第1課 宗教とは

目次

自分が生きる意味とは何なのか?

世界でも指折りの美術館であるボストン美術館には、画家ゴーギャンがタヒチの住民を描いた有名な絵画が展示されています。この絵画は、1897年、自分の死が近いことを予感したゴーギャンが、かねてから念頭にあったテーマを遺言として創り上げた縦139cm、横375cmに及ぶ大作です。彼は、下絵もモデルもなしに僅か3ヶ月で、この大作を創り上げました。

この絵の右側には、生の誕生を意味する赤ちゃんと母親がいます。中央には、知恵の木に実った果実をもぎ取りながら、自らの存在の意味を問いかけている男性の姿があります。そして左側を見ると、そこには両手で耳を覆いながら座している瀕死の老女の姿があります。ゴーギャンはこの絵のテーマとして次の三つを挙げています。

われわれは何処から来たのか?

われわれは何者なのか?

われわれは何処に行くのか?

この三つの間いは、古今東西を問わず人類が常に抱き続けてきた問いでした。皆さんがよくご存じの「方丈記」は、次のような文章で始まります。

「ゆく川の流れはたえずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。…朝に死に夕に生るるならい、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず。生まれ死ぬるひと、いづかたより来りていづかたへか去る。」

どの時代、どの文化にあっても、理性ある人間なら誰でも、「自分はどこから来て、どこへ行くのか?」、「自分とはいったい何者なのか?」、そして「自分が生きる意味とは何なのか?」ということを常に問いかけてきました。そしてこの問いに答えることこそが、宗教の使命と課題なのです。

人生の基盤

日本人は無宗教だとよく言われます。日本社会では、宗教を前時代的迷信のように考え、無宗教こそが、あたかもインテリの条件であるような風潮があります。

しかし、日本社会の生活習慣を観察してみると、日本人特有の様々な宗教的行動が見られます。正月には何千万人もの人々が神社に初詣をし、毎年決まってお盆には帰省ラッシュが続きます。特定の宗教に属していなくても、七五三になると神社にお参りし、葬式は仏式で行われます。多くの家には仏壇や神棚があります。交通安全のお守り、受験祈願、地鎮祭など、多くの宗教的風習が一般的に見られます。

無宗教を標榜している日本人でさえ無意識のうちにこのような宗教的行動をしているのです。自分は無宗教である、神を信じないといっても、人は何かを頼らずに生きていくことはできません。それは人間というものは基本的には宗教的存在なのだからです。だからこそ、宗教は歴史を通じて全ての民族・文明に共通して存在してきたものなのです。

「苦しい時の神頼み」と言われるように、人は自分でどうしようもない事態に陥った時、無意識のうちに自分を超えた存在を求めてしまうのです。

自分の存在基盤が崩れ去るような経験をするとき、私たちは初めて何が根本的に重要なものであるかを思い知らされるのです。肉親の死、自分の病気、事業の失敗、経済的破綻、家庭内の問題、友人の裏切り等、それは人によっていろいろ違います。それらに直面することにより、私たちは今まで知らなかった世界に目が開かれるのです。

ハーバード大学の宗教学教授であったウィリアム・ジェイムスは、「人が、自分の人生で、何かしら違ったものを感じはじめる時、人は宗教的になる」と言いました。非日常的な出来事に遭遇することにより、私たちは「自分にとって何が一番大切なのか」、さらに「人生の意味は何か」を問い始めるのです。これこそが、まさに宗教的な問いなのです。

1995年1月の阪神淡路大震災は、近代的大都市を壊滅させた衝撃的出来事でした。六千人もの犠牲者が出た悲劇の中で、私たちは、大自然の力の前に人間がいかに無力であるか、そして自分達の生きている基盤がいかに脆いかを思い知らされたのでした。

震災直後、ある若い女性は、新聞の投書欄に次の様に書いていました。

「今まで、ふとんで寝るということをごく当たり前のことと思っていましたが、これさえも幸せなことです。・・・毎日毎日なにげなく送ってきた日常生活が、実は非常にもろくて、いつ壊れてもおかしくないのだという覚悟を胸に、一日をかみしめながら生きていこうと思いました。」

