第12課 死

目次

死についてのさまざまな考え方

「生命を延ばすことが医者の新しい仕事である」と言ったのは、13世紀の哲学者フランシス・ベーコンでした。彼は医者の責務を「健康の保持、疾病の治癒、生命の延長」であるとしてとして、「特に、生命の延長は新しい責務であり、最も崇高な仕事である」と述べました。彼の予言通り、延命は現代医学の最高の使命となり、その結果、人間の寿命は著しく延びました。

しかし、ゴムひもをながーくながーくと引っ張っていっても、いつかはぷつんと切れてしまうように、いくら医学が発達しても、いつかは命の終わる時がくるのです。「全ての人に死は必ず臨む」これは厳然たる事実です。その意味で医学は常に敗北の連続なのです。哲学者ハイデカーは、人間を「ザイン・ツーム・トーデ(死に至る存在)」であると定義しました。

聖書は、人間の命について「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません」(ヤコブ4章14節)と述べています。

死は恐ろしい現実です。それは今ここに存在している自分自身が消滅してしまうからです。宗教学者岸本英夫氏は、「死を見つめる心」の中で、彼自身がガンの宣告を受けた時の心境を、次のように書いています。

「私は、この二週間の間に、今さらながら、人間の生命への執着の強さを知った。ひとたび、生命が直接の危険にさらされると、人間の心が、どれほど、たぎり立ち、たけり狂うものであるか。そして、いかに、人間の全身が、手足の細胞の末にいたるまで、必死で、それに抵抗するものであるか。私は、身をもって、それを感じた。一日の生活をようやく終えて、夜が来ると、身も心もヘトヘトに疲れ切っていた。ベッドに横たわると、もう、手も足も動かすことができないほどであった。それは、はなはだしい精力の消耗であった。ただ、さえているものは、頭だけであった」。

パスカルは「人間はみな死を宣告されているという意味では、本質的には死刑囚と変らない」と述べ、「人間は幸福になるために、死について考えないことにした」(「パンセ」168)と言っています。日常の忙しさに紛れてあたかも永遠に生き続けるかの様に、死をまったく忘れて生きることは決して賢明な生き方ではありません。いつか人間は不意に死の前に立たされる時が来るのです。いにしえの歌人は「ついに行く道とは聞きしかど、きのうきょうとは思わざりしを」と歌いました。死というものが不意に襲ってくるのです。

がん終末期患者を扱う現代ホスピス医療においては、いかに最後まで生きる希望を支えていけるかが大きな課題になっています。がんと分かった日から、平穏無事だった人生がいきなりがんとの闘いに巻き込まれてしまいます。がんを告知されたときのショックについて、乳がん患者の会「あけぼの会」の創設者ワット隆子さんはこう書いています。

「陽が照っている大通りを鼻歌うたいながら大またで闊歩していたら、突如、マンホールの穴に落っこちた。一瞬、自分の身に何が起きたのか分からない。暫くたってあたりを見渡すと、暗い深い穴の中に自分はいる。助けてー、と叫んでみても外まで声が届かない。先刻までの人生とは完全に遮断されてしまった。悲しい、さみしい、悔しい、孤独、不安、恐怖、絶望。」(「がんからの出発」)

不治の病と闘いながら、多くの者は、孤独の内に絶望と虚無感に襲われてしまいます。がん患者の「遠のきの現象」と言われるものがあります。みなが遠く感じられ、孤独を感じるのです。死んでいくのは他ならぬ自分であり、死は自分一人で迎えるものであることを、この時ほど思い知らされることありません。がんを知ったご婦人はこう書いています。

「ガンになった人の話しは聞いていましたけれども、よりにもよってこの自分がなるとは!全てのものが急に自分から遠のいてしまいました。夫も子供も、世の中も、全て幕を隔てた向こうの世界のことのようになり、自分は幕のこちらで、たった一人、間もなく死んでこの世から去っていく、という現実と向い合っているのでした。」(神谷美恵子著「生きがいについて」)

死という厳粛な事実を前にして一体誰がそれに耐えられるのでしょうか。そのような時にあってもなお、生きることに意味を見い出すことができるのは、いったい何によるのでしょうか。

「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌があります。人生にはいつ何が起こるか分からないということを教えてくれる歌です。キリストは、ある日突然死に直面することになった「愚かな金持ち」の物語をされました。

「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(ルカ12章16-21節)

