【雅歌】喜ばしい結婚【3章解説】#8

目次

キリストは理想の結婚生活を回復される 

神のどんな賜物にもまして,罪は結婚から多くのものを奪いました。結婚に対する観念と結婚生活はしばしば神の本来の計画からかけ離れたものとなっています。しかし,キリストにおいて,罪によって失われたものが回復されます。キリストの真理に従うとき,私たちの結婚生活はあらゆる点において神の栄光をあらわすものとなります。

結婚に対する神の理想は堕落した世界のそれと対立します。神の理想に従う夫婦は伝統と真理,支配と服従,隷属と協力,欲望と愛の板ばさみになって苦しみます。彼らの生活は,いわば小さな「大争闘」が繰りひろげられる舞台なのです。

今週は,ソロモンとシュラムの女の結婚生活の始まりをたどり,罪の結果とあがないの恵みがふたりの結婚生活とすべての人の結婚生活にどんな影響を及ぼしているかを考えます。

Ⅰ. 結婚式の回想

雅歌3:6〜10には,ソロモンとシュラムの女の結婚式がどのように描写されていますか。

回想は結婚式の行列の描写をもって始まっていますo6節の煙は,「おそらく燃える香料をもって行列の先頭に立つことによって道を芳香で満たすという慣習をさしている。これは東洋において昔,ひろく行われていたものである」(「S DA聖書注解』第3巻1117ぺージ)。7節の「乗物」および9節の「輿」はソロモンの運搬式の乗り物をさしています。

ほかにだれが結婚式の喜びにあずかっていますか。皇太后の行為はどんな慣習をあらわしていますか。

雅3:10, 11

エルサレムの娘たちは王の乗り物に細工を施すことによってその喜びを表しています。「愛情をこめてつくった物とは,エルサレムの娘たちがソロモン王とその花嫁への愛の表現として寝床,壁掛け布,敷物などに細工した詩歌をさしていると思われる」(「SDA聖書注解』第3巻1117ページ)。

「その母が冠をかぶらせるとあるが,これは儀式的な戴冠のことである。なぜなら,王としての戴冠は神の代表者である大祭司によってすでに終了しているからである。……エルサレムが紀元7脾にローマによって破壊されるまでは,一般の花嫁や花婿も『冠』をかぶったのであった」(G・ロイド・カー『雅歌』113ページ)。

結婚の社会的重要性 聖書的な理解によれば,結婚は宗教的,社会的重要性を持った一種の契約です。夫と妻は神に対して,お互いに対して,また社会に対して,互いに忠誠を守ることを誓うのです。家族と友人の支えは,結婚生活がうまく行くか否かを大いに左右します。

雅歌3:11は結婚の日をどのように描いていますか(詩篇4:7,イザヤ書51:3に描かれている心の喜びと比較してください) 。

◆献児式,誕生日,バプテスマ,結婚式,記念日などを家族で祝うことはなぜ大切ですか。結婚式の思い出は苦しいときに結婚生活を支えるうえでどんな助けになりますか。

Ⅱ. 結婚の起源

イエスは結婚の意義について何と教えておられますか。その教えは創世記1,2章とどれほど密接な関連がありますか。

マタ19:3〜8

創世記2 章は男と女の創造について記していますが,その中で神は人間の必要について何と述べておられますか。神はこの必要にどのようにこたえられましたか。

創世2:18〜23

「人がひとりでいるのは良くない」。神の計画によれば,人間は社会的な動物であって,交わりを必要としています。

「彼のために,ふさわしい助け手を造ろう」。「助け手」(へブル語でエゼル)とありますが,文字通り訳せば「助け」または「援助」です。旧約聖書に用いられているこの言葉は大部分,さまざまな方法で助け,支えてくださる神を描写しています(申命33:7,26,29,詩70:5,121:1,2参照)。アダムの「助け手」はお互いに愛し,思いやり,理解し合うことのできる者でなければなりませんでした。彼女は霊的,感情的な励ましを与える者となるのでした。助け手とは,「有益な関係を表す言葉であるが,言葉そのものには地位や階級,上位や下位を表す意味はない」(リチャード.M・デビッドソン「創世記1,2章における性の神学」「アンドリューズ大学神学院紀要』1988年春号15ページ)。

