主はあなたの栄光また守り
最初の三つの幻のなかで、主はゼカリヤに対して、もし人々が主に帰るなら、主は彼らの神となり、彼らは主の民となると言っておられます。これと同じ約束が今日の私たちに対しても与えられています。主に帰れ、そうすれば主は私たちのうちに住み、私たちの栄光また守りとなってくださいます。
神は私たちとの交わりを求められる
もしあなたがだれかを愛しているなら、その人と一緒にいたいと思うはずです。その人と一緒にいると、心に安らぎを感じることでしょう。時間はあっというまに過ぎてしまいます。
この経験は、神がご自分の民に求めておられる関係を表しています。ゼカリヤ書の初めの2章は、聖書の特徴的なもので、ご自分の民との親しい交わりを求める神の願望を強調しています。聖書の中心主題の一つは、インマヌエル、すなわち「神われらと共にいます」です。神は愛ですが、その愛は決してひとりだけのものではありません。それはいつでも被造物と共有されるものです。このことが回復という思想の根底にあります。
神は私たちと共に住まれる
ゼカリヤ書の初めの三つの幻は、回復についての幻ですが、それらははっきりと、神がご自分の民のうちに住みたいと望んでおられることを示しています。ご自分の民の心に宮をお建てになるとき、神ご自身が彼らの防壁となって、彼らのために働いてくださいます。神は、「その周囲で火の城壁となり、その中で栄光とな」られます(ゼカリヤ書2:5)。
神の計画は、イスラエルだけでなく、「主に連なって」、主の民となる「多くの国民」をも包含するものです(ゼカリヤ書2:11)。
ミルトスの木の中に立つ人(ゼカリヤ書1章7節~17節)
これらの幻について学ぶにあたって、細部よりも全体の、基本的なテーマに目を向けてみたいと思います。それぞれの幻の意味を細かく把握することができなくても、全体的な意味は十分に理解することができます。
質問1 どんな時代に、またどんな状況において、ゼカリヤは主から最初の幻を受けましたか。ゼカリヤ書1:7(エズラ記5:1~5、6:1~12比較)
ゼカリヤの働きは、紀元前520年の10月か11月のある時期に始まりました。ゼカリヤ書1:7の幻は、紀元前519年の2月15日ごろに与えられました(『SDA聖書注解』第3巻98、99ページ参照)。
エズラは、ハガイとゼカリヤの預言がゼルバベルの指導のもとで神殿の再建を再開させる助けになったといっています(エズラ記5:1、2)。今回の課で、私たちが学んでいる幻は、神がご自分の民に神殿再建の働きを再開させるためにお用いになったものです。
ユダヤ人はすぐに、神殿再建を望まない周辺の民の反対を受けました。そこで、ペルシャの王、ダリヨス・ヒュスタスぺスに嘆願します。その結果、王の財源からの補助によって再建工事を継続するようにとの勅令が出されました(エズラ記6:1~12)。
質問2 ミルトスの木の中に立っている人は別の名前で呼ばれています。その名は何ですか。彼はゼカリヤのそばにいて説明役になっている御使いとどのように区別されていますか。ゼカリヤ書1:8~14
ミルトスの木の中にいる人は、主の使いと同一人物です(1:11)。彼はほかの幻の中に何回も出てくる、「わたしと語る天の使」(1:13)とは別の人物です(1:19、2:3、4:1~5、5:5、6:4参照)。ゼカリヤのそばにいて彼と語る御使いは、「主の使」とは別の人物です。
この「主の使」は第4の幻のなかにも現れます。この法廷の光景において、彼は大祭司ヨシュアを弁護しています(ゼカリヤ書3:1、6)。この「主の使」は、三位一体の第二位の神、イエス・キリストです。「主の使。すなわち、『主なる御使い』ということで、それはキリストを意味する(ユダ9、『国と指導者』下巻189ページ比較、出エジプ卜記23:20、21参照)」(『SDA聖書注解』第4巻1092ページ)。
この第1の幻には、父なる神、子なる神、ゼカリヤと共にいる御使いが登場しているように思われます。
質問3 ミルトスの木々が帰還した捕囚民あるいは神の民を象徴することはどこからわかりますか。ゼカリヤ書1:8、10(ネヘミヤ記8:14~18比較)
つぎの4点について考えてください。
・ミルトスの木はエルサレムの周辺によく生えていて、イスラエルの民にはよく知られたものでした(イザヤ書41:19)。ほかの木と同じく、ミルトスの木の枝は、仮庵の祭りのとき仮庵を建てるのに用いられました(ネヘミヤ記8:15)。
・「主の使」であるキリストがミルトスの木の中に立たれた事実は、第3の幻と同様、神がご自分の民のうちにお住みになるという、この幻の要点と一致します。
・神がご自分の民のうちにおられるという、ここに述べられた主題は、ゼカリヤ書の中心であって、回復という主題にとって欠かすことのできないものです。
