パウロの回心【使徒言行録―福音の勝利】#5

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(のちにパウロとなった)タルソスのサウロの回心は、使徒教会の歴史上、特筆すべき出来事の一つでした。しかしパウロの重要性は、彼の回心をはるかに超えています。なぜなら、かつての教会の敵で真のクリスチャンになったのは、彼だけではないからです。そうではなく、問題は、彼が福音のために何を成し遂げたのかということに関係しています。パウロはかつて、手におえない初代教会の敵であり、彼が生まれたばかりの教会に与えた危害は、甚大なものでした。彼は教会を滅ぼすための決意と公的支援の両方を持っていました。しかし彼は、ダマスコヘの途上における神の召しに誠実に応え、最も偉大な使徒になりました。「キリストの教会の最も冷酷で無慈悲な迫害者の中から、福音の最も有能な擁護者、最も成功した使者が登場したのである」(エレン・G・ホワイト『パウロ略伝』9ページ、英文)。

初代教会を迫害したパウロのかつての行動は、いつも彼に深い無価値観をもたらしたことでしょう。彼はそれよりも深い感謝の気持ちを抱きつつ、彼に対する神の恵みが無駄ではなかった、と言うことはできましたが……。パウロの回心によって、キリスト教はすっかり変わりました。

教会の迫害者パウロ

パウロはギリシア語を話すユダヤ人で、彼が生まれた場所はキリキア州の首都タルソスでした(使徒21:39)。それにもかかわらず、彼はある程度、ギリシア的な固定観念から外れていました。なぜなら、彼はエルサレムに来て、当時最も影響力のあったファリサイ派の教師ガマリエルの下で学んだからです(同22:3)。ファリサイ人としてのパウロは、まったく正統派でしたが、彼の情熱は熱狂すれすれでした(ガラ1:14)。だから彼は、ステファノに死をもたらし、続いて起きた迫害の首謀者になったのです。

使徒言行録26:9〜11を読んでください。パウロは、福音はユダヤ人にとってつまずきの石だった、とほかの箇所(Iコリ1:23)で記しています。王なるメシアという伝統的なユダヤ人の予想にイエスが当てはまらなかったという事実に加えて、彼らは、十字架で死んだ人が神のメシアであるという考えを決して受け入れることができませんでした。なぜなら聖書は、木にかけられて死んだ者はだれであれ、神に呪われている、と述べているからです(申21:23)。それゆえユダヤ人にとって、メシアが十字架で死ぬというのは馬鹿げた矛盾であり、イエスに関する教会の主張が偽りであることの最も明白な証拠でした。

使徒言行録9:1、2は、信者に敵対して行動するタルソスのサウロを明らかにしています。ダマスコは、エルサレムから北へ200キロほどの所にあった重要な町で、そこには多くのユダヤ人が住んでいました。ユダヤの外に住んでいたユダヤ人たちは、エルサレムに本拠地があるネットワークのようなものを組織しており、会堂が地域社会の支援センターとして機能していました。そのような地域社会と最高法院との間は、「送られる者」という意味の「シャリアッハ」(「送る」という意味のヘブライ語「シャラッハ」の派生語)が運ぶ手紙によって、常に連絡が取られていたのです。「シャリアッハ」は、いくつかの宗教的機能を果たすために最高法院から任命された正式な代理人でした。

パウロが最高法院の議長である大祭司に、ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めたとき、彼は、イエスの弟子たちを逮捕し、エルサレムへ連行する権限を持つ「シャリアッハ」になりました(使徒26:12と比較)。「シャリアッハ」に相当するギリシア語が「アポストロス」で、この言葉から「使徒」を意味する英語の「アポッスル(apostle)」が派生しています。このように、イエス・キリストの使徒になる前、パウロは最高法院の使徒だったのです。

ダマスコへの途上にて

使徒言行録9:3〜9を読んでください。パウロと彼の同行者たちがダマスコに近づいたとき、思わぬことが起きました。昼頃、天から非常にまぶしい光が射し、声が聞こえてきたのです。それは預言的な意味での単なる幻ではなく、多少パウロだけに狙いを定めた神の顕現でした。パウロの同行者たちもその光を見ましたが、目が見えなくなったのは彼だけであり、同行者たちも声を聞きましたが、それを理解したのは彼だけだったからです。その光は、復活されたイエスの、神としての栄光、あの瞬間、パウロの前に個人的にあらわれた方の栄光でした(使徒22:14)。ほかの箇所でパウロは、イエスにお目にかかったことで、自分は主の復活の証人、また使徒の権威を持つ者として十二使徒と対等になった、と主張しています(Iコリ9:1、15:8)。

続いてなされたイエスとの対話は、光よりもはるかにパウロに衝撃を与えました。パウロは、ナザレのイエスに従う者たちを攻撃することによって、危険で恐ろしい異教からユダヤ教を清めるという神の働きを自分がしていると、絶対的に確信していたのです。しかしパウロが落胆したことに、イエスは生きておられたばかりか、イエスの信者を苦しめることによって、彼はイエス御自身を攻撃していたということを知らされたのでした。サウルに話しかけたとき、イエスは、ギリシアに起源があると思われる有名なことわざで、確実にパウロがよく知っていたものをお用いになりました—「とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」(使徒26:14)。動物を御すためのとげの付いた棒に逆らって動こうとする、くびきにつながれた牛をイメージしてください。そうするとき、その動物は一層痛い思いをするだけです。

