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雲の柱がシナイの聖所から昇り、祭司らが契約の箱と共に出立するとき、モーセは次のように宣言しました。「主よ、立ち上がってください。あなたの敵は散らされあなたを憎む者は御前から逃げ去りますように」(民10:35)。それは勝利の叫びのようで、イスラエルの大軍勢は力を帯びて旅立ちました。ついに、彼らは約束の地に向かって歩み始めたのでした!
目に見える神の臨在があなたのうちにあるということがどんなことか想像してみてください。そのような明らかな神の臨在を目の前にして、彼らは快く、進んで神の命令に従い、遠い昔に祖先になされた約束の実現をめざして旅を続けた、とだれもが思うでしょう。
しかしながら、たとえ神の民といえども、物事はそれほど単純ではありませんでした。私たちは今回、混乱と不平、不信、忘恩が次々と生じるのを見ることになります。更にまさった約束(ヘブ11:40)の実現を待ち望んでいる私たちのうちにも、これと同じようなことがないかどうか、よく考えてみましょう。
忘恩の罪
問1
民数記11章を読み、次の質問に答えてください。
- この出来事は、主が過去において私たちを導いてくださったことを覚えることの大切さについてどんなことを教えていますか。
- イスラエルに対する主の応答を、どのように理解したらよいでしょうか。
- この出来事は自分の食欲を制御することの大切さについてどんなことを教えていますか。
字義的には、ヘブライ語はこれらの不満を言う者たちを、「悪についてつぶやく者のように」と表現しています。彼らがどんな「悪」について不満を言ったのかは想像するしかありません。彼らは、神が自分たちを「乳と蜜の流れる」約束の地でなく、荒れ野における死の罠に導いたと感じたのかもしれません。彼らはエジプトにおいて、また紅海を渡ることにおいて数々の奇跡を目撃していました。とすれば、不満を述べることは反逆に等しいことでした。その影響は生まれたばかりの国家に蔓延し、滅びをもたらすことになりかねません。それで、主の火が「宿営の端から」彼らを滅ぼしたのでした。モーセの執り成しによって、その火は鎮まります。
実際のところ、民には食物について不満を言う正当な理由はありませんでした。
マナは、臼で粉にひくことも、鉢ですりつぶすこともできましたし、焼くことも煮ることもできました(出16:23、民11:8)。事実、人類のために多くのおいしい食物を創造された神は、御自分の契約の民が口に合わないものを食べることを強制されません。さらに、彼らは山羊や羊、牛の乳を飲むことができました。それから、凝乳(バター、英語欽定訳)を作ることもできました。肉に関して言うと、さまざまな和解の献げ物──満願の献げ物、感謝の献げ物、随意の献げ物──はすべて会食をもって終わりましたが、そこで、祭司、犠牲をささげた当人、その家族、僕、招待されたレビ人が犠牲を食しました。彼らが飢えるようなことはありませんでした。
指導者にかかる圧力
イスラエルがすぐに偶像崇拝に陥り、金の子牛を拝んだとき、モーセは彼らの赦しを神に嘆願し、もしそれがかなわなければ、「どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください」と祈りました(出32:32)。
問2
後に、民がそれぞれの天幕の入り口で泣き言を言い、「誰か肉を食べさせてくれないものか」と嘆くのを聞いたとき、モーセはどうしましたか。彼の態度が正当化されなかったのはなぜですか。偉大な神の人モーセの人間的な弱さはどんな点に現れましたか。民11:10~15
問3
民数記11:21~23を読んでください。ここでも、モーセの人間性がどのように現れていますか。
モーセのまちがいと信頼の欠如にもかかわらず、主はモーセが感じていた重荷を軽くする方法を講じられました。それは、70人の長老にモーセの役割を分担させることでした(民11:16、17)。「預言した」ことを除けば、70人の経験は五旬祭の日に聖霊がキリストの弟子たちに注がれたことと似ています。こうして、彼らはすべての民の前で神に重用されました。
