最初の教会指導者たち【使徒言行録―福音の勝利】#4

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五旬祭で改宗した者の多くは、ギリシア語を話すユダヤ人、つまりギリシア・ローマ世界で生まれたユダヤ人で、今はエルサレムに住んでいた者たちでした(使徒2:5、9〜11)。彼らはユダヤ人であるにもかかわらず、ユダヤのユダヤ人—使徒言行録6:1で「ヘブライ語を話すユダヤ人」と呼ばれている人たち—とは多くの点で異なりました。その最も明らかな違いは、彼らがアラム語(当時ユダヤで話されていた言語)をよく知らないことでした。

文化的、宗教的違いは、ほかにもいくつかありました。彼らは外国で生まれたので、ユダヤ出身のユダヤ人の伝統にルーツを持っていないか、あるいは少なくとも、彼らのルーツは、ユダヤ出身のユダヤ人ほど深くありませんでした。彼らはたぶん、神殿の儀式や、イスラエルの地だけで適用されるモーセの律法のそういった側面には、さほど執着していなかったでしょう。

また彼らは、ギリシア・ローマ世界という環境の中で人生の大半を過ごし、異邦人と密接に関わりながら生きてきたので、自ずとキリスト教信仰の受容的な性質を進んで理解したことでしょう。実際、全世界にあかしをするようにという命令を果たすために神が用いられたのは、ギリシア語を話す多くの信者でした。

7人の任命

使徒言行録6:1を読んでください。ギリシア語を話す信者の不満があります。

「つぶやきの原因は、ギリシャ語を使うやもめたちが日々の配給でおろそかにされがちだと、苦情を申し立てたことにあった。どんな不平等でも福音の精神に反するのはたしかなのだが、その主張のかげで既にサタンは疑いの気持ちをかきたてることに成功していた。いまや、不満をひきおこすすべてのきっかけを除くために、速やかな処置を講じなければならない。さもないと敵の努力が実って、信者たちの間に分裂を招くことになる」(『希望への光』1389ページ、『患難から栄光へ』上巻90ページ)。

使徒たちが提案した解決法は、「食事の世話をする〔ギリシア語で「ディアコネオー」〕」(使徒6:2)7人の男性をユダヤ人〔信者〕が自分たちの中から選び、使徒たちは「祈りと御言葉の奉仕〔ギリシア語で「ディアコニア」〕に専念する」(同6:4)というものでした。「ディアコネオー」と「ディアコニア」は同じ語群に属するため、実質的な違いは「食事」と「御言葉」にしかありません。このことは、「日々の」(同6:1)という形容詞とともに、初代教会の日常生活における二つの主要な要素、つまり教えること(「御言葉」)と交わり(「食事」)を指し示しているようです。後者は、共同の食事、聖餐式、祈りから成り立っていました(同2:42、46、5:42)。

つまり、イエスの教えを正式に託された者として、使徒たちが信者に教理を教え、彼らと祈ることに専念する一方で、7人の執事は、いくつかの家の教会における交わりの活動を担当するということです。しかし彼らの職務は、今日「執事」という言葉で理解されているような執事の職務とは異なりました。実のところ、彼らは最初の教会員指導者でした。

使徒言行録6:2〜6を読んでください。7人が選ばれ、奉仕を任されましたが、候補者は、道徳的、霊的、実務的な資質において際立っていなければなりませんでした。つまり、彼らは評判の良い人で、“霊”と知恵に満ちているべきでした。その7人は共同体の承認を得て選ばれ、祈りと按手によって任務を授けられました。この儀式は、公に認めることと、執事として働く権威を授けることを示すもののようです。

ステファノの働き

任命されたあと、7人の執事は教会の働きに従事するだけでなく、効果的なあかしもしました。その結果、福音は広まり続け、信者の数は増え続けました(使徒6:7)。言うまでもなく、この成長は初代教会に対する反対を引き起こしました。次の物語は、たぐいまれな霊性の持ち主であったステファノに焦点を合わせます。

使徒言行録6:8〜15を読んでください。この聖句は、ステファノと、彼の信仰や品性について教えています。ギリシア語を話すユダヤ人であったステファノは、エルサレムにあるギリシア語を使う会堂で福音を伝えました。エルサレムにはそのような会堂がいくつかあり、使徒言行録6:9が言及しているのは、そのうちの二つのようです。一つは南部からの移民(キレネとアレクサンドリア出身のユダヤ人)の会堂、もう一つは北部からの移民(キリキア州とアジア州出身のユダヤ人)の会堂です。