地震後、初めて電話が通じた時、人々が最初に発したのは「生きているで!」という言葉でした。これこそは死から奇跡の生還をした人達の実感のこもった言葉だったのです。生と死を一瞬のうちに分けたものは偶然としか言えないような状況の中で、まさに生きていること自体が、彼らにとって奇跡だったのでした。

ある女性はこの震災体験が自分の人生観に与えた影響についてこう述べています。

「あの17日、いや、厳密に言えば午前5時46分の時点で私の人生は分断された。今までの人生で、私は一体何をしてきたのだろうかと自問するようになった。多くの人命や財産(モノ)を瞬間的に失った段階で、その日までモノにあふれた生活や便利な社会の幸福感、豊かさ感に酔いしれていたことを実感した。・・・これまでの生活に対し、疑問を抱きはじめたと同時に、私の心中で、『幸福』の概念が序々にではあるが、移行しつつある。」

人間が生きていくためにはモノは必要です。しかしそれだけでは生きられません。ロシアの文豪トルストイは、その作品の題の如く「人は何によって生きるのか」と問いかけました。「人はパンだけで生きるのではない」とは、よく知られている聖書の言葉です。もちろん人は生きるためには、食べなければなりません。しかし、人間が生きていくために、本当に大切なものは、ほかにもあるのです。

ガンのため右足を切断し、その再発と戦いつつ、与えられた生を生き抜いた青年医師、井村和清氏は「あたりまえ」という詩を書いています。

あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうかしかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ

「あたりまえ」の世界に住んでいるものは「あたりまえ」のありがたさ、すばらしさに気がつきません。全てが「あたりまえ」なのです。しかし、「あたりまえ」が「あたりまえ」ではなくなるとき、それは恐ろしい経験です。その恐ろしさを通して初めて「あたりまえ」のありがたさが分かるのです。

聖書の中で、賢者と言われたソロモン王は「順境の日には楽しめ。逆境の日には考えよ」と言っています。順境においては、私たちは外向的行動的であり、生を楽しみ、謳歌します。しかし、逆境においては、内向的思索的になり、人生について深く考えるようになります。逆境の経験を通して、初めて、「あたりまえ」の時に見えなかった世界に目が開かれるようになるのです。

生きる意味を求めて

以前、ある女子高校生が新聞に次のような投書をしていました。

「私は今、ある高校に通う女子高校生です。先日、私の友人が、飛び降り自殺をしました。突然の悲報に、私は目の前が真っ暗になり、どうしてこんなことになったのか、と泣かずにはおれませんでした。

学校の先生は『死んではいけない。生きなければいけない』と言われます。また世の識者たちも『強く生きねばならない』と、死に急ぐ若者に警告しています。

けれど誰一人として、『では、何のために強く生きなければならないのか』、この問いに答えてくれる人はいません。死ねば親が悲しむではないか、と老人たちは諭します。もちろん親不幸であってはならないことは分かります。でも、本当の生きる意味が分からなくでは明るい人生はないいし、自殺するなと言われても本当に苦しい人は自殺すると思います。…人間に生まれて、生きる目的も知らず、ただ名誉や利益だけを追い求める人生であっていいのでしょうか。現代人は、何か一番大切なものを知らないのでは・・。

だれか教えて下さい。本当の人生の目的を。」

この投書は実に多くの反響を呼び起こしました。これらの反響に対して、この女子高校生はもう一度投稿して次のように言うのです。

「思いがけない反響に驚きました。また、多くの方からお手紙や本を送っていただき、本当にありがとうございました。人生の目的は、一生涯かけてでも求めなければならない大間題だと分かりました。しかし、死ぬまでに分からないのではなかろうか。また分かっても達成できる時間が残されていなければ、意味がないのではないかと思うと、不安です。…だからこそ、今のうちに心の支えとなるものをつかみたいのです。どんなに苦しくても、これがあるから生きてゆけるというものを知りたいのです。私は、何かを盲目的に信じるのではなく、心から受け入れられるものがほしいのです。…」

