生ける望み【ペトロの手紙1―生ける望み】#3

目次

中心思想

イエスを受け入れることは人生のあらゆるとき、あらゆること与えてくれます。ひとり静かに瞑想するときはもちろんのたちの家族、仕事人間関係、余暇において希望を与えてくれます。クリスチャンにとって、将来は約束に満ちています。彼らは栄光に満ちた夜明けを待ち望みます。

アウトライン

  • 私たちの生ける望み(Iペテ1:3)
  • 新しい使命感
  • 私たちの受け継ぐもの(Iペテ1:4)
  • 私たちの守り(Iペテ1:5後半)
  • 私たちの務め(Iペテ1:5)

エレン・ホワイトの愛した聖句

ペテロ第1.1:3~9は、エレン・ホワイトの愛した聖句の一つです。神が彼女にこれらの聖句に含まれている約束の価値を示されたからです。彼女は何度か、これらの聖句、あるいはその一部を引用して、自分の信仰生活に失望し、迷いかけている人々を励ましています。ある場合には、ペテロの言葉に注釈を加えることなくそのまま引用し、読者自身に使徒ペテロのイエスに対する信仰と確信を味わうように求めています。

今回、私たちはこれらの聖句の一部について学びますが、そこには、「私たちが与えられた教えに従って生きるときにあずかることのできる尊い約束、大いなる希望のみなもと」があります(『原稿』81号、1908年)。今回の研究を通して、ペテロの言葉を味わい、その約束を理解し、将来に対する喜びを感じとり、私たちの生ける望みを自分のものとしてください。

私たちの生ける望み(1ペテ1:3)

神はほむべきおかた

ペテロの心は賛美で満ちあふれていました。「キリストが十字架にかけられたときけられたとき、彼ら〔弟子たち〕は主がみがえられるとは信じていなかった。主は、三日目によみがえるとはっきりお語りになっていたが、彼らは主の言われたことに当惑していた。この理解不足のために、彼らはキリストがなくなられた時、全く絶望状態になったのである」(『患難から栄光へ』上巻19ページ)。

質問1

どんな出来事によって、イエスに従う者たちの将来は変わりましたか。Iペテ1:3

「この神は私たちの主の父なる神であられるばかりでなく、私たちを新たに生まれさせてくださったおかたでもある(ヨハ3:3、7)。その目的は何か。……神の目的はつねにその結果と同じであって、その結果とは、私たちが霊的再生の奇跡によって上から生まれることによって、永遠に生きるという望みにあずかっていることである。……神が私たちのためになされることはすべて、カルバリーで苦難を受けられたのと同じからだでイエス・キリストがよみがえられたということによっており、したがってそれに依存している。もしイエスが死なれたままであったなら、『生ける望み」はない」(ランドルフ.O・イエガー『ルネッサンス新約聖書』第17巻57ページ)。

将来における不死の望み

新生の経験における賜物には、信じ、悔い改めた罪人に与えられる永遠のいのちが含まれています(ヨハ3:36、1ヨハ5:11~14参照)。キリストとの交わりは再臨において不死のからだに変えられることにおいて最高潮に達します(Iコリ15:51~54参照)。

質問2

イエスのよみがえりの前と後とでは、使徒たちの心にどんな変化が見られましたか。

「反対者たちは彼らの顔に悲しみと敗北の表情が見られるものと予期していた。ところが予想に反して、よろこびと勝利だけがみられた。彼らの顔はこの世のものではない幸福に輝いていた」(『各時代の希望』下巻383ページ)。

新しい使命感

質問3

地上におけるイエスの使命に対する使徒たちの理解は、イエスのよみがえりによってどのように変わりましたか。

弟子たちは、メシヤが地上の王国を建設し、イスラエルが全世界を支配するようになると考えていました。しかし、イエスの復活後、彼らは世の罪を負って死なれた救い主の使命を理解しました。