間違いなく、論争の中心問題はイエスでしたが、ステファノに対する訴えは、福音とその意味に対する(たぶん、ユダヤ出身の信者たちの理解より優れていたであろう)彼の理解をそれとなく示しています。ステファノは、モーセと神を冒した、つまり律法と神殿を冒した、と非難されました。たとえ、ステファノがいくつかの点に関して誤解されたり(あるいは、彼の言葉が意図的にゆがめられたり)、偽証人が彼に反対するよう誘導されたりしたとしても、イエス御自身の場合と同様(マコ14:58、ヨハ2:19)、その訴えは、あながち間違っていなかったのかもしれません。ステファノが、偶像崇拝的に神殿をあがめることについて最高法院の前で明確に非難したことは(使徒7:48)、彼がイエスの死の深い意味と、その死が(少なくとも、神殿とその儀式に関して)結論づけるところを理解していたことをあらわしています。

言い換えれば、たぶんユダヤ出身のユダヤ人信者たちが、神殿やそのほかの儀礼的行為に依然として執着し(使徒3:1、15:1、5、21:17〜24)、それを捨てがたく思っていたのに対して(ガラ5:2〜4、ヘブ5:11〜14)、ステファノと、たぶんギリシア語を話すほかの信者たちは、イエスの死が神殿制度全体の終焉を意味したのだと、すぐに理解したのでしょう。

最高法院の前で

使徒言行録7:1〜53を読んでください。ステファノに対する訴えは、逮捕と最高法院による裁判に至りました。ユダヤ人の言い伝えでは、「律法」と「神殿の奉仕」とは、この世が基礎を置く三つの柱のうちの二つでした(もう一つは「善行」)。モーセの儀式は時代遅れだということで、ユダヤ教で最も聖なるものへの非難とみなされました。それゆえ、冒だと訴えられたのです(使徒6:11)。

ステファノの返答は、使徒言行録の中で最も長いもので、そのこと自体が彼の答えの重要性を物語っています。一見すると、それはイスラエルの歴史に関する長ったらしい独演くらいにしか見えませんが、私たちはこの演説を旧約聖書の契約や、(預言者たちが契約の要求事項へイスラエルを立ち返らせるために宗教的改革者として立ち上がったときに用いた)契約の構造と関連づけて理解すべきです。そのようなことが起きたとき、彼らは、神が御自分の民に対して、契約不履行のゆえに法的手段を取られたと考え、それをあらわすために「リーブ」というヘブライ語を用いました。たぶん、その言葉の最良の訳は、「契約訴訟」です。

例えば、ミカ6:1、2には、「リーブ」(「告発」)が3回出てきます。続いてミカは、シナイでの契約の様式に従い(出20〜23章)、まず神がイスラエルの民のためになさった力強い業(ミカ6:3〜5)を思い起こさせ、次に契約の規定とその違反(同6:6〜12)を思い起こさせ、最後に、違反に対する呪い(同6:13〜16)を思い起こさせています。

恐らく、これがステファノの演説の背景にあるものです。ステファノは、説明するように求められたとき、訴えに反論したり、自分の信仰を擁護したりしませんでした。その代わりに、古代の預言者たちがイスラエルを相手取って「リーブ」したときと同じように、声をあげたのです。ステファノが、神とイスラエルの関係を長々と振り返ったのは、彼らの忘恩と不服従を説明する意図からでした。

確かに、使徒言行録7:51〜53までに、ステファノはもはや被告でなく、目の前の指導者たちに対する神の契約訴訟について争っている神の預言的弁護士です。もし彼らの先祖に預言者たちを殺した罪があるのなら、この指導者たちはなおさらそうでしょう。「わたしたちの先祖」(使徒7:11、19、38、44、45)が、「あなたがたの先祖」(同7:51)に代わっている点は重要です。ステファノは、同胞との連帯を破棄し、はっきりとイエスの側についたのです。その犠牲は多大なものでしたが、彼の言葉には恐れも後悔も見られません。

天の法廷におけるイエス

定義によれば、預言者(ヘブライ語で「ナービー」)は神のために語る者なので、ステファノは、イスラエルを相手取って神の「ナービー」をしたその瞬間から預言者になりました。しかし預言者としての彼の働きは、ごく短いものでした。

使徒言行録7:55、56を読んでください。「ステパノがここまで語ってきた時、人々は騒然となった。彼が預言にキリストを結びつけ、また、神殿について自分の意見を語ると、祭司は恐怖にとりつかれたふりをして、衣を裂いた。この行為はステパノにとって死が間近いことを意味する合図であった。彼は自分の言葉が受け入れられないのを見て、最後のあかしをしていることを知った。彼は説教の途中であったが、突然、それをやめた」(『希望への光』1393ページ、『患難から栄光へ』上巻103ページ)。

