朝の祈り
明治40年、第一回文展に「朝の祈り」と題する油絵が入選しました。母親と共に4人の子供たちが丸い食卓について祈りを捧げている絵です。この作者は、林竹次郎という札幌第一中学校の絵画の教師でした。彼は熱心なクリスチャンで、我が家の「朝の祈り」の風景をこの絵に描いたのでした。
彼の息子である林文雄氏は、後に日本のハンセン病の歴史に残る偉大なクリスチャン医師となりました。この絵の中で、母親の膝にすがって祈っている幼児が幼き日の文雄氏です。当時の日本社会の中で、彼は不屈の精神を持ってハンセン病に対する偏見や迫害と戦ったのでした。彼の献身的な救ライ運動の生涯の原点は、実にこの祈りにあったのです。
昭和16年、竹次郎氏は、当時息子の文雄氏が園長をしていた鹿児島県の星塚敬愛園の官舎で、72歳の生涯を終えました。臨終のとき、彼は次のような歌を遺書として残しました。
「子らに残す言葉はひとつ。我が家は朝な夕なに祈りする家」
竹次郎氏にとって、祈りとは一番大切なことがらであり、彼が子供たちに残すことができた最大の遺産であったのです。
クリスチャンの生活において祈りは重要な意味をもっています。多くのクリスチャンは、神を最も身近に感じる経験として、祈りを挙げています。祈りの時間こそが、人が一番身近に神の存在を感じる時なのです。祈りは、私たちを「神様との生きた交わり」という祝福に満ちた世界へと導いてくれます。
キリストは次のように仰せられました。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(ヨハネ黙示録3章20節)
祈りとは、神様との交わりであり、キリストの働きかけに対して、心の戸を開いてキリストをお迎えすることです。聖書の世界では「共に食事をする」ということは、親しい交わりを意味しています。心の戸をたたいておられるキリストに対して、私たちが祈りによって心の戸を開く時、私たちは「神様との親しい交わり」という祝福に導かれていきます。私たちに必要なことは、ただキリストの働きかけに対して応答することだけなのです。
祈りは神様との交わりであり対話です。祈りを通して私たちは自分の思いを神に訴え、神は祈りにおいて聖霊を通して私たちの心に語りかけてくださいます。
祈りと信仰
ブルンナーという神学者は「信仰に基礎付けられない祈りは単なる願望に過ぎない。祈りという対話的行為にまで結晶しない信仰は観念に過ぎない」と書いています。祈りは、信仰に基礎付けられて初めて空しくない願いになり、信仰は、祈りという行為に結晶されて初めて信仰としての意味と力を持つのです。
祈りにおいて信仰は大切な要素です。しかし、信仰をもって祈るという時、私たちは、しばしば自分の信仰に確信が持てなくなってしまうことがあります。祈りにおいて私たちはしばしば、信仰と不信仰の間に揺れ動いてしまいます。私たちは祈りながら、疑ってしまうのです。これは正しい祈りなのか、これは神のみ心にそった祈りなのか、確信が持てなくなるのです。
キリストは、次のようなたとえ話をされました。
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。(ルカ18章10-14節、口語訳)
キリストは、このパリサイ人と取税人の祈りを通して、祈りにおいて大切なことを教えてくださいました。
パリサイ人は「ひとりで」祈っています。ほかの人たちを見下して自分の正しい生活を神様の前に誇っているのです。彼は、神様を必要としていません。彼は、神様に頼らなくても自分で生きていけるのです。
一方、取税人はどうでしょうか。彼はただ「神様、罪人のわたしをおゆるしください」とだけ祈りました。彼にとっては、神様の赦しを祈り願う以外に、何の希望もありませんでした。彼にとっては、自分の行為や信仰が誇れるものかどうかなどということは、全然関係ありませんでした。彼は、ただ自分の罪深さと不信仰を自覚していました。それだからこそ、彼は遠く離れて立ち、目を天に向けることさえできずに胸を打ちたたきながら祈ったのです。しかし、その祈りを神は聞き入れてくださいました。
自他共に立派な人間であると認めていたパリサイ人は、神様に自分が立派な人であることを感謝しました。しかし、取税人は、自分の罪深さを認め、ただ自分の罪深さのみを告白したのです。キリストは、義とされたのは、この取税人であると言われました。「義とされた」とは、「神様と正しい関係に入った」ということで「救われた」という意味です。自分の罪深さを理解する者、すなわち神の恵みによる赦しを必要とする者のみが、神の救いに招き入れられるのです。
私たちは祈るとき、疑いを持っているとか、信仰が弱いとか、心配する必要はありません。どんなに不信仰であっても、祈り始めるとき、その祈りは聞かれ始めています。不信仰や疑いをそのまま神様に告げて祈れば良いのです。神様はそれを聞き入れて下さいます。そして祈りによって、私たちの信仰は、さらに育まれさらに強いものとされていくのです。