・ゼカリヤ書はメシヤに関する書です。ご自分の民のためのメシヤの働きは、ゼカリヤのメッセージの中心です。
質問4 赤馬、栗毛の馬、白馬はだれを表していますか。それらは主に何と言っていますか。ゼカリヤ書1:8~11(ゼカリヤ書6:1~8、黙示録6:1~8比較)
「御使たちはすべて仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたもの」であると、私たちは教えられています(へブル1:14)。地上を巡回し、自分たちがつかわされた地域に特別なメッセージを伝えたのち、御使いたちは主に報告しています—今は、神の民を回復するにふさわしいときです、と。
質問5 ご自分の民の中に立たれる神は、彼らに対してどんな態度をとられますか。神は彼らにどんなすばらしい約束を与えておられますか。ゼカリヤ書1:13~17
この第1の幻から明らかなことは、全地が「平穏」(ゼカリヤ書1:11)な、この平和のときに、神がご自分の民に神殿の建設を再開するように望まれるということです。ここに、今日の私たちにふさわしい霊的な教訓があります。私たちは平和なときに教会を「建設」しなければなりません。さもないと、もっと困難な状況のなかでそうしなければならなくなります。
角と鍛冶(ゼカリヤ書1章18節~21節)
この短い幻は二つの質問と二つの回答からなっています。第1の質問と回答は四つの角に、また第2の質問と回答は4人の鍛冶に関係しています。対話はゼカリヤと御使いのあいだでなされています。
動物がその角によって自分の力を誇示し、自らを守るように、国家はその力によって敵と戦います(詩篇75:4、5、132:17参照)。一般的に、角は国家又は力と権威を表します(ダニエル書7:8、24、黙示録17:12、16)。
質問6 ゼカリヤの第1の質問は何ですか。御使いは何と答えていますか。ゼカリヤ書1:18、19
四つの角は四つの方向を表しています。したがって、これにはすべての異教世界が含まれます。「ゼカリヤは、『ユダ、イスラエルおよびエルサレムを散らした』国々が、四つの角によって象徴されたのを見た」(『国と指導者』下巻186ページ)。
質問7 御使いはゼカリヤによってなされた第2の質問に何と答えましたか。ゼカリヤ書1:20、21
「鍛冶」と訳されているヘブル語は、金属、木、石を扱う「職人」を意味します。「彼はその後、直ちに4人の鍛冶を示されたが、彼らは主の民と主の礼拝の家を回復するために、主がお用いになる勢力を表していた」(『国と指導者』下巻186ページ)。
ある人たちはこれら四つの角を、イスラエルを圧迫し散らした四つの帝国、つまりバビロン、メド・ペルシャ、ギリシア、ローマと解釈します。別の人たちは、神の民がすでに散らされていたという考えにもとづいて、これら四つの角がエジプト、アッシリア、バビロン、ペルシャをさすと主張します。いずれにせよ、これらの異教勢力は神によって定められた鍛冶の手によって次々に倒され、神の民を解放し、その神殿再建を助けることになります。
神は人間世界の出来事に精通しておられる
神は各国家と個人の、過去、現在、未来のすべてのことを知っておられます。神は歴史の諸事件を支配し、国々をみちびいて、ご自分の民の益となるようにされます。
4人の鍛冶が備えられていることからもわかるように、神が私たちの中心にお住みになるとき、私たちのための神のみわざは無敵です。それらの角がいくら強くても、勝利することができます——どの角に対しても、神は鍛冶を備えておられるからです。
諸国家のうちにおける神のみこころ
「人類の歴史の記録の中では、世界の諸国民の発展や諸帝国の興亡は、人間の意志や勇気に左右されているかのようにみえる。いろいろな事件の形成は、その大部分が人間の能力や野心やあるいは気まぐれによってきまるかのようにみえる。しかし神のみ言葉である聖書の中には幕が開かれていて、われわれはそこに、人間の利害や権力や欲望の一切の勝ち負けの上に、また背後に、あるいはそれを通して、あわれみに満ちた神の摂理が、黙々と忍耐づよくご自身の目的を達成するために働いているのを見るのである」(『国と指導者』下巻108ページ)。
私たちのための神のみこころ
「自分の価値のなさを認めて、救い主の功績に全的に信頼する魂ほど、表面的には無力にみえながら実際には無敵なものはない。神は天のすべての御使いをさえその者を助けるために送り、彼に勝利を得させられるであろう」(『教会へのあかし』第7巻17ページ)。
測りなわを持った人(ゼカリヤ書2書1節〜13節)
霊的イスラエルの勝利
ゼカリヤの第3の幻には、神の臨在と恵みにあずかった場合に与えられるイスラエルの未来の繁栄が描写されています。そこには、ご自分の民と世界を救う神の計画の成就が示されています。イスラエルのための輝かしい計画は、字義的イスラエルに成就しませんでした。それは神の失敗ではなく、イスラエルの失敗によるものでした。もしイスラエル人が神との契約を守り、そのみこころに完全に従っていたなら、神の計画は成就していたはずです。
