【エゼキエル書】大いなる可能性【38〜48章解説】#13

目次

イスラエルがメシヤを拒んだ結果、どうなったか

古代イスラエルが罪を犯し、神との契約関係を破った結果、イスラエルに対する神の約束は実現しなかったのでしょうか。

アウトライン

  • 神のイスラエル(ガラ6 : 15、 16)
  • 条件つきの約束(申命28:1、2、15) 
  • 最後の戦い(エゼ38、39章)
  • 神殿と儀式(エゼ40:1~47:12)
  • 土地と町(エゼ47: 13~48 : 35)

何を最優先するか

世界総会の元総務、ウォルター・ビーチ博士は、昔のクラスメートで、有名なある女性を訪問したときのことを記しています。彼女と話しているうちに、学生時代の彼女とどこかが違うような感じがしました。彼女は神との関係が弱まり、何となく知的好奇心だけがあるように見うけられたのです。

「ところで、メリー、あなたは今、何にいちばん関心があるのかね?」。 彼はついに、こうたずねました。

彼女は明るくほほえみながら、こう答えました。「私が今いちばん関心を寄せているのは、この世の犬と猫の福祉を増進するための協会を組織することです。主もその必要性をよくご存知ですわ」。

博士はあっけにとられてしまいました。たしかに、ペットを幸せにするために働くことも立派なことでしょう。しかし、私たちはもつと熱心に、自分の能力を用いて、神の民の必要のために働くべきです(W・R・ビーチ「焦点を合わす」「ジーズ・タイムズ」1967年12月号16ページより)。

もしメリーが神の奉仕と同胞の救いを最優先させていたなら、彼女はすばらしいことをなしえたかもしれません。これと同じことが、ほかの多くの人々について、また神に仕えると公言する人々についても言えるのではないでしょうか。

今回、学ぼうとしているエゼキエル書38章から48章に題をつけるとすれば、「大いなる可能性」となるでしょう。しかし、主のすばらしい約束が与えられていたにもかかわらず、イスラエルはそれに従わず、ついには自ら契約を破ってしまいました。エゼキエルは「大いなる可能性」について記していますが、一方、新約聖書の記者たちは、エゼキエル害に述べられた個々の約束が霊 的 イスラエルの上にどのように実現するかを予告しています。

神のイスラエル(ガラ6:15,16)

質問1

使徒パウロによれば、イスラエル民族のうちのだれが真のユダヤ人でしたか。ローマ2:28、29、9:6~8

パウロの論点は、単なる肉によるアブラハムの子孫ということで自動的に神の子、信仰によるイスラエルになるのではないということです。イサクのように、真のユダヤ人であるためには、超自然的な誕生、つまり「新しく生まれ」、「霊から生まれ」る経験をする必要があります(ヨハネ3章)。このような霊的ユダヤ人はイスラエルの歴史のどの時代にも、どんなひどい背信のときにも存在しました(列王上19:18、エゼ20:37、38参照)。

質問2

ぶどう園のたとえの中で、子はだれを表していますか。農夫たちはその子に対して何をしましたか。イエスはよこしまな農夫たちにどんなさばきを宣告しておられますか。マタ21:37~43

ぶどう園はイスラエル民族を表しています(イザ5:1~7参照)。農夫はイスラエルの指導者を、またしもべはイスラエルに警告するためにつかわされた預言者を象徴しています。

より広い意味では、ぶどう園はイスラエル民族が仕える、道徳的働きの場としての世界を表しています。彼らの務めは周辺の諸国民に働きかけることによって、彼らを真の神を信じる信仰に導くことでした(イザ56:6、7参照)。 しかし、もし彼らが救い主を拒むならどんなことが起こるでしょうか。神はご自分の代理者となる特権と責任を彼らから取り上げられるのでした。そして、それらは世に神を宣べ伝える使命を帯びたほかの人々に与えられるのでした(Iペテ2:9、 10、ロマ11: 1~5、16~26、ガラ3:7~9、16、27~29参照)。

条件つきの約束(申命28:1、2、15)

