【エゼキエル書】骨の谷【37章解説】#12

目次

霊的に死んだ者はどのようにして生き返るか

聖書が回心せず背信した者たちを「死んだ者」として描いているのはなぜでしょうか。どんな強力な力によって、霊的、肉体的に死んだ者たちは生き返ることができるでしょうか。

アウトライン

  • 約束された国家の回復(エゼ37: 1~14)
  • 霊的再生(エペ2:1~5)
  • 二つのものが一つになる(エゼ37:15~23)
  • 繰り返されたメシヤについての約束(エゼ37:24~28)

死からよみがえる 

アルはある会館で開かれた一連の伝道集会に出席したあとで、家族と共にアドベンチストの教会に加わりました。彼らは多くの聖句が聖書の真理を明らかにしていく様子に驚きながら、毎晩、集会に出席しました。そのあとで、彼らは喜んでキリストの召しを受け入れ、バプテスマを受けました。

イエスへの愛に燃やされて、アルは教会の役員を、喜んで引き受けました。やがて教会は彼を安息日学校校長に推挙しました。この役はむずかしい仕事でしたが、アルは最善を尽くして頑張りました。ところが、手順や決まりをよく知らなかったために、ある点で彼はしくじってしまいました。ある教会員は助言する代わりに批判し、責めました。

このことでアルは大変、傷つきました。彼は失望のあまり、ふたたび酒に手を出してしまいました。それから教会役員を辞退し、教会にも出席しなくなってしまいました。そしてついには、ほかの町に引越して行きました。教会は教会員名簿から彼の名前を消しました。年月は流れ、彼の家族の霊的生命は消滅してしまったかのように思われました。

ある日、伝道集会の案内状が彼のところに送られてきました。興味を抱いたアルは、妻や娘と共にふたたび三天使の使命の真理にふれました。彼らは聖霊の導きによって、もういちどキリストを受け入れる決心をしました。こんどの教会は彼らを心から歓迎し、霊的な子供として育ててくれました。アルの家族は現在も忠実な教会員です(ジョン・W・マクグロウ「散らされた収穫物を集める」「アドベンチスト・レビュー」1987年10月22日、17ページより)。

アルとその妻のように、イスラエル民族は霊的に死んでいました。背信は恐ろしい結果をもたらしていました。バビロニアによる征服と追放によって、イスラエルの国家としての独立は失われました。神は肉体的に死んでいた者をよみがえらすことがおできになりますが、イスラエルの国家的、霊的存在もまた生命を与える神によって回復されるのです。これが今回の研究のテーマです。

1. 約束された国家の再生(エゼ37:1~14) 

質問1

神は幻の中で、イスラエル人の捕囚の民をどのように描写していますか(エゼ37:1、2)。 「いたく枯れていた」とはどういうことですか。神はエゼキエルに何とたずねておられますか(エゼ37:3)。

学者によれば、骨の谷についてのエゼキエルの幻は紀元前585年頃に与えられたと考えられています。このことから、エホヤキン王と共にバビロンに連れてこられた捕囚(エゼ1:2)の大部分が、10年以上そこにいたことがわかります。以前に捕囚となったダニエルらの王族は20年もバビロニアの宮廷にいたことになります。捕囚期間は短いという期待が絶たれたため、ユダヤ人は自分たちを墓の入口にさらされた、生きる望みのない死者の骨とみなしたのでした。 

質問2

エゼキエルが、「枯れた骨よ、主の言葉を聞け」と預言し始めたとき、どんなことが起こりましたか。どんな二つの段階をふんで、変化が起こりましたか。エゼ37:4~10(創世2:7比較)

「これら二つのステップにはどんな意味があるのだろうか。その相違は明らかに、エゼキエルの預言の方 向 に見られる。つまり、第1段階は骨に対して聞け、ということであり、第2段階は霊に対して霊感を吹き込め、ということである。第1段階は、生気のない民に神の言葉を聞くように勧めるエゼキエルの仕事にふさわしいように思われる。その効果は限定的である。目ざましいことが起きたことは確かであるが、聞き手はなおも死んだままである。第2の行為は、エゼキエルが神の御霊に再創造の奇跡を行うように求めているように、人の鼻にいのちの息を吹き入れるという祈りと同じである(創世2:7比較)。今度は、効果が顕著である。説教によってできなかったことを、祈りが成し遂げたのである」(ジョン.B・テイラー「エゼキエル書』235ページ)。

