信仰の勝利【ペトロの手紙1―生ける望み】#4

目次

中心思想

神の民の信仰は試練によってきよめられ、その救いにおいて最高点に達します。預言者たちも御使いたちも、神の救いの計画を理解したいと切に願っていました。

アウトライン

  • 真の信仰(Iペテ1:6、7)
  • 見ないで信じる信仰(Iペテ1:8)
  • 信仰の結果(Iペテ1:9)
  • 預言者たちの信仰(1ペテ1:10、11)
  • 預言者はだれのために働いたか(1ペテ1:12)

ためされた信仰

ダビデはイスラエルの神の御名によってゴリアテと戦いました。そのとき彼が用いたのはつえと石投げでした。サウル王は心配しましたが、ダビデには神が自分の石投げを用いてくださるという信仰がありました。彼はあらゆる略奪者の手から父の羊の群れを守ってきました。彼は多くの危険や死との対面を通して、神の愛による守りと自分の石投げの効力を体験していました。ダビデの信仰は試みと試練の産物でした。

前回は、父なる神がいかにして使徒たちに生ける望みを与えられたかについて、また神がいかにしてご自分の子らを守られるかについて学びました(Iペテ1:3~5)。今回は、私たちの信仰の試練がイエスの栄光と私たちの魂の救いにつながるということを学びます(Iペテ1:6~9)。さらにまた、預言者たちが聖霊の導きによって人間を罪からあがなう神の計画について記したとき、彼らも自分の記したことの意味をすべて完全に理解していたわけではないことを学びます(1ペテ1:10~12)。

真の信仰(Iペテ1:6、7)

クリスチャンの歩む道が危険と困難に満ちていることを、ペテロは知っていました。ある有名な説教者が次のように言ったことがあります。「もしあなたが神の国を第一に求めるなら、悩みに会うであろう。しかし、もしほかの何かを第一に求めるなら、悩み以外の何ものにもあわないであろう」(チャールズ.S・ボール「ペテロの第1.第Ⅱの手紙」『ウエスレー聖書注解』第6巻252ページ)。

質問1

ペテロの手紙の読者はどんな喜びにあずかりますか。Iペテ1:6

「あなたがたは大いに喜んでいる」という言葉は、それに先行すべてのことを含んでいます。すなわち、クリスチャンは次のことのゆえに喜んでいます。(1)イエスのよみがえりによって与えられた生ける望み(2)彼らのために天国にたくわえられている資産(3)神が彼らを守ってくださるという知識

質問2

信仰はどのようにして純粋で強力なものとなりますか。Iペテ1:7

「金よりもはるかに尊い信仰は、地上の鉱山からではなく、天から出るものである。信仰は人の試練というるつぼの中で精練される。信仰は人間に対する神の賜物である。信仰の価値を決定するのは人間ではなく神であって、神は人間の信仰の目標がその救いにあることを啓示される(サイモン・J・キスタメイカー「ペテロの手紙およびユダの手紙解説」『新約聖書注解」48ページ)。

質問3

終わりの時代の教会は主から何を受けるように求められていますか。黙示3:18

「火で精錬された金」とは、試練によってためされた信仰のことです。

「サタンの攻撃は強烈で、その欺瞞(ぎまん)は陰険である。しかし主の目は、神の民を見ている。彼らの苦難ははなはだしく、炉の火は今にも彼らを焼きつくすかのように思われる。しかしイエスは、彼らを火で練られた金のように取り出される。彼らは、世俗的なところが取り去られて、キリストのかたちを完全に表すようになるのである」(『国と指導者』下巻195ページ)。

見ないで信じる信仰(Iペテ1:8)