質問3

契約にもとづく約束が条件つきであるということがどうしてわかりますか。申命28:1、2、5(エレ18:7~10比較)

神の約束は無条件、つまり条件に左右されることなく、神がいちど約束されたものは、人が何をしようとも変更不可能である、と信じているクリスチャンがいます。このような考え方は、契約にもとづく約束やのろいが信じる者の応答次第で変わるという聖書の明らかな教えに反するものです。したがって、神との契約関係を破って神との契約にもとづく約束を受ける資格を失うということもありうることになります(レビ26:15、16参照)。イスラエルに与えられた約束の成就は神のみこころに従うことを条件としていました(列王上2:2~4参照)。

質問4

捕囚の民が帰還してずっと後にメシヤが来られたとき、契約の民は彼をどのように受け入れましたか。ヨハ1:11(同19:14、15、ルカ19:41~44比較)

「イエスは、……『もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら……』と叫ばれた(ルカ19 : 42)。 救い主は、ここでことばをきり、もしエルサレムが、神が与えようと望まれた助け、すなわち神の愛するみ子を受け入れていたら、どういう状態になっていたかについては何も言われなかった。もしエルサレムが知る特権のあった事がらを知って、天の神が送られた光に心をとめていたら、それは輝かしい繁栄のうちに、国々の女王として、神から与えられた豊かな力をもって続いていたかもしれなかった。武装した兵士たちがエルサレムの門に立つことも、ローマの旗が城壁にひるがえることもなかったであろう。もしエルサレムが救い主を受け入れていたら、エルサレムのものとなったかもしれない輝かしい運命が、神のみ子の前に浮かんだ。……

しかしエルサレムがそうなっていたかもしれない輝かしい光景は、救い主の視界から消える。主は、エルサレムがいまローマのくびきの下にあって、神の不興を招き、神の報いの刑罰を受ける運命にあることに気がつかれる」(「各時代の希望」下巻12、13ページ)。

質問5

エレミヤとエゼキエルによれば、神はメシヤの時代においてだれと契約を更新しようとされましたか(エレ31:31-ヘブ8:10比較)。イエスは実際にはだれと契約を結ばれましたか(マタ26 : 20、 28、 1コリ11 :25)。

新約聖書から明らかなように、イエスが契約を更新されたのは神の王権を拒んだイスラエル民族に対してではなく、むしろ「霊的イスラエル」、 つまりイエスをメシヤとして受け入れた弟子たちに代表されるイスラエルの残りの子らに対してでした(ロマ11:5参照)。

質問6

このように契約関イ系が霊的イスラエルに移ったことによって、イスラエル民族に与えられた預言の約束はどうなりましたか。

キリスト教会(神のイスラエル—ガラ6:15、16)と契約が結ばれたことによって、イスラエルに対する預言の約束の成就はいくつかの点において影響を受けました。

1.いくつかの預言の約束は全く成就することがない。

2.成就すべき預言は概略において成就する。そのおもなものはキリストの世界的教会において成就する。この教会はパレスチナにおけるもとの預言的状態に限定されない。

3.どの預言の約束が、どのようなかたちで成就するかを知る唯一の安全な方法は、新約聖書の記者たちがそれらをどのように適用しているかを調べることにある。

4.契約にもとづく預言の約束は霊的イスラエルに受け継がれたので(ガラ3:29、6:15、16)、 それらはもはや肉によるユダヤ人だけにあてはまるものではない。一般的な考えに反して、現代イスラエルの現状は契約にもとづく約束の成就ではない。

最後の戦い(エゼ38、39章)

エゼキエル書38、39章は同じ主題を扱っていて、いろいろな憶測のもととなってきました。それらは、捕囚からの帰還後のある時点において大勢の軍隊をイスラエルに対して進めるゴグという人物に対して語られています。しかし、神はこれに介入して、敵の軍隊を滅ぼされます。イスラエルは7カ月かかって敵の死体を埋めます(エゼ39:12)。 彼らの武器は7年のあいだ、たきぎとなります(エゼ39:9)。このような大軍の侵略と滅亡はこれまでに起こったことがありませんでした。