これは成功した金持ちの物語です。私たちは、この金持ちのしたことをどう思うでしょうか。彼は経済的に成功した実業家でした。勤勉に働いた結果、豊かな収穫を得ることができました。そして彼は、いろいろと思慮深く将来の計画を立てたのです。彼は立派な生活設計を立てました。

しかし、神は、この金持ちに対して「愚かな者よ」と言われたのです。彼は、どの点で愚かな者だったのでしょうか。それは、死というものを彼の人生設計の中に入れていなかったことです。彼は自分の人生を本当の意味で理解していませんでした。人生というものは、彼が計画したようにいつまでも続くものではなかったのです。「今日が最後である」という日が来ることを忘れていました。もちろん知らなかった訳ではなかったのですが、それを自分の実際の人生設計に入れていなかったのです。そして準備のないまま、自分の人生の厳しい現実に直面しなければならないことになったのです。

キリストは「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」と言われました。「神に対して豊かになる」とはどういうことでしょうか。死を超えた生き方をするためには、人生の基盤として神を考慮に入れた人生設計をする必要があるということです。

罪の結果としての死

なぜ死があるのでしょうか。聖書は、「罪の支払う報酬は死である」と述べて、死を「罪の結果」と教えています。人間が神に反逆した結果、死がもたらされたのです。

創世記は、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2章7節)と述べています。人は神から命を与えられました。

神は人類を創造された時、アダムとエバに選択の自由を与えられました。彼らが死ぬべき存在になるかは、神に従うか否かの選択にかかっていました。神は、エデンの園に「善悪を知る木」を置かれて、こう言われました。

「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。主なる神は人に命じて言われた。『園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。』」(創世記2章15-17節)

ある日、蛇(サタン)が女のところにやってきて、誘惑に陥れます。

「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。
蛇は女に言った。『園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。』
女は蛇に答えた。『わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。』
蛇は女に言った。『決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。』
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。」(創世記3章1-6節)

サタンは、女ばかりか男をも誘惑に陥れてしまいました。サタン(蛇)はエデンの園においてエバを誘惑して罪に陥れた時、「あなたは死ぬことはないでしょう」と偽りました。霊魂は死ぬことはないという「霊魂不滅」の思想は、サタンによるいつわりの一つでした。

神はアダムに「塵にすぎないお前は塵に返る。」(創世記3章19節)と言われました。このときからアダムは死ぬ者となり、それは全人類に及びました。

「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。」(ローマ5章12節)

「一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。

そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。

律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。」(ローマ5章17-21節)

「霊魂不滅説」の誤り

歴史的事実として、キリスト教界においては、一種の霊魂不滅が信じられてきています。霊魂不滅説においては、人間の霊は、死んだ後、直ちに天国(あるいは地獄)に行くとされます。肉体が死んだ後も霊魂は生き続けていくというのです。

この思想は、ギリシャ思想の影響を受けたものでした。もともとヘレニズム(ギリシャ思想)は、霊魂不滅の思想でした。霊魂不滅の思想においては、物質(肉体)は悪であり、肉体は外側の衣服に過ぎません。生きているかぎり、肉体は霊魂が自由になるのを妨げているとされます。死は、霊魂を肉体から解放し、霊魂は永遠に生き続けるというのです。

しかしこのような考え方は、聖書本来の思想ではありません。聖書は、身体や霊魂からなる人間を、あくまでも分離できない統一した存在として主張しています。人類創造の時、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2章7節)と聖書は主張しています。

聖書は、人間の命は、あくまでも神から与えられた賜物として理解されています。不死というものは、人間に最初から無条件に与えられたものではありませんでした。

人間の肉と霊は分離できない統一体です。肉体を離れて霊は存在しませんし、霊と肉は相対立するものではありません。そして、人間の死は、統一体としての死、すなわち全体的死なのです。決して肉体だけの部分死ではありません。聖書の言う「罪の支払う報酬は死である」という理解は、霊魂も含めた人間の全体的死であり、肉体だけの死でありません。罪により贖われなければならないのは、霊魂と身体とを含めた人間全体なのです。

また霊魂不滅の思想は、「霊魂の無罪性」を前提にしなければ成り立ちません。これは聖書の思想と矛盾する考え方です。聖書は、罪の影響は人間の身体だけではなく霊魂をも含めた人間の全存在に及んでいることを教えているのです。

死は眠り

聖書は死者を「眠りについた人」(1テサロニケ4章13節)と表現しています。眠りであるということは、目が覚める時があるということで、聖書は復活を前提をとしています。