神はどんな特別な方法によって,この「助け手」をアダムに与えられましたか。

創世2:21,22

アダムは眠っていただけです。彼は女の創造において何ら積極的な役割を果たしていません。原料である「あばら骨の一つ」が彼から取られました。このように,人間の男女は同じ地の「土のちり」を材料として出来ているのです(創世2:7,3:19比較)。アダムのあばら骨から造られたということは,つまり男と女は初めから同等であったということですo「エバは,アダムのわきから取られたあばら骨によって創造された。このことは,彼女がかしらになって彼を支配するのでもなければ,彼よりは劣った者として彼の足の下に踏みつけられるものでもなく,同等のものとして,彼のかたわらに立ち,彼に愛され,守られるものであることを示している」(『人類のあけぼの』上巻21ページ)。

◆男と女はどんな点が似ていて,どんな点が異なっていますか。神によって計画された本来の男女の関係はどのようなものだと思いますか。そのような関係は今日の夫と妻にどんな恩恵をもたらしますか。

Ⅲ. 同等の配偶者

女の創造後に出てくる男と女という新しい言葉は男女の調和した関係に対する神の計画についてどんなことを教えていますか。

創世2:23(創世1:26〜28比較)

女が創造されてから,人間の男女についての性的区別が明らかになっています。男はそれまでアダムとしか呼ばれていませんでしたが,新たにイシュと呼ばれ,女はイシュシャーと呼ばれています。彼らは別個の存在でしたが,ひとつの人類として互いに補い合い,一致した関係にありました。「彼らが創造された時」のこの一致は完全なものだったので,神からアダムという一つの名前によって呼ばれています(創世5:2)。女がエバと呼ばれるようになったのは,彼らが堕落してからのことです(創世3 :20)。

人間の創造に関する二つの記録は互いにどのように補足し合っていますか(創世1:26〜28,創世2:18〜23)。創世記2:24, 25はとくにどんなことを強調していますか。

補足的な創造の記録 これらの節は男と女に人間的な価値,尊厳,敬意,同等性を与えています。創世記1:26〜28には,男と女が共に「神のかたち」を持つこと,共同支配者として陸海空の生き物を支配する同じ権力を支えられていること,生殖という神の祝福と責任を与えられていることが明示されています。性的に異なっていても,彼らはひとつです。アダムとエバに対して,アダムという単数の言葉が2回用いられています(創世1 : 26, 27)。

創世記2章は1章を拡大して,男(イシュ)と女(イシュシャー)の創造された過程を詳述しています。人間の相互的必要,また結婚のきずながその必要を満たすことが強調されています。ここで結婚が制定されています(創世2 : 24)。「これらの言葉は男と女の最も深い肉体的,霊的一致を表わし,一夫一婦制を神によって定められた結婚の形式として世の前に掲げている。これらの言葉は父母に対する子としての義務と敬意を捨てるように勧めるものではなく,むしろ妻が第一に夫の愛情を受けるべきこと,夫の第一の義務が妻に対するものであることを主として示している。妻に対する夫の愛は,両親に対する適切な愛を決して無用にするものではないが,それを越えたものでなければならない」(「S DA聖書注解』第1巻227ページ)。

◆ 男と女の創造についての,また結婚制度についての聖書の記録が私たちにとって重要なのはなぜですか。

Ⅳ. 堕落後の結婚

質問9 罪はアダムとエバの結婚生活に,またその私生活にどんな影響を及ぼしましたか。それは彼らの神との関係をどのように変えましたか。創世3:1〜24

結婚生活の悲劇 このときから,結婚生活は利己的に利用し支配するといった罪深い傾向によって損なわれることになります。その後の多くの結婚生活が敵意,虐待,暴力,欲望,不貞に苦しむことになります。また,離別,離婚という耐えがたい苦痛を味わうことになります。生涯変わることのない一夫一婦制の理想が,ほかの「結婚」様式に取って代わられることになります。そのような結婚生活もには真の喜びがありません。

堕落後の結婚生活を理解するうえで,創世記3 :16はどれほど重要ですか。

協力関係の変化 罪のない状態においては,男と女の一方が他方を支配することはありませんでした。しかし,罪は神によって定められた男らしさ,女らしさという特質をゆがめ,結婚生活における男女間の調和のとれた協力関係を失わせました。無我の愛,深い満足と平安,相互の助け合い,自発的服従に大きな変化が生じました。

