7日目を神に聖別された安息日として、働きを休み、神の御言葉によって新しい力を受け、神と私の関係に心を向けることが大切だと思います。

神との関係を失った時、私たちの人間性もまた、変化していきつつあるように思えます。家庭では親が親らしくなくなり、子が子らしくなくなってきています。学校でも社会でも地域でもそうした変化が徐々に見えてきています。

今一度、私たちは神との関係を、神に対する敬愛の思いを取り戻しませんか。神の御言葉にふれてみませんか。神の十戒が私たちの品性になっていくように願って――。

聖書の言葉
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい。ルカによる福音書10章27節

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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