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ひと昔前の話ですが、カイロと名乗る霊媒が『レビュー・オブ・レビューズ』誌の編集長W・T・スティード氏に対して、1912年の4月中は船で旅行をしないようにと警告したことがあります。スティード氏は1912年4月、タイタニック号で遭難死しました。1961年の夏、霊媒のジーン・ディクソン氏が、国連の事務総長ダグ・ハマーショルド氏が「9月半ばの航空機事故で」死ぬ、と予言しました。事務総長は1961年9月18日の航空機事故で亡くなりました。
このことは何を意味するのでしょうか。単に、サタンが確かに予言をし、その通りに実現することができるということに過ぎません。ただそれだけのことです。
聖書には、霊媒による予言とは異なり、たとえばダニエル書2章に描かれたネブカドネツァルの夢のように、何百年、何千年も前から国々の運命について述べた預言が記されています。この夢やダニエルの霊感による説明などは、聖書の霊感についての主要な証拠の一つです。ダニエルは約180のヘブライ語を用いて、将来の歴史を描写し、それによって神の民に慰めを与えています。彼は、世界の諸帝国が滅びた後に、神の王国が興り、永遠に至ると述べています。
今回は、この力強い、信仰を鼓舞する預言についてもう一度学びます。
ネブカドネツァルの苦悩(ダニエル2:1―13)
問1
ある晩、ネブカドネツァル王は印象的な夢を見ました。王は目覚めると、賢者たちを呼び寄せ、どういう要求をしましたか。ダニ2:5
英語欽定訳聖書は、70人訳聖書(旧約聖書のギリシア語訳)に従って、王の最初の言葉(ダニ2:5)を、「そのことは私から去った」と訳しています。これは一般的には、王が夢を忘れたことを意味すると理解されています。近代の翻訳は、アラム語の写本に従って、それを「私の決意は固い」(新欽定訳)と訳しています。どちらの翻訳も正しいかもしれません。夢の一部を忘れたとき、王はそのことを利用して賢者を試そうとしたのです。もし夢を完全に忘れたのなら、わざわざ夢のことで悩むことはなかったはずです。
「ネブカドネツァルにこの夢を与え、その詳細を忘れる一方で、恐ろしい印象だけを心に残したのは、賢明な目的を持った主の摂理によるものであった。主はバビロンの賢者たちの見せかけを暴露しようと望まれた」
(エレン・G・ホワイト『ユースズ・インストラクター』1903年9月1日)。ネブカドネツァル王は夢の意味に恐れを抱いたのでしょう。バビロンの
賢者が役に立たないのに立腹した王は、彼らをひとり残らず殺すように命令します。これは単なる脅しではありませんでした。敵の体を切り刻み、その家を焼くことは、古代メソポタミアでは普通に行われていたことでした。
問2
賢者たちはどんな事実を認めざるを得ませんでしたか。ダニ2:11
王の夢を告げることのできなかったバビロンの賢者たちは、「人間と住まいを共になさらぬ」神々だけが王の夢を告げることができることを認めざるを得ませんでした。バビロニア人にとって、神々がやって来て、人間として住むなどということはとても考えられないことでした。クリスチャンは、神が実際に「肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハ1:14)ことを知っています。バビロンの賢者たちが自らの無力さを暴露したことによって、ダニエルが自分の仕える神について驚くべきことを啓示するこの上ない機会が訪れます。
ダニエルの祈祷会(ダニ2:14~23)
問3
王の死刑宣告を聞くと、ダニエルと友人たちはどうしましたか。ダニ2:17、18
ダニエルと友人たちはここで最初の死の脅威に直面します。ダニエル書全体を通じて、神の民は死の脅威に直面しています。このことは終わりの時代に住むクリスチャンにとって特別な意味を持ちます。彼らも死の脅威に直面しなければならないからです(黙13:13~18参照)。
その日、ダニエルと友人たちが行った祈祷会は真剣そのものだったでしょう。彼らの命がかかっていたからです。しかし、彼らは確信をもって神に近づくことができました。この時点まで、最善を尽くして神に仕えてきたからです。神が夜の幻によってダニエルにネブカドネツァルの夢の内容を啓示された後も、彼らは祈りました。それは賛美と感謝の祈りでした。