祈りにおいて、私たちはしばしば自分の弱さを感じます。どう祈って良い分からないことも多くあるのです。聖書は、「御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである」(ローマ8章26節)と約束しています。
主の祈り
キリストの弟子たちが「祈ることを教えてください」と願ったとき、キリストは「次のように祈りなさい」と教えられました。これが、私たちの日常捧げる祈りの模範とでもいうべき、有名な「主の祈り」として知られているものです。私たちの祈りは、この主の祈りの教える主旨に沿いながら、それぞれの自由な言葉で神に語りかけてよいのです。
「天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。御国が来ますように。
御心が行われますように、天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」(マタイ6章9-13節)
「天におられるわたしたちの父よ」
主の祈りは神様への呼びかけから始まっています。私たちの捧げる祈りも、まず神様に対する語りかけから始まります。「天の神様・・・」、「天の父なる神様・・・」などと祈り始めます。
祈りの前提には、神が全てを造り支配しておいでになるという信仰があります。神は今もなお私たちの人生に責任を持って支配しておいでになることを信仰によって私たちは知っているのです。それを信じながら祈るとき、私たちの祈りの心は確信に満たされます。
「御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。」
私たちは、何よりもまず神のみ名が崇められ、神のみ国がなり、神のみ旨によるご支配がこの世界に実現するように祈ります。この祈りの背後には、全能の神が宇宙を支配されているという確信があります。その神の御名が人々の間で最も尊ばれ、神の御心こそがこの毎日の地上生活の中で中心になるように祈るのです。大真理なる神の御心にそって生きることこそが、個人と社会にそして全宇宙にとって真の幸福になるからです。
私たちは神のみ名をたたえます。それによって創造者にして全宇宙の支配者なる神様と被造物である私たちとの関係を告白しているのです。
アウグスチヌスは有名な「告白」の冒頭でこう述べています。
「主よ、あなたは偉大であって、大いに誉められるべきである。あなたの力は偉大であって、あなたの知恵は測られない。しかも人間は、あなたの取るに足らぬ被造物でありながら、あなたをたたえようと欲する。あなたは人間を呼び起こして、あなたを誉めたたえることを喜びとされる。あなたは、私たちをあなたに向けて創られ、私たちの心は、あなたの内に安らうまでは安んじないからである。」
「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」
それから、私たちの毎日の現実生活に関わる「必要な糧」のことが祈られます。この「必要な糧」に、私たちがこの世において生きるに必要な衣食住すべてが代表されています。この祈りは、私たちの生命そのものが日々神に依存していることを言い表しています。
キリストはこう約束されました。
「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6章27-34節)
祈りにおいて、私たちは自分の心にある感謝を神に捧げます。私たちの日々の命は神によって支えられていることを感謝するのです。私たちの日常生活に何か良いことが起こったなら、神に感謝と讃美を捧げましょう。
「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」
私たちは、祈りにおいて神の前にある罪人としての自覚と神による救いへの信仰の表明をします。「負い目」とは「罪」のことです。祈りにおいて、私たちは、罪を告白し悔い改め、罪の赦しを受け、救いの確証を得ることができます。この罪の赦しの体験はやがて他者に向かっていきます。私たちが救いを体験し神から罪を赦された者として、私たちも他者への罪の赦しに生きるのです。
罪の赦しを求める祈りは、罪を認め、罪を告白し悔い改めることから始まります。私たちは、夕べの祈りにおいて、一日を振り返り、自分の犯した罪を告白し、神よりの赦しを得るのです。
「罪のリスト」つまり生活の中で犯した罪深い行為の一覧表が、過去にキリスト教会で用いられたことがあります。それぞれが作った表に書き込まれた罪の一つ一つを神の前に告白して赦しを求めるために用いられたのです。これは敬虔な行為のように思えますが、大きな落とし穴でもあります。私たちは、ともすれば自分で罪を見つけ、神に告白すれば、それで赦される、という考えに陥っていく危険性があります。罪を一つ一つの行為と考えてしまうのです。罪の表をどれだけ作り、それを告白してみても、それだけでは罪を犯すことから逃れられません。なぜなら、私たちは、罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すのです。この罪人である人間全体を神は救ってくださいます。
