第7課 本当の友だち

目次

1.ぼろの服を着てみたら

けんいち君とさと子さんには友だちがいるかい?

わたしもそうだわ

きょうは二つのたとえ話をしてあげるか、本当の友だちとはどういう人のことだか考えてみてごらん

いつもきちんと背広(せびろ)をきてネクタイをしめている立派(りっぱ)な紳士(しんし)が、ある日かみをぼさぼさにして、うすよごれたシャツを着て町をあるいてみました。まず、いつも行っている本屋さんにはいりました。

いつものように本のページをパラパラとめくっていると、本屋の主人がめいわくそうな顔をしてじろりとこちらを見るのが目に入りました。美しくかざった女性(じょせい)が二人、かれをさけるようにしてそばを通り、
「きたならしい。あんな人がどうして本屋に入ってきたのかしらね」
とささやき合っていました。

次に何かを食べようと、食堂(しょくどう)にはいりました。こんでいたのですが、やっとあいている席(せき)を一つみつけ、
「ここにすわってもよろしいでしょうか」
とたずねました。

ところがとなりの席(せき)にすわっていた中年の女性(じょせい)は、いかにもきたならしいという顔でこの男をながめ、
「しつれいね。ほかの席(せき)をさがしたらどう?」
と言うのでした。

男はしかたなく、近くのべんとう屋さんでにぎりめしを買い、公園のベンチにすわって食べはじめました。するとそれまで近くで遊んでいた子どもたちはかれをさけるように、少しはなれた遊び場に行ってしまいました。一人の母親はかれの方をさして、
「ほら、あの人を見てごらん。お母さんの言うことを聞いてちゃんとお勉強していないと、あんなふうになってしまうのよ」
と言うのでした。

2.ごうとうにおそわれた旅人

あるユダヤ人がエルサレムからエリコに向かって旅をしていました。この道は岩の多いあれはてた谷間にあり、ごうとうが出没(しゅつぼつ)するので、人々からおそれられている道でした。このユダヤ人もごうとうにおそわれないように心の中でおいのりしながら、道を急いでいました。

その時、とつぜん岩かげから数人のごうとうがあらわれ、旅人におそいかかりました。
「さあさあ、ころされたくなけりゃ、持っているものをみなわたすんだ」
ごうとうたちはそう言って、旅人の着物をはぎ取り、さらになぐりとばしして、かれが持っていた物をすべてうばい取り、にげて行ってしまいました。

深いきずを負った旅人は歩くこともできず、きずのいたみにたえながら、さびしい山道にみを横たえていました。「だれか通りかかって助けてくれないだろうか」旅人は苦しみのなかでそうねがいつづけました。

どのくらいたったころでしょうか。トットットッとかすかな足音が聞こえました。足音はだんだんこちらに近づいてきます。
「よかった。人だ。助かった!」
旅人はそう思いました。いたむ頭を足音のする方に向けてみると、それはりっぱな身なりのさいしでした。
ところが、さいしは、きずついた旅人をちらりと見るなり、こんな人にかかわって自分がごうとうにおそわれてはたいへんと、道の反対がわを通って急ぎ足で立ち去ってしまいました。

旅人はがっかりしてしまいました。が、すぐに、さっきとはちがった足音がまたきこえてきました。
「こんどこそ助けてもらえるだろう」
通りかかったのはりっぱな着物を着たレビ人でした。レビ人というのはしんでんで、神様の仕事をする人です。旅人は「助けてください」と言おうとしましたが、声にはなりませんでした。

レビ人はきずついた旅人を見ると、あたりを見まわし、だれも人がいないのをたしかめ、急いでにげて行ってしまいました。それまでそんけいしていたさいしとレビ人のこの行為(こうい)は旅人の心にきずをつけました。きずのいたさに苦しみながら、がっかりした旅人はそのうち意識を失ってしまいました。

ふと気がつくと、だれかが自分のきずをふいてほうたいをしてくれていました。よく見ると、それは日頃ユダヤ人と仲の悪いサマリヤ人でした。

当時、ユダヤ人とサマリヤ人は南と北にとなりあった地域(ちいき)に住んでいながら、とてもなかが悪く、ユダヤ人はサマリヤ人をさげすみ、サマリヤ人もユダヤ人をにくんでいて、たがいに話さえしなかったのです。

しかしこのサマリヤ人は、旅人を自分のろばに乗せて宿屋につれて行ってかいほうし、次の日、宿の主人にお金をわたし、「この人をみてやってください。ひようがよけいにかかったら、帰りがけにわたしがしはらいます」といたのでした。

3.本当の友だちとは

話し終えたおじさんは、けんいち君とさと子さんに次のようなしつもんをしました。

このごうとうにおそわれた旅人の本当の友人はだれだと思う?

そりゃあ、もちろん三人目の人でしょう

かいほうしてあげただけではなくて、後でかかったひようもはらうなんてずいぶん親切な人ね

イエス様は、このたとえ話をなさった後で、「あなたも行って同じようにしなさい」とおっしゃったのだよ

自分に親切にしてくれる人に親切にするのはわりとかんたんだけれど、いじわるする人に親切にするのはむずかしいわ

おじさんのさいしょのお話のように、強い人、えらい人、りっぱな人にはていねいでも、弱い人やこまっている人、まずしい人にはつめたいという人が多いね

イエス様は次のように言っておられるんだよ。
「てきをあいし、はくがいする者のためにいのれ。こうして天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にもよい者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも、正しくない者にも雨をふらせて下さるからである。あなたがたが自分をあいする者をあいしたからとて、なんのむくいがあろうか。……兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。……」(マタイによる福音書5:44-47

イエス様はつみにけがれたわたしたち一人一人をあいし、わたしたちのつみのために十字架(じゅうじか)にかかって死んでくださることによって、本当の友だちとはどういう人のことかという模範(もはん)をしめされたんだね。聖書(せいしょ)にも「人がその友のために自分の命をすてること、これよりも大きなあいはない』(ヨハネによる福音書15:13)とかいてあるよ。

わたしたちはもこのイエス様のあいにならって、どんな人でもあいし、助けていきたいものだね」


たからのことば

だから、何事でも人々からしてほしいとのぞむことは、人々にもその通りにせよ。これが律法(りっぽう)でありよげん者である
マタイによる福音書7:12

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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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