「一方が他方に従属することによって彼らの一致と調和が保たれるようになった。……アダムは,彼女〔エバ〕のすすめによって罪を犯した。そこで,彼女は,夫に従う立場におかれた」(『人類のあけぼの』上巻47ページ)。(エペ5 :21〜26, 28〜33, 1テモ2 :13〜15, 1 ペテ3 : 1 〜7比較)

結婚生活における悪習 夫の支配を表す創世記3:16のへブル語は保護,愛情,関心を含む広い意味を持っています。

「神の律法が命じているこの原則を,堕落した人類が守っていたならば,この宣告は,罪の結果によるものであったとは言え,彼らにとって,祝福となったことであろう。ところが,こうして与えら れた優位を男が乱用したために,女の運命は非常に苦しく彼女の人生は重荷となった」(『人類のあけぼの』上巻47,48ページ)。

アハシュエロス王と王妃ワシテの物語は,しばしば結婚生活を苦しいものとする男性による支配をどのように例示していますか(エス1:9〜22)。これを,「わが愛する者はわたしのもの,わたしは彼のもの」という言葉に示されているエデンの理想と比較してください(雅2:16)。

Ⅴ. キリストと共同の相続人

堕落から純潔へ 「結婚も罪によってゆがめられましたが,その純潔と美しさを回復するのが福音の目的です」(『思いわずらってはいけません』83ページ)。

キリストはどのように罪に勝利されましたか。どうしたら私たちも今日,キリストの勝利にあずかることができますか。私たちは将来,どうなりますか。

コロ2:15,エペ2:1〜7,ロマ8:22,23

キリストにあって,神は夫と妻をあがなうことによって結婚を回復されます。私たちが堕落の束縛から完全に解放されるのはキリストの再臨においてですが,キリストにあって神の国は今,私たちのところにきているのです(マタ12:28,ルカ17:21,Ⅱコリ5:17,エペ3:19参照)。

キリストの教えは,罪が男女関係にもたらしていた悪習をどのように改革しましたか。

ヨハ2 :1 〜1 0 , マタ9 : 1 5 , 2 0 : 2 5 〜2 8 , エペ5 :2 1 〜3 3 , 1 ペテ3 : 1 〜7

「キリストは婚姻を是認し,御自ら制定された制度として認められた。……また,キリストとキリストがあがなってくださった人間との結合の象徴として結婚を尊ばれた。すなわちキリストご自身が新郎で,花嫁は教会であ〔る〕(『ミニストリー・オブ・ヒーリング』329ページ)。

〔エバが最初に罪を犯したため〕そののろいとして,妻は夫に従属するものとなりました(『教会へのあかし』第3巻484ページ参照)。しかし聖書は,夫と妻が互いに愛し合い,仕え合うように教えています。

「女性は神が最初に彼女のために計画された地位を,すなわち夫と同等の者としての地位を占めなければならない。……彼女は自分を夫と同等の者一夫のそばに立ち,自分の義務の立場に忠実であり,夫も彼の義務の立場で忠実であるべきだと感じなければならない」(「アドベンチスト・ホーム』253ページ)。

「夫は家族の帯金,家庭の祭司とならねばならない。妻は自分の夫を敬い,愛し,夫も自分の妻を愛し,大切にしなければならない」(『原稿161号』1902年)。

同等であるが異なる 「しかし,あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり,女のかしらは男であり,キリストのかしらは神である」(Iコリ11: 3)。キリストと父なる神はまったく同等ですが(コロ2:9),三位一体の神のなかにあって別々の働きをしておられます。同じように,男と女も同等の者として造られていますが,家庭においては異なった働きをします。

まとめ

私たちは自分で考えている以上に, 神が初めに意図されたエデンの生活を楽しむことができます。罪は結婚生活をゆがめてしまいましたが,キリストはそれを解決してくださいます。結婚した夫婦は聖霊の力によって一致と喜びにあずかることができます。

*本記事は、1992年第4期安息日学校教課『雅歌 愛の歌』からの抜粋です。

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