第7課 創造主からの時間の贈り物

目次

現代社会はいまにも切れそうなロープ

私の友人の1人が、ポルトガルで観光客に人気のある場所についておもしろい話を聞かせてくれました。その観光スポットは海岸の高い崖の上に建っている古い修道院で、そこから眺めるパノラマの景色が本当にすばらしいというのです。世界中からやって来る観光客のだれもが、その岩山の頂上からの眺めに感動するといいます。

ところが、そそり立つ岩山の上に建つ修道院へ行く唯一の手段は、ロープに結びつけられた小窓つきのかごなのです。これに観光客が乗り込むと、崖の頂上にいる僧侶が古い木製の滑車を回し始めます。客はかごの中に座ったまま、ぎざぎざにとがった崖の上をぐいぐいとひっぱり上げられていくのです。その間、かごが不安定に揺れるのをじっとこらえなければなりません。

何年か前のことです。かごに乗り込み、その揺れ方にすっかり不安になってしまった1人の観光客が、同乗していた年配の観光ガイドに質問しました。

「私は少々心細い気分なので、1つお尋ねしますが、これまでにロープが切れてかごが落ちたことはありませんでしたか?」

年配のガイドは答えました。

「えぇ、ときにはね」

その観光客はガイドの答えを聞いてますます不安になり、第2の質問をしました。

「そうですか。ところで、ロープはどれくらいの頻度で新品と交換しているのですか?」

それに答えて、観光ガイドは言いました。

「ロープが切れるたびにですよ」

これではだれも安心できません。が、20世紀のたそがれを迎えたこの地球で、私たちの人生の姿はこんなものではないでしょうか!本当に多くの人が、いまにもピシッと音をたてて切れてしまいそうなロープに身を任せ、人生を送っています。

現代社会は、人類を破壊の一歩手前まで追いつめてきたのです。緊張、ストレス、心配などが、私たちの脈拍数や血圧を上げ、命のロープさえも擦り減らしています。

女王陛下の臨終の祈り

最近のアメリカでは、心臓病が死因の第1位になりました。読者のみなさんの国でも、心臓病は死因のランクのそれほど下位ではないと思います。毎年、心臓麻痺で亡くなるアメリカ人は約50万人で、60歳未満の場合は4人に1人の割合です。朝に夜に、どれほどの錠剤を飲んでいることでしょう。ベイリウムという精神安定剤は、いまや薬の花形スターになりました。筋肉はコリコリ、神経はビリビリ、心臓はドキドキ、頭はクラクラ……、現代人の命は風前の灯火。命のロープが切れかかっているかのようです。

さて1603年のこと、その女性は臨終の床についていました。彼女は王権をもって大英帝国を支配してきましたが、いまや自分の征服できない敵に直面していたのです。死は目前に迫っています。彼女、そう、女王エリザベス1世が、だれも避けることのできない重苦しい息と、暗い影の谷間に入り込んだとき、側近の者たちがベッドの周りに集まりました。そして、いよいよになったとき、付き添いの者が女王のかすかな息を確かめようと腰をかがめて近づきました。

そのときです。女王が最後の祈りの言葉をささやくように語られたのです。

「私のすべての持ち物で、もう少しのときを……」

この女王の臨終の祈りと、いまにも切れそうな現代社会というロープと、どういう関係があるのか、とみなさんは疑問に思われるでしょう。死の床にあって、女王がその王国を与えてまでも得たいと切望したのは、何だったでしょうか。それは、まず間違いなく「時間」であったはずです。

「私のすべての持ち物で、もう少しのときを……」

人生の時間を延ばせるとなったら、あなたはどれほど支払いますか?

