この記事は約2分で読むことができます。
黙示録12 章に描かれている出来事を発生順に並べてみてください。ある出来事は繰り返しの場合もあります。
黙示録12章はキリストとサタンの大争闘について概観しています。この章には、年代順ではありませんが、私たち一人ひとりと関係のある争闘の背景が大きく三つの部分に分けて書かれています(この戦いにおいては、だれひとり中立を保つことができません)。
1~6節は、まず幼子キリストに対するサタンの攻撃について、次にキリストの教会に対するサタンの攻撃について記しています。キリストの教会は「1260 日の間」荒れ野へ逃れねばならなくなります。
7~12節は、天における初めの戦いについて記しています。サタンは神に反逆し、仲間の天使と共にキリストと戦いますが、敗北します。
13~17節は、再び舞台を地上に移し、天から追放されたサタンが、負かすことのできなかったキリストご自身の次に大切なキリストの教会に対して戦いを継続する様子について記しています。
◆ 何世紀か前、ドイツの神学者・哲学者のゴットフリート・ウィルヘルム・ライプニッツという人が「神の義の証明」を意味する「神義論」という用語を考え出しました。それによれば、神はいわば審理中の身であって、最終的には神のすべての道が宇宙の前で義とされるというのです。神がご自分の被造物の前で「義とされる」というこの考えをどう思いますか。それは神の品性について何を教えていますか。神義論の思想は、サタンが十字架による敗北の後もなお存在することについて何を教えていますか。
天における大争闘は今も続けられている戦いです。そして人は否応なしにその戦いの最中に存在しています。この大争闘の原因にあたる罪の存在の始まりについては私達には全てが明らかにされているわけではありません。しかし、その罪は自己高揚として現されました。神中心性ではなく、自己中心性が罪の本質であることがわかります。神はまさしくそれとは対象的な、自己放棄の方です。自己放棄が敗北ではなく勝利であることを聖書は描こうとしています。この世界に生きるとき、人は本当の意味で幸福を経験するのです。
\ 心のサプリのシリーズ別アーカイブはこちら /
*本記事は、聖書研究ガイド2002年第1期『キリストとサタンの大争闘』からの抜粋です。