問4
この祈りから、ダニエルが神の力についてどんなことを理解していたことがわかりますか。ダニ2:20~23
ダニエルの祈りは、「神の御名をたたえよ」という言葉で始まっています。旧約聖書の中で、人々はよく主をたたえています(士師5:9、ネヘ9:5、詩編103:1、134:1)。
ダニエルの賛美の祈りは、歴史を支配しておられる神がおられることを強調しています。神は天の星ばかりでなく、人間の歴史をも支配しておられます。この神はまた、御自分の声に耳を傾ける人々と親しく交わられるお方です。神は巨像の夢を通してネブカドネツァルに、御自分が天においてだけでなく地においてもその権威を行使されることを啓示されたのでした。
問5
ダニエルはバビロンの知者たちのためにどのような願いをしましたか。また、王に対してこの秘密を表されたのはだれだと言っていますか。ダニ2:24~28
ダニエルの第一の関心がバビロンの知者たちにあったことに注意してください。彼らの死刑執行が停止になったのは、彼らの功績ではありませんでした。それにもかかわらず、彼らが救われたのは、彼らのうちに一人の義人がいたからです。このような例はほかにも記録されています。ローマに向かう途中、パウロが乗船していたお陰で、ほかのすべての船客が救われました(使徒27:24)。それゆえ、イエスは神の民を「地の塩」(マタ5:13)と呼んでおられます。ダニエルの生涯に例示されているように、神の民には保存能力があるからです。悪い行いが周囲に悪い影響を及ぼすように、良い行いは良い影響を及ぼします。
知者たちの命乞いをした後で、ダニエルは王の前に立ち、バビロンの知者もその神々も王の要求に応えることができないこと、また秘密を明かすことのできる神が天におられることを告げます。ダニエルは王の前で自分の神を告白することを恥ずかしいとも恐ろしいとも思いませんでした。彼はまた、自分が王に告げようとしていることが自分の優れた知恵や知識によるものであるとは言っていません。むしろ、この啓示と解釈がひとえに神によるものであると言っています。ダニエルは自分と神との関係が完全な信頼関係にあることをはっきりと理解していたようです。救いは神との完全な信頼関係を通して与えられます。私たちが自分の置かれている状態、窮状、無力さを理解するときにのみ、自分が全く神に依存していることを悟るのです。
罪人である私たちは命の源である神から完全に切り離されています。しかし、神であり人であられたイエスを通して、私たちはこの命の源に回復されています。神であり、人であられたお方、しかも単に人であるばかりでなく、罪のない人、永遠にして不変の神の律法を完全に守られた人なるお方だけが、天と地の間にある淵を埋めることがおできになります。このお方だけが私たちの決して解決することのできない問題、つまり死の問題を解決することがおできになります。
夢とその解釈(ダニ2:28~45)
ダニエルは「後の日」(ダニ2:28)と言っていますが、旧約聖書を研究すると、「将来」の慣用句であるこの言葉は次のような意味を持つことがわかります。(1)イスラエルの歴史における将来の特定の時期(申4:30)、
(2)カナン征服(創49:1)または君主制(民24:14)をもって始まるイスラエルの将来の歴史、(3)メシアの時代(イザ2:2、ホセ3:5)またはそれに先立つ時代(エゼ38:16)。したがって、大部分の現代訳聖書はこの言葉を「来るべき日」(創49:1、新米標準訳)、「来るべき時」(申31:29、新改訂標準訳)、あるいは「後の日」(申4:30、新国際訳)と訳しています。
以上のことから、ダニエル書2章の「後の日」は、ダニエルの時代に始まり、石の王国によって象徴されるキリストの再臨に至るまでの将来を指すことがわかります。
問6
巨像は何を象徴していましたか。ダニ2:31~45
純金の頭は38節にあるように明らかにバビロン王国(前626~539)です。歴史上の事実から、バビロンに続くほかの3つの王国は、メド・ペルシア(前539~331)、ギリシア(前331~168)、ローマ(前168~紀元476)です。ローマ帝国は、ほかの3つの帝国を合わせたよりも長いあいだ支配していますが、第5の世界帝国によって継承されることなく、鉄と陶土の足によって象徴される多様な王国に分裂します。預言にある通りです。これらは現代のヨーロッパを構成する諸国家にほかなりません。それらは今日に至るまで独立した民族的、政治的国家として存続しています。