計画は残り、方法が変わった
「選民であるイスラエルによって、神が世界のためになそうとご計画になったことを、神はついに今日の地上の教会によって達成なさるのである。神は忠実に『季節ごとに収穫を納める』神の契約を守る『ほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与え』られた。主のお働きを自分たちの働きとする真の代表者を、主がこの地上に持っておられなかった時はなかった。こうした神のための証人たちは、霊的イスラエルの中に数えられる。そして、主なる神が古代の人々に約束されたすべての契約が、彼らに成就するのである」(『国と指導者』下巻314ページ)。
パウロはそのことをローマ9:6~8、ガラテヤ3:29で述べています。
質問8 エルサレムを測ることは何を象徴していましたか。ゼカリヤ書2:2(エゼキエル書40:2~4、黙示録11:1比較)
預言書においては、都と聖所を測ることは捕囚後の回復を象徴するものです。黙示録はゼカリヤ書とエゼキエル書の象徴を借用して、何世紀にもわたる誤解と拒絶ののちに、聖所の使命が回復されることの意味にそれを用いています。聖所の回復と神の民の霊的回復とは同じ時期に起こり、また同じ究極的な目的を持っています。
「神はエルサレムの再建をお命じになったのであった。都を測る幻は、神が苦しんでいる人々に慰めと力を与え、彼らに永遠の契約という約束を成就するという確証であった」(『国と指導者』下巻187ページ)。
質問9 測りなわを手にした若者の働きが中断するのはなぜですか。ゼカリヤ書2:4、5
エルサレムの城壁が不要となることには、二つの理由が考えられます。
1.神の祝福の豊かさ 数多くの人間と家畜が入ってくるので、エルサレムの都を城壁で囲むことはできなくなります。エルサレムの偉大さと影響力は境界をこえてあふれ出ます。
2.主の臨在 外部的には、神は「その周囲で火の城壁」となられます。これは、神がエルサレムを敵から守ってくださるという意味です。もはや城壁の必要はなくなります。内部的には、神は「その中で栄光」となられます。これは神の臨在を意味します(ゼカリヤ書2:5)。
質問10 測りなわを持つ人の幻は、現代のクリスチャンとキリスト教会に対して何を教えていますか。マタイ5:14~16、ヨハネ8:12、使徒行伝1:8
ゼカリヤを通して与えられた約束は、キリストの栄光を反映すべきキリスト教会とその信者に移されました(エペソ5:8参照)。エルサレムの境界線は今では、全世界にまたがっているのです。クリスチャンは、「シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神」に近づいています(へブル12:22、23)。
質問11 主はご自分の民に対して、どこからのがれてシオンに住むように教えておられますか。これは現代においてどんな意味を持ちますか。ゼカリヤ書2:6、7、黙示録14:8~10、 18:4
逃げることは必ずしも憶病なことのしるしではありません。ときとして、それは知恵のしるしです。パウロはテモテに、「これらの事を避けなさい」と勧告しています(テモテ第Ⅰ・6:11)。私たちが避けなければならないことは何でしょうか。いくつかあげてください。
質問12 神と神の民にさからう者たちはどうなりますか。ゼカリヤ書2:8、9、黙示録18:8、9、20:7~9
若者の働きが中断するのはなぜですか。ゼカリヤ書2:4、5
質問13 エルサレム回復についてのゼカリヤの約束はいつ、最終的に成就しますか。ゼカリヤ書2:4、5、10~12を黙示録21:3、23~27と比較
「人々の中から贖われた者たちが約束の嗣業を受けるのは、この時である。こうして、彼のイスラエルに対するみこころは、文字通りに成就するのである。神がご計画になることを人間は取り消す力がない。悪の活動のさなかにあっても、神のみこころは着実にその完成に向かって進んでいった。これは分裂した王国の歴史全体を通じて、イスラエルの家について言えることであった。それは今日の霊的イスラエルについても同じである」(『国と指導者』下巻320ページ)。
まとめ
神は今、そして永遠にわたって、私たちのうちに、また私たちの心にお住みになりたいと望んでおられます。私たちは神にとって尊い存在です。神は私たちに神に全的に信頼し、服従するように望んでおられます。神は私たちを通してご自身の光と力を人々にあらわしたいと望んでおられます。
*本記事は、フィリップ・G・サマーン(英:Philip G. Samaan)著、安息日学校ガイド1989年4期『勝利の幻 ゼカリヤ書』 からの抜粋です。