アルベール・カミユは「シジフォスの神話」の冒頭で「人生が生きるに価するか否を判断すること、これこそ哲学の根本問題である」と言いました。生きる意味と使命を問うこと自体、それは哲学的問いであり、また宗教的な問いでもあります。それを求める生き方こそ、まさに宗教的な生き方なのです。

この人生の意味を問うということは、健全な人生を歩むうえで非常に重要なことです。真の意味において、人が健康であるということは、どういうことでしょうか。健康の定義では、WHOが1948年に採択したものが有名です。これは各国で用いられ、日本でも教科書に採用されてきました。それは、「身体的・精神的・社会的に良い状態であり、単に病気または病弱の状態が存在しないことではない」と述べています。

ところが、1999年、WHOは半世紀ぶりにこの定義を見直して「身体的・精神的・社会的」に加えて「スピリチャル(Spiritual:霊的、あるいは実存的)」という次元を加えるように提案しました。この「霊的」という次元は、人生の意味や価値観に関わる領域です。このWHOの再定義の背景には、「真に健康であるためには、生きている意味や生きがいという人生の価値観をもつことが必要である」という考え方があります。

この「スピリチャル(Spiritual:霊的)」という言葉は、日本人には聞きなれない言葉ですが、西欧諸国のおいては一般的な表現です。これはその人をその人たらせるもの、すなわち個性の真髄にあるものです。有名なハイアット医師は「霊性は、身体的でも精神的でもない、人間の次元を示している。それは、人間の価値観やトータルな人間について考える場合、これなしには人間とは言えないものである。万物の霊長である人間が人間たるゆえんは、この霊性があってはじめて可能なのである」。

神学者パウル・ティリヒは、人間を脅かす「実存的不安」として、死の不安、罪の不安、そして無意味さの不安の三つを挙げています。この三大不安に解答を与え、平安に満たされた生きがいある生活を送れるようにすることこそ、宗教に与えられた課題なのです。

見える世界・見えない世界

私たちは、多くの見えないものに囲まれて生きています。にもかかわらず、私たちは、目に見えるものしか信じられないという先入観に支配されて生きています。現代は、見えるものに重きを置く物質主義の時代です。現代科学文明は、見えるものを見えないものに、数量化できるものを数量化できないものに優先させてきました。

著しい近代科学の発達そのもの自体は、必ずしも人類に幸福をもたらしませんでした。権威ある米国軍事年報は、全世界の推定戦死者を各世紀別に算出しています。それによりますと、16世紀は160万人でしたが、17世紀は610万人、18世紀は700万人、19世紀は1940万人と増えつづけ、20世紀の戦死者は、実に1億780万人にのぼりました。科学と理性の時代として幕開けした20世紀は、実は、二つの世界大戦やその他の多くの戦争・殺戮・飢餓等に代表されるように、史上かってない程の悲劇の百年間だったのです。文明の進歩は、むしろ多くの野蛮な戦争・殺戮による莫大な数の被害者を生み出したのでした。その悲劇の原因は、科学自体の問題ではなく、むしろ科学を操作する人間の問題であったからです。

真・善・美という世界は、科学的に数量化することが不可能な世界です。雄大な自然界の営みに感動すること、崇高な音楽や素晴らしい芸術作品に出会ったときの喜び、これらはみな、科学の対象とはなり得ない世界です。にもかかわらず、それらは人類共通の普遍的な真理を持っています。ルオーは「芸術とは、目に見えるものを写すことではない。見えないものを見えるようにすることである」と言っています。フランスの卓越した指導者であったミッテラン元大統領は作家エリ・ヴィーゼルとの対談の中でこう言うのです。「卓越した学者と偉大な知識人は、彼らの科学を通じて信仰を持った。それ以外の人たちは逆に、科学が信仰を遠ざけたのです」

サン・テグジュペリの「星の王子さま」の中で、地球に来た王子さまにキツネがこう言うシーンがあります。「心で見なくちゃ。物事はよく見えないってことさ。肝心なことは目に見えないんだよ」。

