燃え盛る炉【ダニエル—ダニエルに学ぶゆるぎない祈り、忍耐、愛】#3

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スミルナの司教ポリュカルポスが裁判所に引き出されたとき、総督は言いました。「皇帝の名において誓え。……そうすれば、お前を自由にしてやる。キリストを呪え」。

ポリュカルポスは答えました。「私は86年間、キリストに仕えてきましたが、キリストは私に何も悪いことをされませんでした。どうして、私を救ってくださった王のことを悪く言うことができるでしょうか」。

総督は言いました。「もし悔い改めないなら、お前は猛獣の餌食だぞ」。ポリュカルポスは答えました。「かまいません」。彼は決してひるむこと

なく、殉教の死を遂げました(エロン・フォスター『説教のための6000の例話集』273ページより、1956年)。

今回は、このポリュカルポスのように信仰と礼拝について試された3人のヘブライの青年たちについて学びます。この世における最初の戦いは礼拝をめぐるものでした(創4:4~8、Ⅰヨハ3:12)。最後の戦いもそうです(黙14:9~12)。とするなら、この問題に含まれる争点を理解することはきわめて重要なことです。

金の像(ダニ3:1~7)

ダニエル書2章の幻の後、しばらくの間は、ネブカドネツァルも神への畏れを抱いていたようです。しかしながら、自らの統治にともなう繁栄の結果、彼は高慢になり、やがて偶像礼拝を復活させます。彼は夢の中で見た像を再現しようとします。しかし、それはすべて金でできたものでなければなりません。永遠にして不滅のバビロン王国を象徴するものだからです。

問1

王が金の像を造ることは、どんな意味で、ダニエルの預言に対する冒とく行為でしたか。ダニ2:34、35

ダニエル書3章の事件がいつ起こったのかは明記されていませんが、おそらく同2章の幻(前603)からしばらくたった頃のことでしょう。考えられる年代は、ユダの王ゼデキヤが金の像の除幕式に関連してバビロンに呼び出された(エレ51:59)紀元前594年です。

問2

ネブカドネツァル王が帝国内の高官を集めて、金の像を礼拝させようとしたのは何のためでしたか。ダニ3:4~6

古代の王たちはつねに内乱の危険に直面していました。この章に見られるように、公の場ですべての高官に忠誠を誓わせることは彼らを協力させる上で有効な方法でした。像の前にひれ伏して拝む行為は、少なくとも外面的には、王自身に対する服従と忠誠を表していました。

偶像を拝まない者に対する死刑宣告は厳格すぎるように見えますが、絶対君主というものはいつの時代でも自らの権威に逆らう者を容赦しないものです。ネブカドネツァル王も自らの権威を侮る者を赦しませんでした。高官たちもそのことをよく知っていました。燃え盛る炉も決して無意味な脅しではありませんでした。事実、エレミヤ書29:22には、ネブカドネツァル王がユダヤ人のゼデキヤとアハブを焼き殺したことが記されています。このことは3人のヘブライ人の態度をいっそうきわだたせています。

王に逆らった三人のヘブライ人(ダニエル3:8―18)

問3

ダニエルの友人たちが像を拝むことを拒否している、と王に報告したのはだれですか(ダニ3:8)。彼らが王に報告したのはどんな動機からだと思われますか。

たぶん群衆があまりにも多かったので、王は立ったままの3人のヘブライ人の姿が見えなかったのでしょう。そのことを王に知らせたカルデア人たちはこれらのヘブライ人に与えられた名誉をねたましく思っていたに違いありません。彼らはこの機会を逃しませんでした。

問4

ダニエル書3章の像と黙示録13:11~18の像との間には、どんな関連がありますか。

預言によれば、終わりの時代になると、宗教的な統一を強制するためにもう一つの像が打ち立てられます。「獣とその像」を拝むことを拒むすべての人に対して、経済的な排斥運動が起こり、最終的には死刑宣告が発布されます。また、どちらの章においても、サタンに支配された人間を象徴する数字の6が目立ちます(ダニ3:1参照)。ダニエル書は6回、古代バビロン人による金の像の礼拝に言及しています(ダニ3:5、7、10、12、14、18参照)。黙示録も6回、獣とその像を拝むことに関して警告を与えています(黙13:15、14:9、11、16:2、19:20、20:4参照)。

ドラの平野に、すべての階級の高官たちが集まりました。像の除幕式はネブカドネツァルの権威と力を崇め拝する行為でした。3人のヘブライ人はこれを拒みました。この出来事は国家と宗教との密接な結合を例示しています。事実、この種の結合は歴史上のほとんどの国家に共通して見られるものです。可能な限り宗教的な問題とかかわりを持たない非宗教的な国家という思想は、最近になって現れた現象です。

王と3人のヘブライの青年たちとの対話は、聖書に記されている対話の中でも特に注目を引くものの一つです。専制的な王と、宇宙の神に対する信仰のゆえに王の命令を拒否する3人の青年たち。何という光景でしょうか。

厳しい試練(ダニ3:16~23)