「もしも、モーセが神の力と恵みの証拠に対して、それにふさわしい信仰をあらわしていたならば、この人々は選ばれなかったことであろう。しかし、モーセは、自分自身の重荷と任務とをあまりに大きく考え過ぎ、自分は、ただ神に用いられる器に過ぎないという事実をほとんど見失ってしまった。イスラエルののろいとなっていたつぶやきの精神を、たとえどんなにわずかであっても、モーセが心にいだくことは、許されなかった」(『希望への光』195ページ、『人類のあけぼの』上巻454、455ページ)。
家族のあつれき
モーセの妻、ツィポラと2人の息子たちはエジプトにおける飢饉の間、「ミディアンの祭司」である父エトロのもとに滞在していました。イスラエルがシナイに落ち着くと、エトロはツィポラと息子たちをモーセのもとに連れて来ます。ツィポラは夫が疲れているのに気づき、そのことをエトロに告げます。エトロはモーセの指導の仕方をよく観察し、1000人、100人、50人、10人の隊長を置くことによって組織を改めるように助言します。これらの人たちが小さい事件を裁き、モーセは難しい事件だけを裁くのでした。モーセはこれに同意します。「平素は彼らが民を裁いた」(出18:13~26参照)。しかし、モーセの側のこの決定は、ミリアムとアロンのねたみと嫉妬心を刺激することになります。
問4
民数記12章を読んでください。ここに、ミリアムとアロンのどんなみじめな人間性が現されていますか。彼らの罪はモーセの態度・品性とどれほど対照的ですか。神は彼らの態度をどのようにご覧になりましたか。
「言った」(欽定訳)「、言い始めた」(新国際訳)という動詞は女性単数形になっていて、1節以下の非難がミリアムから出ていることを暗示します。ミリアムはツィポラをねたみ、彼女がモーセをそそのかして、エトロの言う通りに士師を任命したと非難しました。ツィポラの肌が黒かったためかもしれませんが、ミリアムは彼女をクシュの女と呼んでいます。事実、ツィポラはミディアン人、[アブラハムの後妻]ケトラによって生まれた息子ミディアンによるアブラハムの子孫で、同じまことの神を礼拝する者でした。このような冷笑的な態度は、クシュ族の一部がシナイの東
(アラビアのアカバ湾の東)の地域でミディアン人と共に住んでいた事実から来ていたかもしれません。彼女はどちらの言葉で呼ばれてもおかしくはなかったでしょう。たとえば、アメリカ合衆国で生まれたドイツ系の人はドイツ人とも、アメリカ人とも呼ばれるのと同じです。しかし、この言葉[クシュの女]は多分に中傷的な意味合いで用いられているように思われます。
境界にて
季節はたぶん9月頃だったでしょう。ぶどうの実は熟し、いちじくの2番なりが熟れていました。イスラエルがカナンの南の境界に近いカデシュ・バルネアに到達したのはほぼ11日後のことでした。夢にまで見た目的地に近づいたとき、大群衆の間に大いなる喜びと幸福の波が広がったことでしょう。
問5
申命記1:19~23を読んでください。ここに、どんな失敗が記されていますか。
問6
民数記13章を読み、次の質問に答えてください。主は斥候を遣わすことに同意されましたが、それは妥協でした。この妥協の結果はどうでしたか。
数々の神の力の現れを見ていたにもかかわらず、大部分の人々はどのような反応を示しましたか。
新天地が肥沃な土地であると聞いて、人々は喜んだことでしょう。彼らは2人に担がれてきた大きなぶどうの房を見て驚きました。まさに想像した通り、いやそれ以上でした。
いつでもそうですが、この罪深い世界にあっては、たとえ神が導いておられるにしても、物事には何らかの問題がともないます。もちろん、主はそこに異教の民が住んでいることを知っておられました。イスラエルは、主が自分たちのために状況を支配される方であると考えなかったのでしょうか。主がエジプト人に対してなされたことを見ればわかります。
それにもかかわらず、民は神の力と約束を忘れて、目の前の障害しか見ませんでした。ほかの斥候たちはカレブとヨシュアの嘆願にもかかわらず、イスラエル人の心に悲観論を吹き込みました。
「エジプトへ帰る」