霊魂不滅の思想は、聖書にはありません。死者は何も知らない状態なのです。「生きているものは、少なくとも知っている、自分はやがて死ぬ、ということを。しかし、死者はもう何ひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく、彼らの名は忘れられる。その愛も憎しみも、情熱も、既に消えうせ、太陽の下に起こることのどれひとつにも、もう何のかかわりもない。」(コヘレト9章5-6節)

現代の代表的神学者の一人オスカー・クルマンは「現代の復活」という書物の中で「霊魂の不滅か、死者の復活か」との問いを発してこう述べています。「今日、博学なプロテスタント、カトリックであれ、あるいはそうでない者であれ、普通一般のキリスト者に、死後の人間の運命に対する新約聖書の教えはどんなものと考えているのかをたずねるとするなら、ほとんど例外なく『霊魂の不滅』という答えを得るであろう。しかしこの広く受け入れられている考えは、キリスト教についての最大の誤った理解の一つである。」

彼は、死についての聖書的教えを探求しながら「死者の復活の概念は、キリストの出来事につながっており、それゆえに、ギリシャ的な不滅を信じる信仰と相容れないのである」と主張しています。

パウロは、死者の状態と、復活の出来事について、こう述べています。

「兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。

主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。」(1テサロニケ4章13-18節)

聖書は、キリストが再びお出でになる時(再臨の時)、死者は復活すると述べています。死者は、死んでからすぐに天国に行くのではありません。死とは、神によって創造された生命全体の消滅を意味します。すなわち、霊魂は決して不滅ではなく、死とは霊魂と身体を含めた人間存在の死なのです。

聖書においては、死と永遠の生命とは、常にキリストの救いの出来事と結びつけられています。統一体としての人間は、死後、再びキリストを信じる信仰により新たな命に復活させられます。復活とは、真に死んだ人全体が神による創造という行為によって新しい命に甦らせられるということです。この復活の希望があるからこそ、キリスト者は死に臨んでもなお、希望を持ち続けることができるのです。

死を超えて生きる

「甦った人」は、死刑囚・久田徳造さんとあるご婦人との間の書簡集です。この本には、久田徳造さんが、絶望のどん底においてキリストと出会い、その後いかにキリストによって変えられていったかが記されています。

久田さんは、ごく幼い時にお母さんに捨てられ、天涯孤独となり、養護施設に引き取られ、そこで育ちました。

学校は、小学校2年までしか行くことができませんでした。やがて悪の道に走り、少年院を出たり入ったりしているうちに、恐ろしい罪を犯してしまい、ついに29歳で死刑が確定しました。

死刑囚として、刑務所につながれるようになった時、彼は、おびえ、おののき、わめき狂ったようになりました。死刑執行はいつのことが分かりませんが、確実なことになってしまいました。それを思うと、恐ろしくて気も狂わんばかりの毎日になってしまったのです。そういう中で、彼はクリスチャンのご婦人と出会い、キリストを知るようになりました。その時の心境を、彼は歌に託して、「極刑に苦しみもがきつ幾年か来てわが休息の場よ十字架のもと」と表現しました。ある日の手紙に、彼はこう書いています。

「救われようもなかった僕のような者にとっては、主のお約束の全く変わることのない、この大きな憐れみは、そして喜びは、言葉に言い尽くせません。死刑囚の僕に、人には想像もつかない大きな希望が与えられました。この僕に与えられた大きな神のお恵みを、もし他の人々にそのまま伝えることが出来ましたならば・・・・・・。

死刑囚とされて初めて、人間としてこの世にあることを喜び感謝し、生かされることに望みが与えられました。」

やがて、ついに死刑執行の日がやってきました。前日に死刑執行を知らされ、お別れの集いが刑務所の中でもたれました。その夜、彼は床に就かず、多くの人に感謝告別の言葉を書き続けました。そして最後の手紙としてこのご婦人にこう書き残しました。

「先生、おはようございます。お元気でいらっしゃいますか。いつもお祈り下さいまして有難うございます。

いよいよ今日、あと数時間で主のみもとに行かせていただくことになりました。今、僕はこの恵みのひと時を心から味わっています。あの恐ろしくて仕方なかった死刑が、魂の底から恵みに変えられています。主を全く信じ、その確信を心から持つことが出来ました。執行を目の前にした僕は、魂の底から安らかに住まわせていただいております。何の不安も恐れもなく、ただ主を信頼し、そのお約束にすべてをお任せすることが出来ています。