忘れられている2番目に大切な贈り物

さて、神は人類にすばらしい贈り物をいろいろ与えてこられました。その中でも一番大切な贈り物は、当然あらゆる贈り物の中で最大のものです。それは、本シリーズですでに語ってきたように、イエス・キリストを通して人類に与えられた「救いの贈り物」でした。第1の贈り物が何であるかはわかりましたが、悲しいことに2番目に大切な贈り物のことを多くの人が忘れてしまっています。それは、時間に関する贈り物なのです。

ではいまから、私と一緒に人類の時間が始まった最初の日まで、ずっとさかのぼってみましょう。世界の始まりについて書かれている偉大な書物、創世記の出だしはこのように記されています。

「初めに、神は天地を創造された」(1章1節)

これは聖書の言葉として最もよく知られている言葉で、文学や神学の分野でいままでに多くの議論を呼び起こしてきました。広告会社でさえ、この言葉を新商品の宣伝文句に巧みに利用してきましたから、多くの人が知っているはずです。

さてここで、創世記1章の強調点である、6日間の世界創造に関する聖書の記録を見てみましょう。この記録の全文は引用しませんが、それぞれの日に何が創造されたかについて、聖句を追いながら確認したいと思います。

●第1日「神は言われた。『光あれ。』こうして光があった。……光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第1の日である」(同3、5節)

●第2日「神は言われた。『水の中に大空あれ。水と水を分けよ。』……神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第2の日である」(同6、8節)

●第3日「神は言われた。『天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。』そのようになった。……夕べがあり、朝があった。第3の日である」(同9、13節)

ところで、ここでご注意いただきたいのは、神が世界を創造されたとき、時間を告げる時計を必要とされなかったということです。神は太陽を用いて24時間の区切りとなさいました。暗い部分が1日の最初の半分、続いてあとの半分が明るい部分――つまり、第1日の夕方がまずあって、次に朝を迎え、それから第2日目と続くわけです。

●第4日「神は言われた。『天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。』そのようになった。……夕べがあり、朝があった。第4の日である」(同14、19節)

●第5日「神は言われた。『生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。』……夕べがあり、朝があった。第5の日である」(同20、23節)

●第6日「神は言われた。『地は、それぞれの生き物を生み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに生み出せ。』そのようになった。……神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう』」(同24、26節)

以上が、聖書が述べる創造のできごとです。が、物語はまだ終わっていません。完結してはいないのです。

神と人間がともに過ごした最初の1日

神は6日間で創造の週を終えることもおできになりました。しかし、そうなさらなかったのです。なぜでしょうか。神が、友人を求めておられるお方だったからです。

神は地球という庭園を造り、それだけで幸福だとお思いになることもできたでしょう。しかし、世界中の親が子供をもうけようとするように、神は、地球に住む知的な仲間をお求めになったのです。そこで、アダムとエバが造られたのでした。神は、友情とこの新しい庭園とを分かち合う相手が欲しいと望まれたのです。これこそ、創造の週が6日間では完結しなかった理由なのです。

「天地万物は完成された。第7の日に、神は御自分の仕事を完成され、第7の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第7の日を神は祝福し、聖別された」(同2章1~3節)

神は、毎週の終わりに特別な日を設け、その日に人類とお互いの友情を祝うことができるよう、お望みになりました。そこで神は、第7日を創造なさり、その日を「安息日」と呼び、人類への時間という贈り物にされたのです。

新約聖書の中で、イエスがこの贈り物をいかに美しく描写しておられるかを見ておきましょう。

「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」(マルコによる福音書2章27、28節)

安息日は人のために定められたのです。この点に注意してください。神は、第7日の安息日をまず定め、それから思案の末に「私と一緒にこの日を喜ぶだれかを造らなければならない」とおっしゃったのではありません。神は、まずご自身の友だちをお造りになり、それからお互いの友情を祝い、分かち合うことのできる日を定められたのです。安息日は、創造主から私たちへの愛の贈り物、神と人間との友情を祝う日なのです。

そして忘れてならないのは、第7日安息日は、神と人間がともに過ごした最初の1日であったという事実です。つまり人類の歴史は、神と人間との友情の日をともに祝うことをもって始ったのです。

愛の律法の中心に置かれているもの

ですから、次のことがわかっても驚くには当たりません。安息日は非常に大切な日であるので、神は愛の律法である十戒の中心にこれを置かれたのです。

十戒のほぼ真ん中に位置する第4条を見てみましょう。

「安息日を心に留め、これを聖別せよ。6日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。6日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、7日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」(出エジプト記20章8~11節)

神は、地球上のすべての人間と友情を分かち合うことに熱心であられるので、第7日安息日を十戒の中心に置かれたことがおわかりになったでしょうか。そこでご注意いただきたいのですが、「心に留めよ」という言葉で始まっている掟は、十戒の中でこの第4条だけなのです。神は、私たちが忘れやすい性格であることをよくご存じなのでしょう。