質問3

主はこのたとえに似た幻を説明されます。骨はだれを表していますか。捕囚についてこのように感じていたのはだれですか(エゼ37:11-エレ7:32~8:3比較)。

これら大量の骨の再生は何を表していますか(エゼ37:12~14)。エゼキエルは、枯れた人間の骨でいっぱいの谷を見ました。それらは地面に散らばっていました。捕囚たちは、「われわれの骨は枯れ、われわれの望みは尽き、われわれは絶え果てる」と言って嘆いていました。国家を失った彼らには、もはや「亡命政府」もありませんでした。神は彼らを墓に葬 ら れ た ものとしてごらんになっています。しかし神は、イスラエルを「よみがえらせ」、 与えられた地に彼らをふたたび定住させるというすばらしい約束によって、民の嘆きと悲しみを取り除こうとされました。この国家としての「よみがえり」の希望が彼らの前に掲げられました。それは捕囚という暗い夜に輝く一筋の光でした。イスラエル国家が1日で「生れる」時が来ようとしていました(イザ66:8参照)。 

質問4

捕囚となっているあいだ、イスラエル人はどのように生活すべきでしたか。それはなぜでしたか(エレ29:4~7、10)。 解放のときがきて、そのしるしが与えられたとき、彼らはどうするように教えられていましたか(エレ50:8、 9、 51 :6、 11、 45イザ48:20比較)。

質問5

恵み深いペルシャ王、クロス大王の布告(エズ1:2~4)に応じて、どれだけのユダヤ人が故国に帰りましたか(エズ2:64)だれが彼らと共に帰りましたか(エズ2:65)。

聖霊は目ざましい方法によってクロスを動かし、イスラエルを一国家として復活させられました。「全国に」発せられたクロスの布告(エズ1:1)は、捕囚民を生き返らせる風のようでした。すべての民が力強い軍隊のように捕囚の墓からよみがえり、一斉に祖国に向かって行進し、近東諸国のうちに自らの国を建設することができました。しかしながら、個人的な思わくの結果、枯れた骨の幻は部分的にしか成就しませんでした(「国と指導者』下巻203ページ参照)。

帰還命令に対するこの応答の欠如は、信仰復興と改革への呼びかけがなされるときに私たち自身の教会に見られる状態を例示しています。それはまた、霊的バビロンから出るようにという呼びかけに対する応答をも例示しています(黙示18:1~4参照)。

質問6

それからほぼ20年後に、神はペルシャの支配下にあって、もとのバビロンの地に残っていたご自分の民に対して、ふたたびどんな訴えをしておられますか。ゼカ2:6、7

神が預言者ゼカリヤを通して訴えられたほぼ60年後に、エズラは別の小集団を故国に連れ帰っています(エズラ記8章)。 輝かしい国民の復活となりえたはずですが、わずかな残りの民になってしまいました(ネヘ1:3)。 長年におよぶ捕囚のあいだに、彼らの大部分は異国の環境に慣れ、そこにとどまることに満足したのです。彼らはエルサレムを再興し、自らの国家を再建することにともなう困難を嫌ったのでした。

霊的再生(エペ2:1~5)

枯れた骨に関するエゼキエルの幻は、私たちの霊的生活にとくにあてはまるものです。

質問7

使徒パウロは神から離れて生活しているかたくなな罪人をどのように描写していますか。エペ2:1~5

「クリスチャンでない人々の「死」についてのこの聖書の言葉は多くの人々に疑問を抱かせている。なぜなら、それは日ごとに経験する事実と合わないように思われるからである。キリスト教を受け入れない多くの人々、それも公然とイエス・キリストを拒否する人々でさえ、活発に生きているように見える。……もしキリストによって救われていないとすれば、それらの人々は死んでいると言うべきなのであろうか。その通りである。……彼らは死体と同じくキリストに応答することがない。したがって、いくら肉体的に健康で、精神的に敏活であっても神のない人生は生きているしかばねにすぎずその人は、たとえ生きていたとしても死んでいると断言してよい」(ジョン.R・W・ストット「神の新しい社会』72ページ)。