先生、短い間ではございましたが、いろいろご指導くださいまして本当にありがとうございました。どんにか僕は励ましを頂いたことでしょう。

昨日から手紙の書きっぱなしで、一睡もしておりません。もう二三通書きまして入浴に行かせていただき、主の御許にまいります。まだまだ書きたいことは沢山ございますが、この辺で失礼させていただきます。

お体、あまり良くございません様子、くれぐれもご自愛くださいますようにお祈りします。さようなら」

翌朝、彼は、係官たちに感謝の言葉を述べて、確かな足取りで絞首台への階段を上っていきました。その時、死刑に立ち会った人の証言が載せられています。

「処刑の日、その時も何の乱れもありませんでした。その最後のお別れの時も、『自分は少しも変わらぬ態度で、喜んで召されたと、ご一家にお伝えください』と繰り返し頼まれました。最後にタバコを勧められて『初めて神様にお会いするのに頭がぼんやりしていてはいけない』とお断りしてから、所長様から最後の水を頂いて、静かに死につかれました。何人かの職員の方からは『立派でした』と感嘆の声を聞きました。『彼をあそこまでにした宗教の偉大さを思う』とは、ある幹部の方のお言葉でした。」

死刑を前にしてこのように振るまい、かつ生きることができたこと、これこそがまさに奇跡ということができるでしょう。死を前にして、彼のイエスキリストに対する信仰と、その信仰がもたらす平安が、それを可能ならしめたのです。彼の最後の手紙に引用されていた聖句は、箴言1章33節でした。

「私に聞き従う者は、安らかに住まい、災いに会う恐れもなく、安全である」

イザヤはこう書いています。「草は枯れ、花はしぼむ。しかし我々の神の言葉はとこしえに変ることがない。」(イザヤ40章8節)。私たちも、時代を超えた永遠につながる生き方をしようとするなら、神への信仰に基づいた生き方が必要になってきます。四肢麻痺という障害を背負いながら、その苦しみの中でキリストに出会った星野富弘さんは、次のような詩を書いています。

いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかった
いのちより大切なものがあると知った日生きているのが嬉しかった

(星野富広「鈴の鳴る道」より)

神学者ボンヘッファーは「現代キリスト教倫理」の中で、現代の「死の偶像化」、すなわち「死が全ての終わり」であると考えることに対して警告を発しています。彼は「死が最後のもの、すなわち偶像化されるとき、地上の全てのものが全てであるか、あるいは無とされてしまうのである」と言っています。死が絶対的なものとして偶像化されるとき、それは、一方では「この世の至上主義」になり、他方では「虚無主義」に陥ってしまいます。死を超えて、この世のいのちより大切なものがあることを見出すとき、私たちの人生は豊かな実りあるものとされるのです。

神のご計画のうちに生きる

「わが涙よわが歌となれ」は、原崎百子さんの病床日記です。牧師である夫の原崎清氏から肺ガンであることを知らされてから、亡くなるまでの44日間の記録です。治癒不能の肺ガンであることを知った原崎氏は、妻に本当のことを知らせるべきかどうか約3か月間悩み続け、ついに真実を告げました。

病床日記はその日から始まっています。百子さんはその夜、次のように書いています。

「今日は私の長くはない生涯にとって画期的な日となった。私の生涯は今日から始まるのだし、これからが本番なのだ。私は今本当に正直そう思っている。今日をそのような日にしてくれた清に、その勇気と決断と愛とに、どんなに感謝していることか!・・・・ありがとう、ありがとう、よく話して下さったわね。可哀そうに!さぞ辛かったでしょう、辛かったでしょう」。

同じ夜、彼女は「愛する子供たちへ」と題して次のように記しています。

「お母さんのこの病気がすでに手遅れになっていることについては、それは一方で人間的失敗の積み重ねにちがいないのだけど、その意味でお母さんはあなたがたに申しわけないだけでなく神さまに対して本当に怠慢であったとお詫びするほかないのだけれど、しかしそのことをも、もっと大きく大きく包み込んでいる神様のみ手の中でこのことが起こっていることを思うと、お母さんは赦しを乞いつつ、しかしただの後悔といったものでなく、み旨をかしこみ畏れて、それに黙って従うことしか出来ません。それだけが今お母さんのなすべき真に積極的な行為でしょう。そして、信じ従う中で、お母さんは子供たちに、長生きするよりももっといい、もっと別のものを与え得ると今確信しています。

それにしてもごめんね、君たち。四人の子供たちよ。今お母さんは、(日記の)表紙のすぐうしろのところに、こう書きました。『お母さんを、お母さん自身を、あなたがたにあげます』。