質問4

イエスを見たことがなくても、人々はどのようにしてイエスを信じ、愛するようになりますか(Iペテ1:8)。ヨハ14:16―20、16:14

ペテロの手紙の読者は、ぺテロのようにキリストと交わった経験がありませんでした。「イエス・キリストの現われるとき」に生ける主にお会いするという期待によけられてはいましたが(Iペテ1:7)、彼らはまだイエスを見たことがありませんでした。それにもかかわらず、彼らは心からイエスを愛し、「言葉につくせない、輝きにみちた喜び輝きにみちた喜び」をもって主との交わりを楽しんでいました(1ペテ1:8)。なぜでしょうか。彼らが聖霊の働きによってキリストの臨在と力を体験していたからです。聖霊が信じる者の心に臨在されるということは、キリストが臨在されるということです(ヨハ14:18)。聖霊はキリストの品性と慈愛について教えてくださいます。

質問5

トマスの経験は、1ペテロ1:8の要点をどのように例示していますか。ヨハ20:24~29

トマスはイエスのよみがえりについての証拠を与えられていました(ヨハ20:18、マタ28:9、10、ルカ24:34参照)。しかし、トマスは自分の目でイエスを見、それが本当に十字架につけられた主であることを確認するまでは、信じようとしませんでした(ヨハ20:25)。私たちはトマスの不信仰を責めますが、彼の態度は実は福音書に記されたほかの使徒たちの態度をそのまま表しているのです。

たとえば、女たちがよみがえられた主との出会いについて話したとき、使徒たちはそのことを愚かな話とみなしています(ルカ24:11)。彼らは聞いたことを自分の目で確かめるまでは信じませんでした。同じように、エマオの弟子たちも女たちの話を聞いていましたが(ルカ24:22、23)、イエスがご自身を明らかにされるまでは、女たちの話を疑っていました(21、25節)。彼らはイエスから教えられて初めて信じました(32~35節)。

どのようなかたちであれ、イエスを信じる者たちを、イエスは受け入れてくださいます。彼はトマスに対しても兄弟たちのあかしを信じるように望んでおられました。「見ないで信ずる者は、さいわいである」(ヨハ20:29)。

信仰の結果(Iペテ1:9)

質問6

見たことのないおかたを信じることによって最終的に何が与えられますか。Iペテ1:9

ペテロが述べている主題の一つはキリストの再臨です。信仰は再臨において実を結びます。ペテロがすでに読者に語っているように、彼らは「終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られている」のです(Iペテ1:5―7節比較)。これは新約聖書によく見られる主題です(Ⅱテモ4:7、ヘブ11:13~16、39、40、ヤコ2:5参照)。

質問7

私たちが「信仰の結果なるたましいの救」を今、経験しているのはどんな意味においてですか(Iペテ1:9)。

新国際訳は1ペテロ1:19のギリシア語を正確に訳しています。「あなたがたは信仰の目標である、たましいの救いを受けているからである」。私たちが現在、救いの祝福にあずかっているのは、信仰によってイエスの救いの恵みを受けているからです。「神は……わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」(Iペテ1:3)。イエスは現在ある王国について語られました。「神の国はすでにあなたがたのところにきたのである」(マタ12:28)。「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ17:21)。恵みの王国とは、つまりキリストが聖霊の臨在によって心を支配されるということです(エペ3:16、17)。彼らにとって、永遠のいのちの祝福は始まっているのです(ヨハ3:36、1ヨハ5:11~13)。

私たちの信仰の最終的な目標は、永遠の、天にある栄光の王国です。私たちはそこで、「朽ちず汚れず、しぼむことのない資産」を受け継ぐのです(Iペテ1:4)。イエスは、「わたしの国はこの世のものではない」と言われました(ヨハ18:36)。何という喜ばしい逆説でしょう。キリストの王国は私たちの心の中にありますが、それはなお将来のことです。私たちは今、救いの喜びをますが、最終的な救いの喜び、すなわち「からだのあがなわれること」を待ち望んでいます(ロマ8:23)。

預言者たちの信仰(Iペテ:10、11)