質問8

イエスはパリサイ人から霊的に「死んだ」とみなされていた者たちと交わられました(ルカ5 :30~32参照)。 弟子たちが霊的に死んだ者とみなしていた人物に対して、イエスはどのように対応されましたか(ルカ23:39~43)。 

「私たちが救おうとする者たちの魂は、エゼキエルが幻の中で見た光景、つまり枯れた骨の谷と似ている。彼らは罪ととがのうちに死んでいるが、神は私たちに対して彼らを生きているかのように扱うよう望まれる。……どう見ても彼らが回復する希望はない。それにもかかわらず、預言の言葉は谷間の枯れた骨のような者たちに対してさえ語られなければならない」( 「SDA聖書注解』第4巻1165ページ、エレン。G・ホワイト注)。

質問9

かたくなな罪人のほかに、どんな人々が霊的に「死んでいる」とみなされていますか。黙示3:1 (Iテモ5:5、 6、 ルカ15:24、32比較)

「主が衰えている教会とかたくなな会衆に御霊を注ぐことができるように、神の民がすべての障害物を除去することによって道を備えることほど、サタンが心から恐れていることはない。もしサタンの思いどおりになるなら、どのようなかたちであれ、終わりの時に対する覚醒(かくせい) は二度と起こらないであろう。しかし、私たちは彼の策略に対して無知であるのではない。彼の力に対抗することは可能である。神の御霊のための道が備えられるとき、祝福がくだるであろう。サタンは神の民にくだる祝福の雨を妨げることができない。それは、地上に雨を降らさないために天の窓を閉じることができないのと同じである」(「セレクテッド・メッセージズ」第1巻124ページ)。

二つのものが一つになる(エゼ37:15~23)

質問10

滅ぼされた南北王国の将来についての疑問に答えるために、エゼキエルは民の前でどんな視覚教材を用いていますか。エゼ37:16、17

エゼキエルは一本の木のはしを手で固くにぎり、そのこぶしにもう一本の木をさしこみ、二本の木のはしが接合するようにしました。手で結ばれた二本の木は、見る者の目にはあたかも一本の木のように見えました。

質問11

この象徴的動作による預言の意味についてたずねられたとき、エゼキエルは何と説明しましたか。エゼ37:18~23(ホセ1:11、エレ3:18、50:4、 5比較)

預言者はしばしば北王国を「エフライム」と呼んでいます(ホセ6:4参照)。エフライムはヨルダンの西側における最大の部族であって、北王国の中心に位置していたからです。「エフライム」はまた「ヨセフ」と置き換えることもできました。エフライムの部族はその兄弟であるマナセの部族と共にヨセフの部族を構成していました。

悲劇によってもたらされた再統合

皮肉なことに、へブル人の再統合はアッシリヤとバビロニアによる捕囚という悲劇によって実現されました。分裂は200年以上も続きました(紀元前931年頃にあたるソロモンの子、レハベアムの第1年から、紀元前722年におこった北王国の滅亡まで)。このあいだに、両者はしばしば戦っています。ところが、捕囚という同じ状況のもとで、イスラエル人は互いにゆるし合い、共に新しい将来の計画を立てることになりました。ペルシャによって法令が発布されたあとで、12部族全部の子孫の一部が自分たちの祖国に帰っています。

質問12

二つのユダヤ人国家の再統合は困難な問題でしたが、必要なことでもありました。キリスト再臨に備える世界教会にとって、一致がなぜ非常に重要なのでしょうか。黙示14:6(マタ28:18~20、ヨハ17 : 20、 21比較)