質問7

この侵略はいつ起こると考えられていましたか。エゼ383、8、9、11、12、39:21~23、27、28

イスラエルのバビロン捕囚がたえず言及されていることに注目してください。「終りの年」や「終りの日」という表現(エゼ38:8、16)は世の終わりをさすものではなく、むしろイスラエルが捕囚から帰還後、約束されたすばらしい繁栄にあずかっていた時期をさすものです。中東のイスラエルの隣国から遠く離れたところにあった抜け目ない国々は、かつてのバビロンのように、自分たちもイスラエルを略奪することができると考えたことでしょう。

しかし、神はイスラエルを助け、侵略を企てた国々は、バビロンの征服がイスラエルの罪とその結果としての神の保護の喪失(そうしつ) によるものであることを知るのでした(エゼ39:23)。 神は、ご自分が捕囚から解放した信頼する民を守ると約束しておられます。この戦いの幻が中東における現在の政治情勢と無関係であることは、預言そのものから明らかです。

この戦いは、イスラエルがなお神と契約関係にあったときに起きたわけではありません。このことから、それが決して成就することのない預言の一つであると結論づけることができるでしょうか。その答えを知るためには新約聖書を調べる必要があります。

質問8

使徒ヨハネはこの大いなる戦いはどこでなされると預言していますか。黙示20:7~9

使徒ヨハネによれば、エゼキエル書38章から39章の出来事は、サタンが千年期の終わりに新エルサレムに対して起こす大いなる戦いにおいて成就します。失われた者たちの諸国民は「ゴグ、マゴグ」と呼ばれ、その数は「海の砂のように多い」と言われています。戦場は「イスラエルの山々」ではなく、地上になっています。諸国民は「霊的イスラエル」、 つまり聖なる都の内にいるあがなわれた者たちを攻撃します。しかし、神はあがなわれた者たちを助け、失われた者たちの軍勢は天から下ってきた火によって滅ぼされます。このように、エゼキエルの預言のおもな点は成就します。諸国民についての細かいことがら、死体を埋めること、武器を集めてたきぎにすることなどの|日約聖書の預言はそれほど重要ではありません。

質問9

ヨハネはさらに、敵に対する神の大いなる戦いについてどのように言及していますか。エゼ39:17~20、黙示19: 17~19比較

黙示録12:7によれば、罪は天における「戦い」として始まりました。そのあとで、サタンが終わりの時になると、「残りの子ら……に対して、戦いをいどむ」と預言されています(黙示12 : 17)。これは神の律法、つまり安息日(神の印)と「獣の刻印」をめぐる最後の戦いをしています(黙示13:13~17、14:9、10)。しかし、この「戦い」は基本的にはキリストに対するものです。キリストは再臨のときご自分に忠実に従う者たちを救い(黙示19:11~16、19)敵を滅ぼされます。

サタンは神の民を攻撃する

「残りの教会は大いなる試練と苦難に引き込まれるであろう。神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ち続ける者は龍とその軍勢の怒りを受ける。サタンは世界を自分の臣下とみなし、背信の教会を支配している。しかし、ここに彼の主権を拒む小さい団体がある。もしサタンが彼らを地から漁するなら、彼の勝利は完全なものとなる。彼はイスラエルを滅ぼすために異教の国々を扇動(せんどう) したように、近い将来、神の民を滅ぼすために地上の悪の勢力を扇動するであろう。すべての人は神の律法を犯して人間の法令に従うように要求される。神と義務に忠実な者たちは脅迫され、告発され、追放される。彼らは『両親、兄弟、親族、友人」にさえ裏切られる(ルカ21:16)」(「教会へのあかし』第9巻231ページ)。唾|

神殿と儀式(エゼ40:1—47:12)

エゼキエル書40章から48章は一つの継続した預言であって、エルサレム滅亡から14年たった紀元前573年の續罪の日に預言者に与えられたものです。黙示録11:1、2はこれに対応するもので、犢罪の日が予表していた聖所の回復の実現を描写しています。