質問8

霊感を受けた預言者と私たちとのあいだにはどんな共通点がありますか。Iペテ1:10

知識の探求

神の奥義に対する預言者の探求心を理解するためには、次のことを心にとめる必要があります。

(1).神はご自分の民との連絡係であった預言者一人ひとりに対して、ご自分の計画の詳細を啓示されたわけではありません。むしろ、詳細はさまざまな預言者を通して与えられたのです。

ダニエルはエレミヤの預言を研究することによって(ダニ9:2)、神がユダヤの捕囚民をバビロンから帰還させようとしておられる時期を悟ったのです。

(2).預言者はいつでも、自分が幻によって与えられ、書き記すように言われたことがらの意味を完全に理解したわけではありません。

「聖霊の特別の光に浴した預言者たちでさえ、自分たちにゆだねられた啓示の意味を、完全に理解してはいなかった。その意味は、神の民が、そこに含まれている教えを必要とするにしたがって、代々にわたって示されるのであった」(『各時代の大争闘』下巻36ページ)。

このように、預言者も私たちと全く同じように、神のみこころと救いの計画を理解するために聖書を調べなければなりませんでした。

質問9

預言者たちは神の計画のどんな点について、とくに理解しようとしましたか。Iペテ1:11

フィリップス訳では、この聖句は次のように訳されています。「彼らは、自分たちのうちに働いているキリストの霊がいつの時、またどんな場合をさして言われたのかを熱心に調べた。御霊がキリストの苦難とそれにつづく栄光とを予告しておられたからである」。

第一に、預言者たちはメシヤの苦難と栄化がどのようなものであるかを調べました。第二に、ペテロによれば、預言者たちはメシヤがいつ苦難を受け、いつ栄化されるのかを知ろうとしました。来たるべきメシヤについての預言を読むことができ、また同時に福音書の中にそれらの預言の成就を見ることのできる現代の私たちは、何と恵まれていることでしょう。

預言者はだれのために働いたか(Iペテ1:12)

質問10

預言者はだれのために書いたと言われていますか。Iペテ1:12

預言者はある程度まで、自分たちの書いたことを理解しました。しかし、各自の理解には隔たりがあったので、それぞれ自分の書いたものと、ほかの預言者の書いたものとを調べることによって、その隔たりを埋めようとしました(ダニ8、9章比較)。

質問11

ダニエルが幻の中で示されたことの意味について御使いにたずねたとき、御使いは何と答えましたか。ダニ12:9、10、13

ダニエルは啓示を受けたのち、ただ幻を書き記すだけで満足するように言われています。幻の意味を理解することは彼にとって必要ではありませんでした。それを理解することは後世の人々の特権となるのでした。

質問12

御使いがダニエルに言った「定められた日の終りに立って、あなたの分を受ける」という言葉は何を意味していますか(ダニ12:13)。黙示10章を同14:6~12と比較

「七つの雷がおのおのその声を発したあとで、ダニエルの場合と同じくヨハネにも小さな巻物に関して命令が与えられた。『七つの雷の語ったことを封印せよ』(黙示録10:3、4)それらは将来の出来事に関する者であって、その順に明らかにされるのである。ダニエルは定められた日の終りに立って、彼の分を受けるであろう。ヨハネは小さな巻物の封印が解かれるのを見る。そのとき、ダニエルの預言は世に与えられるべき第1、第2、第3天使の使命においてその成就を見るのである」(「SDA聖書注解』第7巻971ページ、エレン.G・ホワイト注)。

質問13

預言者と人間のほかに、だれが罪人をあがなう神の計画をもっと深く理解したいと願っていますか。Iペテ1:12後半

まとめ

ペテロはその手紙の前半において、霊感と啓示の担い手としての聖霊の役割について述べています。この聖霊の働きによって、天への確かな指導書である聖書が与えられているのです。聖霊の感動によって与えられたこの聖書のおかげで、私たちは救いの計画における聖霊ご自身の役割について、また父なる神と御子の役割について理解することができます。これは御使いたちもうかがい見たいと望んでいる奥義です。

*本記事は、安息日学校ガイド1992年3期『ペトロの第一の手紙 生ける望み』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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