以前、忘れ物に関する新聞記事を読んで、目を疑ったことがあります。それは、日本の電車の中に毎年莫大な忘れ物がある、という内容の記事でした。1年間に傘が何本ぐらい置き忘れにされると思いますか?年間50万本です!現金の置き忘れは、なんと年間約11億円。骨壺も、その年には9個置き忘れにされたといいますし、メタノールで保存された子宮入りの瓶さえ遺失物の中にあったというのです。

確かに、私たちは忘れやすい生き物です。そこで神は、「毎週の終わりの日を特別な日として心に留めなさい。その日に、私たちの友情をともに祝おう」と、人類に対して言っておられるのです。つまり、十戒の第4条で神はこう訴えておられます。

「私はあなた方に時間の贈り物を与えた。それは毎週の第7日の贈り物である。その日、私とあなた方は互いの友情を祝い、休息しようではないか。創造主と被造物、父と子、そして永遠の友だち同士として」

最も値打ちのあるもの――時間

安息日は命に休息を与える神の贈り物です。神は、私たちが休息を何よりも欲しがっていることをご存じなのです。

世論調査員ルイス・ハリスは、アメリカ人がどのように時間を用いているかについて、広範囲の調査を行いました。彼の調査によると、平均的アメリカ人が楽しんでいる休暇時間は、1973年以来37パーセントも減少しています。一方、この同じ期間に、通勤時間を含む1週間の労働時間は、平均41時間から47時間にはね上がりました。いくつかの職業――おそらく法律、経済、医療関係の職業――では、しばしば週に80時間の追加勤務が要求されているのです。

休暇がだんだんと短縮され、ハリスは結論として、「時間はこの国で最も値打ちのあるものになったかもしれない」と述べています。

タイム・ウォーズ社の社会理論家ジェレミー・リフキンは、「時間を節約することに努力している文化の中で、私たちが大切にしている時間そのものがどんどん奪われているように感じられるとは皮肉なことだ」と書いています。これは現代における人生の最も大きな矛盾です。つまり、私たちは時間を節約するための無数の道具や技術を発明してきたにもかかわらず、もっともっと時間が欲しくてたまらない状態にあるというのです。

今日、ストレスは他のどの死因よりも、私たちの寿命を縮めています。欲求不満の増加は、特に共稼ぎの家庭の女性の間で深刻です。休暇や休息が少なすぎる、と不満を表明しているのは、男性の51パーセントに対し、女性は73パーセントなのです。

ニューヨーク市で経営コンサルタント業を営むロバート・シュランクは、こう書いています。

「いまや、1秒の1兆分の1の早さで動くスーパー・コンピュータが存在するようになった。1秒の1兆分の1とは何であろうか?これらの新しい発明によって、時間が全部使い果たされているということだ。休暇さえ、時間どおりに実行されている。ゴルフも時間どおりに行われている。私の息子もいつも忙しくしている。私が息子に『どうだ、楽しいか?』と聞いたら、『わからないな』という答えが返ってきた」

人間は7日周期で造られている

私たちはどのように休んだらいいのか、命の休息方法を忘れてしまったようです。

「安息日を心に留め、これを聖別せよ」(出エジプト記20章8節)

休息がなくては、健康がなくては、そして神がなくては、人間の命はいつまでも保てずに弱り果ててしまうことを、神はよくご存じなのです。

人類史上、私たちは最もストレスの多い時代に生きています。従って、あらゆる世代の中で、私たちが一番、神からのこの贈り物を必要としているのです。毎週の終わりに休息の日を持ち、創造主と交わることによって、私たちは生気を取り戻し、緊張を和らげ、生活の優先順位を再確認し、こうして人生を回復できるのです。もし、人類が安息日を毎週休むなら、ストレス過剰に陥ることなく、きっと生き残ってゆけるでしょう。

では、なぜ安息日を7日ごとに心に留め、これを聖別しなければならないのでしょうか。その理由は簡単です。私たち人間が、7日周期で造られているからです。創造主である神は、私たち人間の中に7日周期の時計をセットされたのです。読者のみなさんも、そして私も、週の6日間は働き、第7日は、創造主であり、友であるお方と一緒に休息し、新しい生気を取り戻し、ゆったり過ごすことによって生き長らえるものとして、精巧に設計されています。