「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」
私たちは日々の誘惑の中で自分の弱さを知ります。神なくしては誘惑に勝利することさえできない自分を知っています。だからこそ、誘惑にあわせず悪より救ってくださいと願い求めるのです。
私たちは、被造物であり、神の前においては無力な存在です。この無力さこそが、私たちの祈りの前提です。無力な者だけが祈りの真の意味を理解できるのです。祈りにおいて、私たちは神様のみ前に全く無力な弱い存在であることを自覚します。キリストは「私を離れては、あなたがたは何もできないからである」(ヨハネ15章5節)と仰せられました。
キリスト教会では伝統的に、主の祈りの最後に「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」と付け加えてきました。これは、聖書の原本にはありませんでしたが、キリスト者の信仰を告白するものでした。
祈りにおいて、通常、私たちは「イエス・キリストのみ名によってお祈りします」という言葉をもって終わります。これは、「あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである」(ヨハネ15章16節、口語訳)という聖書の言葉にもとづいています。キリストは常に私たちのために取りなしてくださっているという聖書の約束に対する信仰の表明です。そして祈りの最後には、「アーメン」という言葉をもって終わります。これはヘブル語の「本当に」あるいは「真実に」という意味です。複数で祈るときは、祈る人の祈りに「アーメン」と唱和します。
祈りと願い
祈りにおいて、私たちはしばしば願いごとを神に申し上げます。それは、神様が私たちの願いをご存知ないからではありません。キリストは「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」(マタイ6章8節)と教えてくださっています。祈りにおいて願いを捧げるのは、私たちの願いを神の前に持っていくとき、私たちの願いが自己中心的なものから清められ高められるからなのです。
祈りは神の導きを祈るのであって、私たちの考えを神に押しつけるのではありません。全てをご存じの神は、あらかじめ私たちの必要をご存知です。祈ることによって私たちの思いが清められ、私たちの願いが純粋になります。祈りのうちに、神は聖霊を通して私たちの心に働きかけられ、私たちは神様のみ旨が何であるか知るようになります。
私たちが信仰をもって祈るとき、私たちの自我は砕かれ、私たちの思いは清められます。祈りにおいて、私たちは、なによりもまず神のみ旨がなるように祈るのです。祈りにおいて、私たちの心は清められ信仰が高められます。祈りにおいて、私たちは、神の御心を敏感に悟るように導かれていきます。
祈りと聖書研究は密接に結びついています。祈りをもって聖書を学ぶとき、私たちは聖書を神のみ言葉として正しく理解できます。そして聖書のみ言葉を心にいだいて祈るとき、祈りは信仰に基づいた力あるものとなるのです。聖書のみ言葉を学ぶことにより、私たちは独りよがりの信仰と祈りに陥る危険から免れます。それにより、神のみ旨を正しく聴くことができるのです。神のみ言葉である聖書は、神様からの私たちの心への語りかけであり、祈りは私たちから神への語りかけです。
米国の偉大な大統領であったアブラハム・リンカーンは祈りの人でした。新聞記者ノア・ブルックスは、あの南北戦争の危機の中で「一人静かに祈るリンカーンの姿をたびたび目撃した」と報告しています。彼は「彼の祈りは時には十の言葉にも満たない短いものであった。しかし、その十の言葉は、全て彼の魂からほとばしり出たものであった」と述べています。
リンカーンの秘書ニコレイは、彼を「祈りの人」と表現しています。しかし、彼の祈りは、決して御利益的な自己中心の祈りではありませんでした。彼は、自分の立場を正当化するために祈ったのではなかったのです。
南北戦争の時、南部連合のジェファソン・デイヴィス大統領が、南軍の勝利を熱心に祈り求めていることを、彼は知っていました。南の牧師、民衆、そして兵士、みんなが熱心に同じ聖書を読み、同じ神に祈っていることも知っていたのです。
連邦政府側を支援する教会の指導者達が集まっていた時のことでした。ある牧師が立ち上がって、連邦政府に対する神の導きと守りへの信仰を強くもつようにと熱心に説いたのです。ところが、これに対するリンカーンの反応は、その場にいた者たちと全く異なったものでした。彼はこう言ったのです。