問5

王の脅迫に対するヘブライの若者たちの応答の中で鍵となる言葉は何ですか。ダニ3:16~18

ダニエル書全体を通して現れる重要な言葉は「救う」です。ネブカドネツァルが3人のヘブライ人に、「お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか」と言ったとき、彼らは、自分たちの仕える神が「救うことができます」と答えています(ダニ3:15、17)。燃え盛る炉の奇跡の後で、王は、「まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない」と告白しています(29節)。また、ダニエル書6章におけるダニエルの経験は、彼の仕える神が御自分の民を「救うことができる」ことを例示しています。さらに、最後の12章には、大天使長ミカエルが立ち上がって、命の書に記された人たちをみな救ってくださると書かれています(ダニ12:1)。

問6

3人のヘブライ人が金の像を拝むことに関して妥協しなかったのはなぜですか。出20:3~5

問7

マタイ10:28を読んでください。この聖句はどんなことを教えていますか。

王の怒りを目の当たりにしても、3人の若者たちはひれ伏すことも、譲歩することもありませんでした。良心の許す限り、彼らはネブカドネツァルに従いました。彼らはドラの平野までは行きましたが、良心の声に逆らって、ほかの礼拝者と共にひれ伏すことを拒みました。「人間に従うよりも、神に従」うべきことを知っていたからです(使徒5:29)。たとえ神が救ってくださらなくても、彼らは偶像礼拝を禁じる神の律法に背くことを拒みました。

同じように応答したクリスチャンはこれまでにもたくさんいます。ジョン・フォックスの『殉教者列伝』には、神への信仰のゆえに殉教の死を遂げた数多くのクリスチャンの生涯が記録されています。

神の子のような者(ダニエル3:24、25)

問8

ダニエル書3:14、15を注意深く読んでください。王は3人の青年に15節の終わりにある質問をしています。それはどのような質問で、どのように答えられましたか。

王は、お前たちを救い出す神はだれか、と尋ねています。それは、王が(ダニエル書2章で)「神々の神、すべての王の主」(47節)と告白しているのと同じ神でした。しかし、王はいとも簡単にそのことを忘れてしまっていました。このような例は聖書にしばしば見受けられます。神は目覚ましい方法で御自身の力を現されますが、人々はすぐにそのことを忘れてしまいます。

問9

ダニエル書3:25の「神の子」という言葉はネブカドネツァルにとって何を意味しましたか。彼は「4人目の者」の正体を理解していましたか。

「神々の子」というヘブライ語は単に超人的な存在を意味します。28節にあるように、ネブカドネツァルは4人目の者を御使いであると考えたようですが、聖書を見る限り、彼が4人目の者の正体を正しく理解していたかどうかは不明です。

クリスチャンはもちろん、神の子をイエス・キリスト御自身であると理解しています(マタ8:29、ロマ1:4、ヘブ7:3、Ⅰヨハ3:8)。これはいわば、キリストに従う人々が終わりの時に与えられる死に対する全面的な勝利の前触れです。キリストはかつて、これら3人の青年たちをめざましい方法で救い出されました。そして、終わりの時、再臨において、キリストはさらにめざましい方法で御自分に従う人々を救い出されます。

問10

次の聖句はクリスチャンがキリストにおいて与えられている救いについて何と教えていますか。ロマ7:21、ガラ1:4、コロ1:13、Ⅱテモ4:18、Ⅰテサ1:10

ネブカドネツァルの改心(ダニ3:26~30)

3人のヘブライの若者たちが何事もなかったかのように燃え盛る炉の中から出てきたとき、集まっていた群衆は唖然としたことでしょう。「総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって3人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった」(ダニ3:27)。

詳細については書かれていませんが、主は再び御自分の力と威厳を啓示することによって王の心を動かされました。ネブカドネツァルは、先に主が御自分の力を啓示しておられたのに(2章)、このように反抗的で尊大でした。読者は、主はこのような王と完全に手を切られたと思うかもしれません。しかしながら、御自分に対する露骨な背信行為にもかかわらず、主は再びネブカドネツァルに憐れみと忍耐を示しておられます。

問11

主は有力な指導者に何度も機会を与えておられます(たとえば、出7~15章、サム下12:1~13参照)。これらのことから主の品性に関してどんなことがわかりますか。それは私たちにどんな希望を与えてくれますか。私たちに対する主の忍耐には限界がありますか。

問12

燃え盛る炉の奇跡は王にどんな影響を及ぼしましたか。ダニ3:26~28

表面的には、ネブカドネツァル王は天地の主の力と威厳を悟ったように見えました。しかし、後の記録からも明らかなように、神を信じる、あるいは神の力を告白するだけでは十分ではありません。王は主を「知る」必要がありました(ヨハ17:3)。これは非常に重要なことです。神を知るとは、神について言われている真理を知ること以上のことです。生まれ変わっていない罪人であっても、神の永遠性、創造力、さらには贖いの死を信じることはできます。しかし、それは神を知ることではありません。

まとめ

「異教の王はどのようにして、神の子の姿を知ることができたであろうか。バビロンにおいて信任の地位についたヘブルの捕虜たちは、その生活と品性において王の前に真理をあらわした。彼らはその信仰の理由を聞かれたときに、ためらわずにそれを伝えた。彼らは簡単明瞭に義の原則を示し、彼らの周りの人々に彼らの礼拝する神のことを教えた。彼らは来たるべき贖い主キリストのことを語った。であるから王は、火の中の第4番目の姿に神のみ子を認めたのであった」(『国と指導者』下巻117ページ)。

*本記事は、安息日学校ガイド2004年1期『ダニエル書 ダニエルに学ぶゆるぎない祈り、忍耐、愛』からの抜粋です。

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