科学を「事実の世界」とすれば、宗教は「意味の世界」です。科学の扱う領域は目に見える数量化可能な世界に限られています。愛すること、信じること、生きる意味、善悪の問題などは、科学では扱えない領域の世界です。宗教の世界は、見ることではなく信じる世界であり、信仰の世界です。真の宗教的態度とは、信仰を通して物事の背後にある人生の本質的意味を見出そうとする姿勢なのです。

哲学者パスカルは「パンセ」の中で「理性の最後の一歩は、理性を超える事物が無限にあることを認めることである。それを認めるところまで到りえないならば、理性は弱いものでしかない」と言っています。

宗教、そして信仰とは、頭で理解する世界ではなく、全存在をかけて生きることにかかわる世界です。実際にそれを生きることによって初めて見えてくる世界、すなわち実存的真理の世界なのです。神学者へッシェルの言葉を借りるなら「信仰とは出来事であり、人間の魂が神の栄光と交わる瞬間」なのです。故に、キルケゴールは「信仰は、人間のうちにある最高の情熱である」(恐れとおののき)と表現しました。

私たちの人生とは、一人一人に与えられた課題なのです。私たちは、生きている限り、自分の人生をどう歩むかを時々刻々問われているのです。あの地獄といわれたナチスのアウシュビッツ収容所を生き抜いたヴィクトール・フランクル医師はこう言うのです。

「人生に重い意味を与えているのは、この世での人生が一回きりだということ、私たちの生涯が取り返しのつかないものであること、人生を満ち足りたものにする行為も、人生を全うしない行為もすべてやり直しがきかないということにほかならないのです。けれども、人生に重みを与えているのは、ひとりひとりの人生が一回きりだということだけではありません。一日一日、一時間一時間、一瞬一瞬が一回きりだということも、人生におそろしくもすばらしい責任の重みを負わせているのです。」

さらに彼は「生きるとは、問われていること、答えること。自分自身の人生に責任をもつことである」と言います。人生とは、与えられたものではなく、私たちに課せられた仕事なのです。故に生きることが困難であればあるほど、その人生は意味あるものになる可能性があるのです。故に彼はこう言うのです。「苦難と死は人生を無意味なものにはしません。そもそも、苦難と死こそが人生を意味あるものにするのです」。

私たちの人生の一日一日、そして一瞬一瞬は、かけがえのない時間なのです。その人生からの問いの前に私たち一人一人は常に立たされているのです。

時代を超えて生きるために

マキシミリアノ・コルベという人物がいました。彼は、1894年ポーランドに生まれ、後に神学を学び神父となりました。1930年伝道のために来日し、長崎で極貧の生活を送りながら伝道活動をしていました。ところが、1936年、一時帰国している時、ナチ・ドイツ軍に捕らえられ、最終的にはその悪名高いアウシュビッツに送られました。

1941年、コルベ神父のいた14号舎から、一人の囚人が逃亡しました。囚人たちは、収容所長であるフリッツ大佐が日頃から言っていた警告を思い出して震え上がったのです。それは、一人の逃亡者が出れば、同じ号舎から10人の者を餓死刑に処する、というものでした。その刑罰の苦しみは飢えばかりではありません。飲物も与えられないため、極度の口渇に苦しみさいなまされるのでした。

その日、14号舎の囚人たちは、朝から一日中、炎天下で食事も与えられないまま、不動の姿勢をとらされつづけていました。やがて夕方になりました。フリッツ大佐は部下を従えてきて、彼らの所に来てどなりつけました。

「逃亡者は見つからない。お前たちのうち、10名が餓死刑にならなければならない。この次は20名だ。分ったな。」

彼は、恐怖のために冷や汗を流しながら直立不動の姿勢をとっている囚人たちの間をゆっくり歩きながら、指名していきます。「お前だ!」。「次はこいつだ!」。

一人づつ指名されていき、10名の受刑者が決まりました。その受刑者の一人がいきなり叫んだのです。「ああ、もう一度、妻と子供たちに会いたい」。

号令がかかり、10名の者が餓死室の方へ向かって歩き始めた時、突然一人の人が、列から進み出てフリッツ大佐の前に立ったのです。それはコルベ神父でした。フリッツ大佐は驚いて叫びます。「いったいお前は何をするんだ」。