「私は、神が私たちの絶対的味方であると言い切ることはできません。私がはっきり確信を持って言い切ることができるのは、神は正義の側に立ちたもうということです。私の心を一瞬たりとも離れない問いは、はたして私が、そして連邦が、神の側にいるかどうかということなのです。」
彼にとって、神は決して自分たちを無条件に支持する御利益的なお方ではありませんでした。彼にとって問題であったのは、「神が自分の側にいたもうかどうか」ということではなく、「自分が神の側にいるかどうか」ということでした。
リンカーンは、いつも自分自身を「神の摂理の貧しき器」と表現していました。事実、自分を誉めるものがあると、彼は決まって口癖の様に「私を誉めてはいけません。神に感謝しなさい」と言うのでした。リンカーンは常に自分は罪人であると自覚していました。この自覚により、彼は自分の立場を絶対化しようとする誘惑に勝つことができたのでしたまたそれは、戦後処理について、南部に対する寛容な態度になって現れました。南部再建案をめぐって彼は議会と真っ向から対立しました。南部に対する厳罰を主張する議会に対して、彼は熱心に「和解の心」を説いたのです。
彼は言いました。「敵を滅ぼす一番良い方法とは。それは敵を愛すること、敵を友とすることです。それによって敵はいなくなるのです」。これが「祈りの人」リンカーンの生き方であったのです。
宗教家エレン・ホワイトは祈りについて次のように解説しています。
「祈りは魂の呼吸です。それは霊的力の秘訣です。どんな恵みの方法も、これに代わって魂の健康を保つことはできません・・・祈りとは、友達に話すように、心を神に打ち明けることであります。これは何よりも私どもが、どんな者であるかを神に知らせる必要があるからではなく、私どもが神を受け入れるのに必要だからであります。祈りは、神を私どもまで呼び下ろすのではなく、私どもを神のもとへ引き上げるのであります」。
祈りと答え
若い頃のアウグスチヌスがイタリアに行こうとした時、母モニカは反対しました。息子がクリスチャンになって欲しいと願う母にとって、息子が誘惑に満ちたイタリアに行くことは、耐えがたいことでした。モニカは北アフリカの海辺の教会で「神さま、どうか息子をイタリアに行かせないで下さい」と夜を徹して祈るのでした。しかし母モニカの熱心な祈りにもかかわらず、彼はイタリアに渡ってしまいます。ところが、モニカが行かないで欲しいと願ったそのイタリアにおいて、アウグスチヌスはクリスチャンになったのでした。後に彼はこう記しています。「神よ、あなたは、そのくすしい導きによって、母の真の願いに耳を傾け、その一時の求めを退けられた。それは母の永遠の望みをこの身に成就するためであった」。
聖書は、「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です」(ヨハネ第一、5の14)と教えています。この確信が、私たちの祈りの基本です。神様は祈りを聞き入れて下さると約束してくださいました。その通りに、いつも神様は私たちの祈りに「直ちに」答えてくださるのです。しかし問題は、私たちはその答えを「直ちに」理解できないということです。有限の能力しか持たない私たちは、しばらく経ってから初めて、その答えを理解するのです。天国に行って初めて理解できることさえもあるのです。神が祈りをかなえられる方法は、必ずしも私たちの祈った通りの答えではないことがあります。しかし、全能の神は、私たちにとって最も良い答えを最も良い時期に最も良い方法をもってかなえて下さいます。神の愛と信実を知る私たちは、それを信仰によって理解するのです。
祈りと共に
ウィリアム・オスラー(1849~1919)という欧米で非常に尊敬されている医師がいます。欧米の近代医学の基礎を築いた巨人とも言うべき人物です。彼は超一流の内科医師で、彼の書いた内科学書は、当時最高の教科書として医師の間で広く読まれました。彼は、オスラー病やオスラー・ワーケ病、更にオスラー痛点などの最初の記載者として医学史にその名を残している人物でもあります。
これらの多くの学問的業漬もさることながら、それ以上に彼は、多くの医学生や医師に「医の心」を植え付けた人物として高く評価されています。彼は、その暖かい人柄と輝かしい才気と、個人的な魅力で多くの学生に愛され、彼らに多大な影響を与えました。現代の欧米の「医の心」は、彼によってその基礎が築かれたと言っても決して過言ではありません。
彼は当時一流の高名な医者であったにもかかわらず、一人一人の患者に全身全霊を傾けて医療をしたのでした。彼がいかに患者一人一人を大切に扱ったかは、色々なエピソードを通して知られていますが、その中でも「肺炎で亡くなったジャネットの母」の手記は有名です。