質問10

エゼキエルはどこに連れて行かれましたか(エゼ 4 0: 2 -黙示2110比較)。 幻の中の人物はエゼキエルのために何を測りましたか(エゼ40:3~5、41:1)。

質問11

エゼキエルが、幻の中の人物が神殿とそのさまざまな部分を測るのを見ていたとき、どんなことが起こりましたか(エゼ43:1~9)。この幻は何を意味していましたか(エゼ11:23比較)。

主がエゼキエルの見た幻の中の神殿に帰られたこと、ケルビムが御座を支え、主を東の門から中に導き入れたことは、神がソロモンの神殿をその破壊される前に見捨てられたことをエゼキエルに思い出させるものでした。今、もし神の民が真に契約の民となるならば神はふたたびご自分の民のうちに住み、彼らの神となられるという慰めに満ちた確証が与えられています。 

質問12

新しい神殿についての情報をすべて記録したあとで、エゼキエルはそれをどうするように言われましたか。それは何のためでしたか。エゼ43:10、11 (「SDA聖書注解』第4巻716ページ、神殿の平面図を参照)

この計画は条件つきであった

エゼキエルが幻の中で見せられたのは本物の神殿の模型でした。もしイスラエルが真心から神の回復の計画に従っていたなら、この神殿は建てられていたことでしょう。そして、メシヤのあがないの死によって儀式制度が廃止されるまでそれは機能を果たしていたことでしょう(ダニ9:27参照)このようなわけで、エゼキエルの見た神殿とその儀式についての預言は決して成就することがありませんでした。それは「大いなる可能性」を示しているにすぎません。

質問13

使徒ヨハネによれば、新しい地の聖都においては何が「神殿」となりますか。黙示21:22

質問14

エゼキエルは何が神殿から流れ出ているのを見ましたか(エゼ47:1)。 だれに似たような光景が示されましたか(ヨエ3:18)。 残りの光景について描写してください(エゼ47:2~12黙示22:1~4比較)。

この幻には、神殿から流れ出て、東の方向、ヨルダンの谷に向かう流れが描写されています。ヨルダンの谷に向かって流れるにつれて、それは深くなり、ついには死海の塩気を「いやし」ます。その水路には魚が満ち、両岸には果物の木が生い茂ります。

黙示録は、その川の深さ、いやしの効果、魚、両岸の果物の木について詳しいことを記していません。書かれているのはおもな思想、つまり神の御座から一つの川が流れ出て、その両岸にはいやしの力を持った特別な果物を実らせるいのちの木が茂っているということだけです。 

土地と町(エゼ47: 13~48 : 35)

エゼキエルは回復後のイスラエルの境界を定めるように命じられています(エゼ47:13~21)。 ここに書かれている境界から、最初にイスラエルに約束された土地がわかります。しかし、帰還した捕囚の民はユダの地域以外を占めることがありませんでした。第48章において、エゼキエルはいくつかの部族に土地を分配するように命じられています。

質問15

もし神の計画に従っていたなら、イスラエルはどれだけ多くの土地を占めていましたか(ロマ4:13)。 信仰によるイスラエルはどれだけ多くの土地を所有しますか(マタ5:5、Ⅱペテ3:13)。

質問16

エゼキエルの幻の最後の部分は理想のエルサレムについて描写しています。それはどんなかたちをしていますか。その壁にはいくつの門がありますか。それにはどんな部族の名前がついていますか。エゼ48:30~35(黙示21:9~27)

まとめ

イスラエル民族に与えられた約束の成就は、彼らが神との契約を守るか否かにかかっていました。これらの約束は同時に、世界の救いに関係していました。したがって、イスラエルの失敗はこの約束の成就を妨げることがありませんでした。神はご自分の新しい代理者としてキリスト教会を選ばれました。新約聖書の記者たちは、どの約束が、どんなかたちで成就するかを明らかにしています。

*本記事は、安息日学校ガイド1991年2期『雨の中のにじ エゼキエル書』からの抜粋です。

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