問7
巨像を打ち砕いた石は、何を象徴しますか。ダニ2:34、44
聖書によれば、この石はイエス・キリストを象徴します(イザ28:16、Ⅰコリ10:4、ルカ20:17、18)。このキリストは再臨においてほかのすべての王国を滅ぼし、永遠の王国を打ち立てられます。ダニエル書2:35に用いられている表現に注目してください。預言によれば、これらの王国は改造、更新、回復されるのではありません。それらは完全に砕かれ、もみ殻のようになり、吹き払われるのです。
問8
ダニエルが夢について説明したとき、ネブカドネツァルはどのように反応しましたか。ダニ2:46
ダニエルの夢の説明を聞いたとき、ネブカドネツァル王は自分の夢が超自然的な力によって与えられたものであることを確信します。彼は、ダニエルの神が宇宙の支配者であることを認めます。彼はまた世界の歴史に占める自分の位置を悟り、自分の権威がその与え主である神の支配下にあることを理解します(46、47節)。
王がダニエルの前にひれ伏した(46節)のは、東洋の慣習によるものでした。パウロを神とみなしたリカオニア人やマルタ島の住民と同じように(使徒14:11、28:6)、王はダニエルをある種の神として礼拝しようとしました。パウロが礼拝されることを拒んだように、ダニエルもそのような礼拝を受け入れなかったはずです(彼がどのように応答したかは書かれていません)。しかし、王はダニエルをバビロン州の総督、またすべての知者の長官に任命します。この昇進において、ダニエルはイエスの教えられた原則を体験したのでした。「持っている人は更に与えられて豊かになる」
(マタ13:12)。
ダニエルは自分だけの名誉を求めませんでした。勝利の時にも、彼は一緒に祈った仲間たちのことを忘れませんでした。自分の地位が決定すると、彼は3人の友人たちを同じバビロン州の行政官に任命するように王に要請します。表面的には、これは大した問題でないように見えますが、これら新任のユダヤ人のために何人かのバビロニア人が自分の地位を譲らねばならなかった事実を忘れてはなりません。神の摂理によって、ダニエルの祈りにあずかった人たちが今、ダニエルの昇進にあずかります。ヨセフの物語に出てくる給仕役の長とは異なり(創40:23)、ダニエルは自分の友人たちを忘れませんでした。
神はダニエルを、その捕囚とネブカドネツァルの夢を用いて、バビロンの有力な人物にされました。ヨセフもエジプトで同じような経験をしています(創50:20)。両者の経験は、「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」(ロマ8:28)という聖書の原則の実例です。
まとめ
「王は神の力を認めてダニエルに言った、『まことに、あなたがたの神は神々の神、王たちの主であって、秘密をあらわされるかただ(』ダニ2:47)。その後しばらくの間、ネブカデネザルは神に対する畏敬の念を抱いていた。しかし彼の心はまだ、世俗的野心と自己称揚の願望を捨て切っていなかった。その治世の繁栄に、彼の心はおごり高ぶった。やがて彼は神を崇めることをやめ、ますます熱心さと頑なさをもって、偶像礼拝に逆もどりしてしまった」(『国と指導者』下巻112、113ページ)。
ダニエル書2章からの教訓
- ダニエル書2章の預言が歴史において正確に実現したことは、聖書の霊感についての確かな証拠です。
- ダニエル書2章の預言は、この地上のすべてのもの、すべての人が、もし神とつながっていないなら、最後には滅びることをはっきりと教えています。
- 歴史家はしばしば、「歴史が教えることは、歴史から学ぶべきことは何もないということである」と言います。しかし、クリスチャンはそのようには考えません。歴史はまさに、大争闘を終わらせるために御自身の最後の計画を遂行しておられる神についての記録です。キリストは、愚かな小作人のために御自分の家が没落するのを見過ごしにする不在地主のようなお方ではありません。歴史を正しく研究するなら、宇宙を支配しておられる神が原子をも導いておられることを悟るようになります。
*本記事は、安息日学校ガイド2004年1期『ダニエル書 ダニエルに学ぶゆるぎない祈り、忍耐、愛』からの抜粋です。