「先生は、私たちのかわいいジャネットを、10月半ばから一ヶ月後の死ぬ時まで、一日二回ずつ訪問して下さいました。ジャネットは、先生の来られるのを、いつも切なる思いと喜びとで待ち望んでいました。先生はドアの下の方をそっとノックしてから、ドアを開けて入ってこられました。すると背を丸くして妖精のような格好で現われて、かん高い声で『おとぎの国のお母さんはいらっしゃいますか。お茶をいただきたいのですが』と言われるのです。
すると瞬く間に、病室はおとぎの国に変り、先生は、おとぎの国の言葉で花や鳥について話し、またベッドの端でこっちを向いて座っている人形たちに『大好きな皆さんたち』とあいさつされます。この様な中で、先生は、この幼い患者について知りたいことの全てを見つけ出してしまうのでした。
非常に感動に満たされた時がありました。それは、娘の死が迫っていた11月のある寒い朝のことでした。先生は、大事そうに紙に包まれた一本の美しい赤いバラの花を、内ポケットからそっと取り出されました。そして先生が、自分の庭に咲いた夏の最後のこの花をどんな気持ちで眺めたか、そしてこの花が、通りかかった先生に『一緒に、この小さな少女に会いに行きたい』と頼んだことを、話して聞かされました。
その夕方、私たちは、お伽噺国のお茶会を、ベッドの傍の小さな机の周りで持ちました。先生は、バラと彼の愛する少女と母親の私に、何ともいわれぬ話し振りでお話をされました。そして程なく、入ってこられた時のように、膝で歩くようにしてそっと出て行かれました。
娘は、たとえ妖精であろうと人間であろうとも、その頬の上にいつまでも赤いバラの色を保っておくことができないこと、また一箇所に居たいだけ居ることはできないこと、しかしまた別のホームがあって幸福でいられること、また後に残される者、とくにその両親に、別れを嫌なように思わせないようにすべきことなどを、よく納得することができたのです。こうして娘は、何もかもすべてを知ってしまいましたが、決して不幸ではなかったのです。」
このエピソードは、やがて絵画になり看護学の教科書などにもしばしば引用されてきました。私たちが非常に心打たれるのは、当時69歳のこの高名な内科医師の人間性豊かな患者への接し方です。そこには患者への思いやりが満ちあふれています。たとえどんなに幼い少女であっても、患者と同じレベルで、その幼い心理にあわせた医療を、彼は全身全霊を傾けて行ったのでした。この崇高な医療の原点は、彼のキリスト信仰にありました。彼の医療の秘訣は、聖書を読み祈ることにあったのです。イエール大学の医学生に語った講演の中で、彼は次のように述べています。
「キリストのニコデモヘのメッセージは、世界へのメッセージであり、現代にこれ以上必要なものはありません。すなわち『霊によって生れなければならない』ということです。まず、一日をキリストと共に、そして主の祈りと共に始めなさい。その他のものは要りません。魂は思想によって養われるのですから、一日たりとも世界最良の書物に接しないで過ごしてはなりません。聖書を学びなさい。性格を形作り、行いを磨くにあたって、聖書は昔ながらの力を持っているのです。」
祈りに生きる
キリスト教歴史を通して、祈りは、いつも偉大なクリスチャン達の力の源泉でした。偉大なクリスチャン達は、全て祈りの人だったのです。バウンズはこう言っています。
「神は、彼らにとって焦点であり、祈りは神に至らせる道でした。彼らは、時折、祈ったのではありません。また定められた時刻や仕事の余暇に少しばかり祈ったのでもありません。実のその祈りが彼らの性格の中に入り、その性格を形作るほどに彼らは祈りました。実に自らの生涯と他の生涯に影響を及ぼすほどに祈りました。彼らは教会の歴史を創り、あるいはその時代の思潮に影響を与えるほどに祈ったのです。彼らは祈りに多くの時を費やしました。しかし彼らは、日時計の影や時計の針を見つめながら祈ったのではありませんでした。祈りは、彼らにとって、すぐに切り上げられない程に重要なそして全力を注がねばならぬ課題であったのです。」(祈りによる力)
私たちは、祈りをもっと学ぶ必要があります。祈りにより私たちの霊性は高められ、神のみ心を知り、み心を行うことができるように導かれていくのです。
御心が行なわれますように(作者不詳)
日は暗く、空は曇り、
私の計画がことごとく挫折してしまった時、
愛する主よ、わたしにかく言う力をお与え下さい、
御心が行なわれますようにと。
たえまなく悩みが襲いかかり、
苦しみで私の心がひるむ時、
心を鎮めてかく祈る力をお与え下さい、
御心が行なわれますようにと。
主よ、あなたはご存じです。
いくたび私がそむき去ったかを、
御心が行なわれますようにと
かく祈りたいながらも。
教えて下さい、愛する主よ、
あなたの備えている道を歩むべきことを。
そして私の支えとなって下さい、
日ごと日ごとに御心が行なわれる道で。
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