セブンスデー・アドベンチスト教会は700の国語と1、000の方言を話す人々によって構成されており、184の国々でさまざまな働きをしています。このようなわけで文化的、政治的、社会的、経済的違いがあるので一致を保つために大変な努力が必要です。私たちの教会は一致に関して、次のような声明を「信仰の大要」の一つとして採択しています。教会がこの大切な真理をたえず覚えるためです。「教会は、あらゆる国民・部族・国語・民族から召し出された多くの肢体を持つひとつのからだである。われわれはキリストにあって新しく造られたものである。したがって人種・教育・国籍の区別や、階級の高低・貧富・男女の違いは、われわれの間に不和を生じさせるものであってはならない。われわれはすべてキリストにあって平等である。キリストは、ひとつの御霊によって、われわれを、主およびわれわれ相互とのひとつの交わりの中へと結び入れられた。それゆえわれわれは、偏見や分派心を持たないで、互いに仕え、また仕えられるべきである。聖書におけるイエス・キリストの啓示を通し、われわれは同じ信仰と希望にあずかり、すべての人々に対するひとつのあかしの働きに適進(まいしん) する。この一致のみなもとは、われわれをその子供として下さった三位一体の神のひとつなるご性質にある」(「信仰の大要」70、71ページ)。歴亜

質問13

 使徒パウロは生命の危険をもかえりみず、ガラテヤ、マケドニヤ、アカヤの異邦人教会からの義援金をエルサレムの貧しいユダヤ人クリスチャンのもとに携えてきましたが、そのことには人々の苦しみを和らげることのほかにどんな目的がありましたか。ロマ15:25~28 (Iコリ16: 1~3、使徒20 :22~25比較)

「彼はまた、エルサレムの教会員に会い、異邦人がユダヤの貧しい兄弟たちにおくった贈り物を届けたいと願った。そして、彼は、この訪問によって、ユダヤ人と異邦の信者との間の結合を一層強固にしようと望んだ」(『患難から栄光へ」下巻74ページ)。

繰り返されたメシヤについての約束(エゼ37:24~28)

質問14

神はメシヤに対して、民を牧することのほかにどんな役割を与えられますか。メシヤはだれの働きを引き継がれますか。エゼ37:24、25

質問15

神はご自分の民とどんな契約を結ばれますか。エゼ37:25~28(エレ32:37~44、31:31~34、ヘブ8:6~12比較)

これらの輝かしい約束は意気消沈した捕囚の民を力づけるためのものでした。神は数年のうちに、今は滅亡したかのように見える国家をよみがえらせようとしておられました。メシヤが来られるのでした。エゼキエルと同時代の人であるダニエルは、メシヤの来られる時さえ明示していました(ダニ9:24~27)。 しかし、時がたつにつれて、この幻はおぼろになっていきました。いざメシヤが来られたとき、イスラエルはその牧者なる王を認めず(ヨハ1:11)、代わりにカイザルを自分たちの支配者に選びました(ヨハ19:15)。この決定的な選択によって、イスラエルを選民とする神の契約は完全に無効となりました。

質問16

メシヤについてのこれらの約束はいつ、完全に成就しますか。黙示21:1~4(同22:1~3、ルカ1:31~33比較)

イスラエル民族はメシヤを信じないで、彼を拒絶したために、これらの預言は成就しませんでした。イスラエルに与えられた永久的な回復についての預言は、主に対する継続的な信頼を条件としていました。メシヤの時代はキリストの初臨をもって始まり、天における彼の王また祭司としての統治において継続され(ヘブ8:1、21コリ15:25、コロ1:13)、新しい地において頂点に達するのです(黙示21:2、 22:3)。 -116

まとめ

枯れた骨の谷は多くの教訓を与えています。それは、神によって再生と回復を約束されていながら、メシヤの来臨を目前にして滅びてしまった国を描写しています。イスラエルをよみがえらされた力ある御霊は霊的、肉体的に死んでいる者たちを今も生き返らせることがおできになります。

*本記事は、安息日学校ガイド1991年2期『雨の中のにじ エゼキエル書』からの抜粋です。

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