コルベ神父は静かにそしてはっきりとこう述べたのです。「どうか私をあの人の身代わりにさせてください。」

フリッツ大佐は彼の申し出を受け入れました。この10人の受刑者は地下の餓死室に引き立てられて行きました。この日以来、この地下室から毎日歌と祈りの声が聞こえるようになりました。他の9人の受刑者が、絶望のうちに死んだように横たわっているのに対して、コルベ神父だけは、一人ひざまずいて祈っていたのです。

2週間後、まだ4名の者が生き残っていましたが、コルベ神父だけは、まだ意識を失ってはいませんでした。ついに収容所の医師が、コルベ神父にフェノールを注射して殺害しました。それは、1941年8月14日12時50分、コルベ神父が47才の時でした。

このコルベ神父の崇高な生き方は一朝一夕にて出来上がったものではありませんでした。彼は常に他人の為に生きることを第一としていました。収容所の中で、自分の食物を弱っているものに与え、絶えず人々を励ましていました。彼の日々の祈りは、「もし誰かが収容所より生きて帰ることが出来るならば、私はこの身をその為にお捧げします」というものでした。

何の面識もないコルベ神父の身代わりによって助けられたこの囚人は、その後、収容所生活を見事に生き抜き解放されました。そして彼を通してコルベ神父の話が全世界に広まって行きました。彼はこう言うのです。「コルベ神父は第二次世界大戦で勝ったのです。あのナチスとフリッツ大佐とに打ち勝ったのです。」

死を超えて、そして時代を越えて生きようとすれば、死や時代を越えて永遠に続く価値観、そして人生の基盤を持つことが必要になってきます。米国の黒人解放運動の指導者・ノーベル平和賞の受賞者、そして自らの使命のために殉教の死を遂げたマルチン・ルーサー・キング牧師は次のように言いました。「全ての人は一身を投げうってもよい何かをもつべきである。その何かの為に死ねない人間は生きるに価しない」。

私たちが、そのために生き、そのために死ぬことができるもの、それを私たちはしっかりと持っているでしょうか。私たちが生きている最高の価値観とは何か、人生の岐路に立って重大な選択を迫られる時に、その基準となっているものは何か、それらをしっかりと私たちのものとするとき、私たちの人生の基盤は確固たるものとなるのです。

フランスの思想家メーヌ・ド・ビラン(1766-1824)は「我意志す、故に我あり」と言いました。自分が自分たるのゆえんは、自分の思想・信条、あるいは人生の価値観をもつことです。私たちは、他人から与えられる評価によって生きるのではありません。私たちの人生の価値は、出世とか学歴とか職業という世間一般の評価で決まるものではありません。日本国憲法は、信教の自由を保証していますが、その憲法は、逆に私たち向かって、私たちがその保証に足るだけの自分の思想、信念、価値観をもっているかを問いかけているのです。

私たちにとって重要なことは、「ほかの人たちが皆そうしている」ことが、決して「自分もそうする」根拠とはなり得ないし、またなってはならない、ということです。ある時には、誰に向かっても、ただ一人きっぱりと否と言うことができ、流れに抗してただ一人立つことが必要とされる時があるのです。

私たちは、それぞれに固有の人生を歩んでいます。その人生は固有の価値をもっており、その価値は他人の評価によって左右されたり決定されたりするものではありません。それは、誰とも比較することもできませんし、取り替えることもできない独自の人生です。その人生は私たち一人一人に独自の課題を与えています。その人生の課題に対して、私たちは真正面から応えていかねばならないという責務を負わされているのです。

宗教をもつということは、人間の本質に関わる問題であると言えるでしょう。だからこそ、人類史上、全ての文化圏において無数の新興宗教が現れては消えていったのでした。

真の宗教は、私たちに真の人生の基盤を与えてくれるものであり、生きる意味と使命を教えてくれるものなのです。世界宗教と言われるものは、歴史の審判に耐えてきた宗教です。その中でも、キリスト教は、2000年の歴史を持ち、現在なお20億の信者を持つ代表的世界宗教なのです。共に聖書を学びながら、人生の探索の旅に出てみようではありませんか。

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