このことわざは、ステファノの身に起こったことに端を発するパウロの心の中の葛藤を指していたのかもしれません。聖書はこのような葛藤を聖霊の働きと呼んでいます(ヨハ16:8〜11)。「サウロはステパノの審問と有罪の判決に当たって顕著な役割を演じたが、殉教していくステパノと共に神が臨在されたという驚くべき証拠を見て、イエスの弟子たちに反対して支持してきた主張が、果たして正しいかどうかを疑うようになった。彼の心は全く動揺していた。当惑のあまり彼は、知恵と判断において全幅の信頼を寄せていた人々に訴えてみた。ところが祭司や役人たちは議論づくで、ステパノは神を冒する者であり、この殉教した弟子が宣べ伝えていたキリストは詐欺師である、聖職につく者は正しくなければならないのだと、ついに彼を信じ込ませてしまった」(『希望への光』1398ページ、『患難から栄光へ』上巻117、118ページ)。

アナニアの訪問

サウロは、自分が話をしているのがイエス御自身だと気づいたとき、イエスが求めておられた機会を与える質問をしました。「主よ、どうしたらよいでしょうか」(使徒22:10)。この質問は、それまでの彼の行動に対する悔恨を示唆していますが、もっと重要なことに、今後、イエスに彼の人生を導いていただこうとする無条件の意思をあらわしているのです。ダマスコへ連れて行かれたサウロは、さらなる指示を待たねばなりませんでした。

聖書は使徒言行録9:10〜19で、主がタルソスのサウロを使徒パウロとしての新しい人生に備えさせるため、どのように働いていたのかを明らかにしています。幻でイエスはアナニアに、サウロのところへ行って、彼の視力を回復するために手を彼の上に置きなさい、と任務をお与えになりました。しかしアナニアは、サウロが何者であるか、またどれほど多くの兄弟姉妹が彼のゆえに苦しみ、命さえ失ってきたのかをすでに知っていました。彼はまた、サウロがなぜダマスコにいるのかという理由も十分に知っていたので、間違いなく、サウロの犠牲第1号にはなりたくない、と思っていたのです。彼がためらったのは、無理もありません。

しかしアナニアは、サウロがイエスと個人的に出会い、それによって彼の人生がすっかり変えられたことを知りませんでした。もはや最高法院のために働いてはおらず、驚いたことに、イエスのために働くよう、イエスから召されたばかりであるということを知りませんでした。イエスから召されたということは、もはやサウロが最高法院の使徒ではなく、ユダヤ人と異邦人の双方に福音を届けるためにイエスが選ばれた道具であることを意味します。

ガラテヤ1:1、11、12を読んでください。パウロはガラテヤの信徒への手紙の中で、彼のメッセージと使徒職は、イエス・キリストから直接受けたもので、人からのものでない、と主張しています。このことは、アナニアが果たした役割と必ずしも矛盾しません。アナニアはサウロを訪問したとき、サウロがダマスコへの途上でイエス御自身から直接受けていた職務を追認したにすぎません。

実際、サウロの人生における変化は非常に劇的で、人間的な要因では説明できません。最も脅迫観念に取りつかれたイエスの敵が、突然、イエスを主なる救い主として受け入れ、(確信も、評判も、経歴も)すべてを捨て去り、イエスの最も献身的で多産な使徒になった原因を説明するには、神の介入しかありません。

パウロの働きの始まり

使徒言行録9:19〜25は、パウロが回心後にほんのしばらくダマスコにとどまり、それからエルサレムへ戻ったという印象を与えます(使徒9:26)。しかしガラテヤ1:17は、彼がエルサレムへ戻る前にアラビアへ行き、どうも一定期間、そこで隠遁生活を送ったらしいことを付け加えています。「パウロは砂漠のさびしい所で、静かな研究と瞑想の時を十分に得た」(『希望への光』1403ページ、『患難から栄光へ』上巻132ページ)。

使徒言行録9:20〜25を読んでください。大祭司からの手紙を持って、パウロがエルサレムを出発したときの当初の攻撃対象は、ダマスコの諸会堂に逃げ込んだと思われるユダヤ人信者たちでした(使徒9:2)。アラビアから戻った今、彼は遂にその会堂へ行きました。信者を逮捕するためではなく、その人数を増やすために、イエスを詐欺師だと中傷するためではなく、彼をイスラエルのメシアとして紹介するためです。パウロを迫害者の1人としてしか聞いていなかった彼らが、今やイエスについてあかしする彼の話を聞いて、どのように思ったでしょうか。タルソスのサウロが何になり、彼が教会のために何をしようとしているのかを聞いて、彼らは驚く以外に何ができたでしょうか(恐らく彼らは、この新しい改宗者が最終的にもたらす影響力について、まったく見当がつきませんでした)。