こんなにしか言いようのないお母さんの気持ちを、あなたがたもいつかわかってくれるでしょう。自分たちが母となり父となった日、また母として父として子を残して逝く日に・・・。

神さまが、いつまでもいつまでも、あなたたちのそばにいることを、私からおとりあげになる。やはり涙のあふれるつらいことです。お母さんは今書きながら泣いているわ。でも神さまを恨む気持ちは一つもないの。お母さんは泣いているけど、不平ではないの。あなたたちが可哀そうだけど、自分自身を可哀そうがってはいないの。

だから、お願いよ、神さまを恨まないで。少しは恨んだとしても少しだけにするのよ。そして詩篇にもくり返し言われているように、神さまのなさることすべては、その時わからなくても、愛から出ていることに信頼してね。……

お母さんは自分の病気を知っている。やがてもっともっと肉体の苦しみがおそいかかってくることも覚悟しています。そしていつかこの肉体が死ぬことも。それもずっと先のこと、というわけにはいかないでしょう。だけど、もっとよくお母さんにわかっていることは、そのこと全体を通して、いえお母さんの生涯全体を通して、神様は真実でいらっしゃる、神様の愛はますます大きく深くお母さんを包んでいて下さる、そして何よりもキリストがお母さんと共にいて神の国へと伴って下さるということを。……

どうか、キリストの道を歩み、右へも左へもそれないで下さい。そのことのために、この母の苦しみを、涙を、叫びを、祈りを、信頼を、感謝を、踏み越えて進んでいって下さい」。

その翌日の日記に、彼女はやっておきたいこと、やりたいこととして、教会学校のこと、礼拝、聖書研究・祈祷会への出席のことなど具体的に列挙して、最後に「いつも通りの『お母さん』でいよう」と記しています。

彼女は自分の決意通り、一日一日を牧師の妻として、教会員として、そして母として精一杯生きていくのです。

しかしガンの進行と共に呼吸困難があらわれ体力も衰弱してくるのです。死の4日前の日記にはこう記されています。

「神さま、出来ないことがどんどんふえています。トイレまでも人の手をかりることになりました。息も自分の力だけでは出来ません。四六時中、酸素ボンベにビニールの管でつながれています。神さま、まるで仔犬のようでございます。ときどきキャンキャンふうふう言うのまでも。でも神さま、目が見えます。耳も聞こえます。字もかけます。口で歌えなくても頭と心とで賛美歌が歌えます。風を心地よいと感じられます。人のやさしさをうれしいと思えます。冷たい麦茶もとてもとても美味しゅうございます。考えられます。感謝できます。祈れます。『あ、り、が、と、う、ご、ざ、い、ま、す』と区切りながら言うことが出来ます。時がわかり、日がわかります。……

神さま、私は生きております。こんなにも充実して。神さま、何よりうれしいのは、神さまを信じ仰ぐことが出来ることです。イエス・キリストの道を、私も生命をかけて進みゆくことが出来ることです。そして……やがてキリストに伴われてみ前にでることを許して下さいませ」。

この4日後、容態が急変する中、声にならない声で、賛美歌「神はわがやぐら」を歌い、「キリスト!」と叫んで、あとは指で「ニヨルカイホウ(解放)」と書き残し臨終を迎えたのでした。

死を前にしても、神を信じ感謝しつつ、このような充実した生を生き抜くことができたということは実に奇跡としか言いようがありません。良く知られている聖書の言葉、詩編23編の「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」とのみ言葉の真実性を証しするものでした。

私たちは、たとえ「死の陰の谷」を行くことがあっても、聖書は「神が共におられること」を約束しているのです。たとえ死に至ることがあっても、死を超えて希望を見出すことができるのです。

聖書は、人間の生命は神様からの恩恵として与えられたものと教えています。人が生きているということは、神様から命を与えられてはじめて生きているということなのです。故に、人が「生きる」ということは、実は「生かされている」ことなのです。したがって、人が生かされて生きているということは、私たちはみな神のご計画の中に生きているということなのです。

それは、たとえどんなに苦しい人生であっても、私たちが生きている限り、神様から私たち一人一人に独自で固有の生きる意味と使命が与えられている、ということです。

聖書は、「死」は、この世に属するものであり、永遠には続かないことを教えています。キリストの再臨のとき、この死に対する最終的勝利が約束されているのです。

「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか』」(1コリント15章54-55節)。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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