くり返しになりますが、第7日安息日は、神からの友情の贈り物であるとともに、時間――神とともに休む時間――の贈り物という、2重の意味を持った贈り物なのです。

キリストは全宇宙の創造主、安息日の制定者

神は、友情の証である安息日を人類と分かち合うことに熱心で、その結果、この贈り物が創世記から黙示録まで聖書全巻の中に、ちょうど金の糸のように織り込まれています。旧約聖書の偉大な聖徒や父祖たちは、第7日安息日を祝いました。新約聖書の偉大な使徒やクリスチャンたちも、この神の日を祝いました。

事実、イエスご自身も、私たち人類のもとに降りて来られた神として、第7日安息日をお祝いになられました。ルカによる福音書には、「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった」(4章16節)とあります。

読者のみなさんには、何か毎日くり返している個人的な習慣がおありでしょうか。もちろん、私たちはだれもが何かしらの習慣を持っているはずです。ズボンをはくとき、必ず右脚からはくとか、靴下なら左足からだとか、歯磨きが残り少なくなったらチューブを巻き上げて絞り出すとか……。私たちはみな習慣を持った生き物で、毎日の個人的な習慣を実行しながら生きています。

イエスもそうでした。彼が毎週行った習慣は、第7日安息日に教会へ行き、そこで天の父なる神を礼拝することでした。しかも福音書に書かれているイエスの大きな奇跡は、その多くが安息日に行われているのです。イエスは安息日を大切にされました。なぜでしょうか?聖書は、イエス・キリストがこの世界の創造主ご自身である、と述べています。人間の肉体をお取りになる前、キリストは全宇宙の創造主であられた、と。

たとえば、コロサイの信徒への手紙には、こう書かれています。

「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています」(1章13~17節)

2000年前、ほこりまみれのサンダルをはいてパレスチナの地を歩き回られた若き教師イエスが、ほかでもない人間の姿をお取りになった宇宙の創造主ご自身だったのです。そして、そもそも彼が最初に安息日を定められたのですから、ご自分の第7日安息日を忠実にお祝いになるのは自然なことでした。十字架でお亡くなりになったときでさえ、創造主なるイエスは「安息日を心に留め」、その日には墓の中でお休みになられたのです。

安息日は第7日、土曜日なのです

安息日の話を初めて聞いた人は、私のところにやって来て、こんな質問をよくします。「ドゥワイト、安息日というのは、7日のうちの1日を取り分けるようにと、神が私たちに望んでおられることの象徴なのでしょう?結局のところ、週のどの日が安息日でもいいし、そもそも安息日が何曜日かなんて、現代ではもうわからなくなっているんじゃないのですか?長い歴史の中で、何回も変わってきたのでしょうから」と言うのです。

この質問に対して、とても簡単な答えがあります。ルカによる福音書を見てみましょう。

「その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ」(23章54~56節)

この聖句に基づいていくつか質問させてください。まず、イエスが死から甦られたのは、何曜日でしたか?クリスチャンであろうとなかろうと、世界中の人々は、イースター(復活祭)がいつも日曜日であることを知っているはずです。では次に、イエスが十字架にかけられたのは何曜日でしたか?これもよく知られていることで、キリスト教世界の人々がその日を「グッド・フライデー」と呼んでいるように、金曜日でした。

ルカによる福音書の記事は、こう続きます。

「そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った」(24章1節)

ここで注意してください。イエスは金曜日に亡くなられ、日曜日に復活されました。そして、その間の日が安息日です。金曜日と日曜日の間に来るのは何曜日ですか?それは、あえて言うまでもなく土曜日です。

もし、イースター・サンデーが二千年以上も変わらなかったとしたら、第7日安息日も変わらなかったはずです。ということは、週の第7日目である土曜日が、現在でも創造主の安息日なのです。

ですから、聖書は第7日安息日のことを「主の日」と呼んでいるわけです。マタイによる福音書によれば、「人の子[イエス]は安息日の主なのである」(12章8節)と、イエスご自身が宣言なさいました。