パウロに反論できなかった彼の敵の中には、彼の命を奪おうと共謀する者たちもいました。この出来事に関するパウロの説明は(IIコリ11:32、33)、彼の敵が、目的を達成するために地元の当局に告発したことを示唆しています。しかし、パウロは信者の助けを得て、(たぶん、町の城壁の上に建てられた家の窓から)籠に乗って逃げることができました。

パウロは最初から、困難に直面するだろうことを知っていました(使徒9:16)。さまざまなところからの反対、迫害、苦しみが、彼の働きには付き物だったのでしょう。しかし、キリストにある新しい人生のあらゆる段階で、彼が実際に直面した困難や試練にもかかわらず(IIコリ4:8、9)、何物も彼の信仰や義務感を揺るがすことはありませんでした。

エルサレムへの帰還

ダマスコから逃れたパウロは、迫害者として出発して以来、初めてエルサレムへ戻りました。それは、彼が回心してから3年後のことで(ガラ1:18)、容易な帰還ではありませんでした。教会の内外からの問題に直面したからです。

使徒言行録9:26〜30を読んでください。エルサレムで、パウロは使徒たちに合流しようとしました。その時までに、彼はすでに3年間クリスチャンであったものの、彼の回心の知らせが信じがたいものだったので、使徒たちは、彼らの前に立ったアナニアのように、かなり懐疑的でした。彼らは、それが念入りに仕組まれた陰謀の一部ではないかと恐れたのです。使徒たちの抵抗感を取り除き、パウロを彼らに紹介したのは、キプロス島出身のレビ族、ギリシア語を話すバルナバでした(使徒4:36、37)。ひとたびパウロが本物であると気づいたなら、彼らも、神がパウロになさったことに驚いたに違いありません。

しかしこのような抵抗感は、教会を迫害したというパウロの過去の行動のせいでないとしても、少なくとも彼が宣べ伝えた福音のゆえに、すっかり消え去ることはなかったでしょう。ステファノの場合のように、使徒を含むユダヤ出身の信者たちは、キリスト教信仰の普遍的な視野—もはや旧約聖書の儀礼制度、とりわけ(十字架におけるイエスの死とともに有効性を失った)犠牲制度に基づかない信仰—を理解するのにとても手間取りました。ユダヤの教会の中で、パウロが最も親しくした人たちは、いつもギリシア語を話す信者だったことでしょう。そこにはバルナバのほかに、7人の執事の1人であったフィリポ(使徒21:8)や、やはりキプロス島出身のムナソン(同21:16)たちが含まれていました。数年後、エルサレム教会の指導者たちは、かつてステファノが説教したのと基本的に同じ教理を宣べ伝えたとして、いまだにパウロを非難することになります(同21:21)。

エルサレムでの15日間の滞在中に(ガラ1:18)、どうやらパウロは、かつて彼がけしかけてステファノに反対させた(キリスト教信仰を持たない)ユダヤ人たちに福音を伝える決心をしたようです。しかしステファノと同様、パウロの努力は強い反対に遭い、彼自身の命が脅かされました。イエスは幻で、身の安全のためにエルサレムから出て行け、とパウロにおっしゃいました(使徒22:17〜21)。兄弟たちの助けを得て、パウロはカイサリアの町の港へ下り、そこから故郷のキリキアへ渡り、そこで伝道旅行を始めるまでの数年間を過ごしたのです。

さらなる研究

「軍司令官が戦場で戦死すると、その軍隊にとって損失になるが、その死は敵の力を増大させることはない。しかし卓越した人物が敵方に加わると、彼の働きが失われるばかりか、彼が加わった側は決定的な利益を得る。タルソ人サウロはダマスコヘの途上で、神によって簡単に打ち殺されていてもよかった。そうすれば迫害する力を大いに減退させたであろう。しかし神はみ摂理によってサウロの命を助けたばかりか、彼を改心させて、敵側の戦士からキリストの側の戦士になさった」(『希望への光』1402、1403ページ、『患難から栄光へ』上巻131ページ)。

「キリストは御自分の弟子たちに、行ってすべての民に教えよ、とお命じになった。しかし、彼らがユダヤ人から先に受けていた教えが、彼らの師の言葉を理解することを難しくさせた。それゆえ彼らは、師の言葉に基づいて行動することに手間取ったのである。彼らは自分たちをアブラハムの子らと呼び、神の約束を受け継ぐ者とみなしていた。キリストの言葉の意図、つまりユダヤ人のみならず異邦人の回心のために働かねばならないことをはっきり理解できるほどに彼らの考えが広げられたのは、主の昇天から数年後のことであった」(『パウロ略伝』38ページ、英文)。

*本記事は、ブラジル・アドベンチスト大学新約聖書釈義学教授(2024年現在サザン・アドベンチスト大学教授)ウィルソン・パロスキ(英: Wilson Paroschi)著、安息日学校ガイド2018年3期『使徒言行録』からの抜粋です。

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