ステファノは、神の訴えを却下したユダヤ人指導者たちの前に立っていましたが、その一方で、イエスは天の法廷、つまり天の聖所で、父なる神の隣に立っておられました。これは、地上での裁きが、天で下される本当の裁きのあらわれにすぎないことを示しています。神は偽教師やイスラエルの指導者たちを裁かれるのです。

このことは、使徒言行録で先に登場した演説における共通の特徴(使徒2:38、3:19、5:31)、つまり悔い改めの呼びかけがここにない理由を説明しています。イスラエルの神権政治は、終わりに近づきつつありました。それは、世界の救済が、もはやアブラハムに約束されたように(創12:3、18:18、22:18)イスラエルという国民を仲介してなされるのではなく、イエスに従う者たち、つまり今やエルサレムを離れて、世界中にあかしをするように期待されているユダヤ人や異邦人たちによってなされることを意味していたのです(使徒1:8参照)。

使徒言行録7:57〜8:1、2を読んでください。石打ちの刑は冒に対する刑罰でしたが(レビ24:14)、ステファノが死刑を宣告されたのか、それとも熱狂した群衆によって私刑にされたのかは、はっきりしません。いずれにせよ、彼は、信仰のゆえに殺されたと記録されている初めてのイエスの信者でした。証人たちが自分の着ていた物をサウロの足もとに置いたということは、彼がステファノの敵たちの指導者であったことを示唆しています。しかし、ステファノが自分を処刑する者たちのために祈ったとき、彼はサウロのためにも祈ったのです。すぐれた品性と揺るがぬ信仰を持つ人にしか、そのようなこと、つまり自分の信仰と自分の人生におけるキリストの実在を力強くあらわすことはできません。

福音の広まり

ステファノに勝ったことで、エルサレムの信者に対する大迫害に火がつきました。たぶん、同じ敵の集団によって煽動されたのでしょう。その集団の指導者がサウロであり、彼は教会に多大な損害を与えました(使徒8:3、26:10)。しかしその迫害は、良い結果に転じたのでした。

実際、ユダヤとサマリアの全土に散らされたために、信者たちは福音を広めることに取り組みました。これらの地方であかししなさいという命令は(使徒1:8)、こうして実行されたのです。

使徒言行録8:4〜25を読んでください。サマリア人は、宗教的な観点から見ても、半ばイスラエル人でした。彼らは「モーセ五書」を受け入れた一神教徒であり、割礼を実行し、メシアを待望していました。しかしユダヤ人からすると、サマリア人の宗教は堕落しており、それは、サマリア人がイスラエルの契約の恵みにまったくあずかれないことを意味していました。

サマリア人の予期せぬ回心はエルサレム教会を驚かせたため、使徒たちは状況を把握するためにペトロとヨハネを送り出しました。ペトロとヨハネが到着するまで神が“霊”を差し控えておられたのは(使徒8:14〜17)、そのサマリア人たちが信仰の共同体の正式な一員として受け入れられるべきであることを使徒たちに確信させようと意図してのことだったのでしょう(同11:1〜18参照)。

しかし、話はそこで終わりません。使徒言行録8:26〜39には、フィリポとエチオピア人の宦官の物語があり、この高官は聖書研究のあとでバプテスマを求めました。「フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた」(使徒8:38)。

まずは、サマリア人。次には、宮参りのためにエルサレムへ来て、帰国の途上にあったエチオピア人。福音はイスラエルの国境を越え、予告されていたように、世界に届きつつありました。しかし、これはほんの始まりにすぎませんでした。なぜなら、初期のこれらのユダヤ人信者たちは、間もなく、当時知られていた世界をくまなく旅し、イエスの死というすばらしい知らせを宣べ伝えたからです。それは、この方が人間の罪の罰を受け、あらゆる場所のあらゆる人に救いの希望を与えてくださっているという知らせでした。

さらなる研究

「エルサレムの教会をおそった迫害は、福音の働きに強い刺激を与える結果になった。エルサレムでのみことばの宣教は成功していたので、弟子たちには、全世界に出て行けとの救い主のご命令をなおざりにして、いつまでもそこにとどまる危険があった。悪に抵抗する力は、活動的な奉仕によって最も多く得られるということを忘れて、彼らは敵の攻撃からエルサレムの教会をかばうほど重要な仕事はないと思いはじめていた。彼らは新しく改心した人たちに福音を宣べさせる教育をするどころか、既になし遂げられたことに、みんなで満足しているだけで終わってしまうような危険に陥っていた。神はご自分の代表者たちを広く散らして、その行く先々で他人のために働くことができるように、彼らの上に迫害の手がのびるままにしておかれた。信者たちはエルサレムを追われて、『御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた』」(『希望への光』1395ページ、『患難から栄光へ』上巻109ページ)。

*本記事は、安息日学校ガイド2018年3期『使徒言行録』からの抜粋です。

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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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