問7
民数記14章を読んでください。この物語からどんな重要な霊的教訓を学ぶことができますか。あなたも同じ経験をしたことがありませんか。
彼らが言ったことの中で最悪のことは、おそらく、1人の頭を立てて、エジプトへ帰ろうということだったでしょう(民14:3、4)。エジプトが罪の奴隷・隷属、死、神からの疎外の象徴であることを考えれば、信じがたい救いを経験したこれらの民の行動は弁解の余地のないものでした。
「不忠実な斥候たちは、口をきわめてカレブとヨシュアを責めた。そして、彼らを石で打てという声があがった。気の狂った群衆は石をつかんでこの忠実な人々を殺そうとした。彼らは狂ったような叫び声をあげて前進した。ところが急に、彼らの手から石は落ち、声は静まり、彼らはふるえおののいた。神が彼らの殺意をとどめるために介入なさったのである。神の臨在の栄光が、燃える光のように幕屋を照らした。……こうなっては、あえて反逆しつづける者はひとりもなかった」(『希望への光』201ページ、『人類のあけぼの』上巻469ページ)。
問8
公然と背いた者たちに対してさえ、神の憐れみと恵みはどのように現されていますか。
民が自分たちの受けた刑罰に対して取った行動に注目してください。ある意味で、彼らは神がしてくださるはずのことを断り、それを自力で実行しようとしたのでした。もちろん、結果は悲惨なものでした。自分たちのために多くのことをしてくださった神に信頼してさえいたなら、そのような悲劇は避けることができたのです。悲しいことに、罪に関してはいつでも言えることですが、反逆と何のかかわりもない多くの罪なき人々が他人の罪のために苦しむ結果になりました。
まとめ
「一度誤った道にふみ込んだこの人々は、頑強にカレブとヨシュアに敵対し、モーセに敵対し、そして神に敵対したのである。前進しようとするごとに、彼らはいよいよ心をかたくなにした。カナンを占領しようとする試みは、みな阻止しようと彼らは決心した。彼らは、自分たちの与えた悪影響をいかにもまことらしくするために、真実を曲げたのである。そこは、『そこに住む者を滅ぼす地です』と彼らは言った(民数記13:32)。これは、悪い報告であるばかりでなく、いつわりの報告である。これは、つじつまが合わないことである。斥候たちは、その国が実り豊かで栄えたところであると言い、人々は大きいと言った。もしも、気候が不順で『住む者を滅ぼす地』であるとするならば、以上のことはみなあり得ないことである。しかし、人が一度不信を心にいだいてしまうならば、彼らは、サタンの支配に身をゆだねたのであって、どこまでサタンにひかれていくかわからないのである」(『希望への光』200ページ『、人類のあけぼの』上巻467ページ)。
イスラエル人は、荒野をさまよった40年の間、何一つ不足しませんでした。「私は40年の間、あなたを導いて荒野を通らせたが、あなた方の身につけた着物は古びず、足の靴も古びなかった。あなた方はまたパンも食べず、葡萄酒も濃い酒も飲まなかった。こうしてあなた方は、私があなた方と共にいる神であることを知るに至った」(申命記29:5-6、拙訳)。イスラエルの人々は荒野で、最も神と近く生活でき、神が近くに「おわす」お方であることを実感しました。アブラハム、イサク、ヤコブたちの経験できなかった神の近い臨在をイスラエルの人々は荒野で経験し、神を知ったのでした。神は言われた、「私はアブラハム、イサク、ヤコブには、(カナン人を追い払う)奪福の神として現れたが、おわす/いますという名では、わたしは彼らに知られなかった」(出エ6:3、拙訳)。エル・シャッダイは、旧約時代には恐ろしい神の御名でした(「滅びは奪福者から来る」イザヤ13:6)。ヒエロニムスが聖書をラテン語に訳すときにエル・シャッダイをもっと響きのよい「全能の神」と訳しました。天使はエレン・ホワイトに「全能の神」の名で神を呼ぶのは「不敬」であると言いました。天使は彼女に、「全能の」と「神」を「組み合わせて用いてはいけない。その名は恐ろしいからです」(EW122)と言いました。
*本記事は、安息日学校ガイド2009年4期『放浪する旅ー民数記』からの抜粋です。