質問4

弟子たちはイエスの王国における自分たちの役割をどのように理解するようになりましたか。

個人的な野望は無我の奉仕に対する献身を台なしにするものです。

つまらない政治的狭量さは世界伝道の幻に変わりました。彼らはひざまずいて、生ける主が聖霊の力を自分たちに注いでくださるように祈り求めました。彼らは意見の不一致を捨て、兄弟愛のきずなで一つに結びつけられました。イエスのみこころが最大の関心となりました(『患難から栄光へ』上巻31ページ参照)。

質問5

異邦人に対する使徒たちの態度はどのように変わりましたか。この変化は彼らの働きにどんな影響を与えましたか。

偏見と頑迷さほど、神と人に仕える能力を弱めるものはありません。人を自分よりも劣った者、二流の人間と見ているうちは、傷つき悩んでいる人々の心をいやすことはできません(『各時代の希望』中巻161、162ページ参照)。

神がアブラハムとの契約を成就されたので、救いの祝福は地上の全人類に及ぶということを、ペテロはユダヤ人に教えています。

私たちの受け継ぐもの(Iベテ1:4)

ペテロはアブラハムの子、契約の子、約束を受け継ぐ者でした。ペテロの時代のユダヤ人はアブラハムの契約に含まれる約束に必ずあずかると確信していました。このことは彼と同じ時代のパウロとニコデモを見ればわかります。

パウロは次のように記しています。「もし、だれかほかの人が肉を頼みとしていると言うなら、わたしはそれをもっと頼みとしている。わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、へブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人……である」(ピリ3:4~6)。

ニコデモは、「み国が自分の現在の状態では見ることができないほどきよいものであるという思いに驚かされた。……しかし彼は、イスラエル人として生れたおかげで、自分は必ず神のみ国にはいるものと考えていた。彼は自分が変化する必要があると思わなかった」(『各時代の希望』上巻200ページ)。

質問6

キリストにあって新しく生まれ変わった者はみな何を受け継ぎますか。Iペテ1:4

イエスの弟子たちが抱いていたこの世の野望は、「よりよい国」を求める切実な願望に変わります。ペテロは自分の受け継ぐべき天国を、「朽ちず汚れず、しぼむことのない資産」と表現しています。

そこには死も衰弱もありません。罪もありません。汚れはイエスの再臨において滅ぼされています。そこには醜悪なものはなく、美しいものも色あせることがありません。永遠の若さがみじめな老化に取って代わり、永遠の春が衰えゆく秋の美と荒涼とした冬の厳しさに取って代わります。

質問7

私たちはどんな意味においてキリストの共同相続人ですか。ロマ8:17

理解を越えた奥義

アブラハムに約束された子孫として、イエスは神がアブラハムとのあいだに結ばれた契約の約束を成就されました(創世15:1~6、17:1~8参照)。イエスは今、この約束を私たちにも与えてくださいます。私たちはイエスを自分の救い主として受け入れるとき、神によって子たる身分を授けられるのです(ロマ8:15)。神の子となった私たちは相続人となります(ロマ8:17)。そして、イエスの持っておられる富と喜びにあずかる者となります。なぜなら、私たちは今やイエスの共同相続人であるからです。

私たちの守り(1ペテ1:5後半)

質問8

神はどのようにして地上の子らにご自分の愛を示されますか。1ペテ1:5後半、詩34:7

欽定訳で「守られている」と訳されているギリシャ語は、改訂標準訳では「保護されている」と、また新国際訳では「盾によって守られている」となっています。それは、軍隊によって保護または防御するという意味を持った軍事用語です。

「あがなわれた者はだれでも、自分の一生における天使たちの奉仕を理解するであろう。生まれたときからわれわれを守ってくれた天使、われわれの歩みを見守り、危険の日にわれわれの頭上をおおってくれた天使、死の陰の谷にあってわれわれとともにいた天使、われわれの最後のいこいの場所に目をとめていてくれた天使、よみがえりの朝まつさきに迎えてくれる天使一この天使と語らい、自分の一生における神の摂理と人類のためのあらゆる働きにおける天の協力について話を聞くことはどんなにすばらしいことであろう」(『教育」356ページ)。