しかし、読者のみなさんは、こう反論されるかもしれません。「安息日は、ユダヤ人たちだけのものだ」と。果たして、そうでしょうか。マルコによる福音書には、「安息日は、人のために定められた」(2章27節)とあります。ユダヤ人だけのものではなく、あらゆる人のためのものだ、というのです。安息日は、ユダヤ民族が存在する2300年も前から、人類に与えられていた神の贈り物なのです。

読者のみなさんに、私は次のことを確信をもってお伝えしたいと思います。それは、神があなたや私に第7日安息日を贈り物としてお与えになられた、という事実です。そして安息日は、人を生かす神の友情を毎週お祝いする日なのです。安息日の主であるお方が、この地上におられたとき、どのように言われたでしょうか。

「わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイによる福音書11章28節)

救いの休息を私たちにお与えになった救い主は、安息日の休息をお与えになった創造主なのです。そのお方が、「わたしのもとに来なさい」と招いておられます。私たちに対する神のこの熱情的な訴えは、第7日が訪れるたびに発せられているのです!

二度助けられた命

まだほんの子供であったウィンストンという名の少年が、ある金持ちの親戚を訪ねていたときのことでした。運命的なできごとが起こったのです。

その日、敷地内にあるプールのそばで、ウィンストンは1人遊んでいました。彼はほとんど泳げなかったのですが、ふざけていたときに足を滑らせ、底の深いプールに落ちてしまったのです。彼はもがきながら、必死に助けを求めました。すると、たまたまプールの近くの樹の手入れをしていた庭師の息子が、その叫び声に気づいてくれたのです。若者は急いで芝生を横切るとプールに飛び込み、おぼれかけていたウィンストンを引っ張り上げたのでした。

ウィンストンの家族も親戚の人も、この若い英雄に深く感謝し、「何かお礼をしたいと思うが、欲しいものはないか?」とたずねました。庭師の息子の答えがすぐに返ってきました。彼は教育を受けるために学費をためていましたが、まだ十分でなかったのです。それで、「学校へ行って勉強がしたいのです」と答えました。もちろん、ウィンストンの家族は喜んで援助することを約束しました。

さて、このウィンストンは成長し、後に有名なイギリスの首相となり、第2次大戦中にこの国を導きました。激しい戦争のさ中、エジプト駐留のイギリス軍をお忍びで訪れていたとき、彼、ウィンストン・チャーチル卿は急性肺炎にかかり、危険な状況に陥ってしまったのです。

無線通信技師は急いで本国へ打電し、「首相を救うため、専門医を空路エジプトに送れ」と伝えました。数時間後、抗生物質薬ペニシリンの発見者である、アレキサンダー・フレミング博士が到着し、当時新薬だったこの薬でチャーチル首相を治療したのです。チャーチル首相が回復して意識を取り戻したとき、治療にあたった医師の顔を見上げて次のように言いました。

「フレミング先生、あなたは私に二度、命をくださいました。ありがとう!」

おわかりのように、アレキサンダー・フレミング博士は、少年ウィンストンがあのプールでおぼれかかったとき、彼を救い上げた庭師の若者だったのです。その彼がいま、再び首相となったウィンストンの命を死から救い出したのでした。

「あなたは私に二度、命をくださいました。ありがとう!」

この同じ言葉を、私たちもイエス・キリストに向かって言うことができるのです。彼は創造のとき、私たちに最初の命をくださいました。さらに彼は、十字架におかかりになることで、私たちに再び命をくださいました。このイエスは、世界の創造主であり、人類の救い主であり、安息日をお定めになった神なのです。このようなお方を私たちの友とすることができるというのに、一体だれがあえてこれを拒むでしょうか。

祈りたいと思います。

「恵み深き父であり、愛に満ちた創造主なる神様、あなたは私たちに2度、命をくださいました。ありがとうございます!あなたは私たちとの友情を、心から願っておられる神でいらっしゃいます。それゆえにあなたは、私たちに安息日をくださいました。この贈り物の日に、私たちはあなたの創造を心に留め、あなたの十字架を思い起こすのです。

あなたは私たちに二度、命をくださいました。ありがとうございます!イエス・キリストのうちに、私たちの命を休ませることができることを心から感謝申し上げます。

イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン」

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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