質問9

守護天使のほかに、神は私たちを守るためにどんな方法を備えておられますか。詩119:11

神のみことばには生命を与える力、保護する力があります。聖霊はみことばを用いて私たちを悪から守ってくださいます。イエスは誘惑者に会われたとき、みことばの力に頼られました(マタ4:4、7、10)。悪魔はみことばによって日ごとにイエスと交わる者の心に侵入することができません。

質問10

悪の力が私たちに勝利することができないことに関して、どんな保証が与えられていますか。マタ16:18(イザ26:20、21比較)

「主の忠実なしもべたちは偽りの教師たちから厳しい迫害を受けるであろう。これら偽りの教師たちは神のみことばに耳を傾けず、神に従う者たちの道につまずきの石を置く。しかし、神の民は恐れるには及ばない。サタンはそれ以上のことをすることができない。主はご自分の民を守ってくださる。主は真理のゆえにご自分のしもべたちになされた妨害を、ご自身になされたものとみなされる」(『マラナタ』191ページ)。

私たちの務め(Iペテ1:5)

質問11

神は私たちを守ってくださいますが、私たちの側にもどんなことが要求されていますか。Iペテ1:5

「もし私たちが生けるキリストに対する信仰によって生きるなら、この強力な守りは私たちのものとなる。信仰はキリストの弟子となるうえで絶対に欠かすことのできないものである。私たちがキリストのもとに来るのは信仰によってであり、日ごとにキリストのために生きるのも信仰によってである(ガラ3:11)。パウロは、信仰のたてを用いて悪しき者の放つ火の矢を消すようにと教えている(エペ6:16)。

このたてを用いる鍵は、私たち自身の力ではなく神の力によってそうすることにある。イエスの約束は、私たちが聖霊を受けるとき神の力をも受けるということである(使徒1:8)。使徒行伝は神の力によって生きた初代教会の兄弟姉妹たちについてのすばらしい注解である」(ポール。A・シーダー「コミュニケーターズ・コメンタリー』ヤコブ、ペテロ、ユダ、116ページ)。

質問12

神はあらかじめ、「終りの時」に啓示するために何を用意しておられましたか。1ペテ1:5(マタ24:30、31、Ⅱテサ1:7比較)

ペテロはキリストの再臨について語っています。神と神の民の敵は滅ぼされます(黙示6:14~17)。恩恵期間の終了する前に印を押された生ける聖徒たちは、復活した義人と共に天国に移されます(黙示7:1~3、15~17、14:1~5、Iテサ4:16~18参照)。

地球最後の光景

「神が、ご自分の民を救うためにその力をあらわされるのは、真夜中である。太陽がその力強い光を放って現われる。しるしと不思議とがあとからあとから現われる。悪人たちはこの光景を、恐れと驚きとをもってながめる。一方義人たちは、自分たちの救いの前兆を厳粛な喜びで迎える。自然界の万物は、それぞれの軌道からはずれたように見える。川の流れは止まる。黒い厚い雲が現われて、互いに衝突する。この怒ったような天の真ん中に、一か所言うに言われぬ栄光に満ちた澄んだ空間があって、そこから神のみ声が、多くの水の音のように聞こえてきて、『事はすでに成った』と告げるのである(黙示録16:17)」(『各時代の大争闘』下巻414ページ)。

まとめ

今回、学んだペテロの言葉は励ましと確信に満ちています。これらの言葉を信仰によって受け入れるとき、私たちの人生は希望と喜びに満ちたものになります。イエスのよみがえりは私たちに新たな生ける望みを与えてくれます。私たちは永遠の嗣業を約束されています。神は私たちを愛し、敵の手から守ってくださいます。人生においてさまざまな問題に直面するときにも、神は私たちをかたく立たせてくださいます。「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神」。

*本記事は、安息日学校ガイド1992年3期『ペトロの第一の手紙 生ける望み』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
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